
いまの社会は、便利になった一方で、息苦しさを感じる場面も増えました。大きな理由のひとつは、「常識」の変化が速いこと。以前は通用していた言い回しや振る舞いが、今日は通じない… そんなことが珍しくありません。仕事でも人づきあいでも、「正解」が見えにくい時代です。
ただ、私たちが大きな変化だと感じていることも、百年単位で見れば繰り返しの一部かもしれません。だからこそ、長い時間を生き抜いてきた先人の言葉は、いまなお効きます。時代が変わっても揺らぎにくい「芯」を、今日の一文から受け取ってみませんか?
今回の座右の銘にしたい言葉は「身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ」 です。
「身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ」の意味
「身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ」について、『⼩学館デジタル⼤辞泉』では、「一身を犠牲にする覚悟で当たってこそ、窮地を脱し、物事を成就することができる」とあります。
つまり、「命を捨てるほどの覚悟で立ち向かえば、必ず活路が開ける」という意味を持っています。
ここでいう「瀬」とは、川の流れが浅い場所のこと。「浮かぶ瀬」は、沈んでいた人が浮かび上がり、助かることのできる場所を表しています。川で溺れた人が、必死にもがくほど体力を失い、かえって沈んでしまうことがあります。反対に、力を抜いて流れに身を任せれば、体が浮き、安全な場所へたどり着けるかもしれません。この様子を人生に重ねたのが、「身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ」です。
たとえば、転職や独立を迷っているとき。失敗を恐れて中途半端な一歩しか踏み出せなければ、結局どちらの道にも進めず、時間だけが過ぎていく。むしろ「ここで退路を断つ」と腹を括ったほうが、思いがけず新しい道が開けることは、実際の人生でもよくある話です。
つまりこの言葉は、行動をためらう人への戒めであり、同時に「覚悟を決めれば、道は見えてくる」という励ましでもあるのです。
「身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ」の由来
この言葉の由来は平安時代の僧・空也上人の
「山川の末に流るる橡殻(とちがら)も 身を捨ててこそ浮かむ瀬もあれ」
という和歌から、という説があります。山あいの川の流れに漂う、栃の実の殻。それすらも、流れに身を任せ切ってしまえば、やがて浮かぶ瀬が見つかる… そんな情景を詠んだ歌だと伝えられています。ただし、これはあくまで「空也上人の作と伝える」和歌であり、確定した史料として断定されているわけではありません。
とはいえ、江戸時代にはすでに使われていた言葉であり、歌舞伎や浄瑠璃の台詞の中にも登場します。昔の人々も、切羽詰まった状況下でどう生き抜くかという知恵を、自然の摂理から学び取っていたのでしょう。
現代の私たちにとっても、変化の激しい時代という大きな川の中で、もがくのではなく、時には流れに身を任せる勇気を持つことの大切さを教えてくれています。
「身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ」を座右の銘としてスピーチするなら
「身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ」を座右の銘としてスピーチするときは意味を説明するだけで終わらせず、自分の経験と結びつけることが大切です。
以下に「身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ」を取り入れたスピーチの例をあげます。
退職時のあいさつとしてのスピーチ例
私には座右の銘としてきた言葉があります。それは「身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ」という言葉です。命を捨てるほどの覚悟で物事にあたれば、必ず道は開ける、という意味です。少し物騒に聞こえるかもしれませんが、私はこれを「腹を括って踏み出せば、案外どうにかなる」というくらいの気持ちで受け止めてきました。
若い頃、大きな企画を任され、失敗を恐れて何度も踏み出す一歩を躊躇したことがあります。ですが、あるとき「どうにでもなれ」と覚悟を決めて動いた瞬間、不思議と周りの人が手を差し伸べてくれました。あがくよりも、思い切って身を委ねたほうが、道は開けるものだと、その時実感したのです。
これから第二の人生が始まります。年齢を理由に立ち止まるのではなく、この言葉を胸に、新しいことにも思い切って挑んでいきたいと思います。
最後に
「身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ」は、ただ我慢するための言葉ではありません。いったん手放す勇気が、次の道をひらくという、しなやかな人生観を伝える言葉です。人生後半には、これまで培った経験が大きな支えになります。その一方で、経験が「こうあるべきだ」という固定観念につながることもあります。そんなとき、この言葉は、握りしめているものを少し緩める勇気を与えてくれるでしょう。
●執筆/武田さゆり

国家資格キャリアコンサルタント。中学高校国語科教諭、学校図書館司書教諭。現役教員の傍ら、子どもたちが自分らしく生きるためのキャリア教育推進活動を行う。趣味はテニスと読書。
●構成/京都メディアライン・https://kyotomedialine.com











