取材・文/沢木文
親は「普通に育てたつもりなのに」と考えていても、子どもは「親のせいで不幸になった」ととらえる親子が増えている。本連載では、ロストジェネレーション世代(1970代~80年代前半生まれ)のロスジェネの子どもがいる親、もしくは当事者に話を伺い、 “8050問題” へつながる家族の貧困と親子問題の根幹を探っていく。
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現在、東京都23区内に住む大谷綾子さん(仮名・75歳)の“自慢のひとり息子(50歳)”は約10年間の引きこもりを続けている。
息子は小さな恋人だったかもしれない
息子は優秀だった。小中学校と成績が良く、利発で周囲からも愛されていた。高校に入ってからは成績が下がったけれど、1年間浪人して名門大学に合格した。
「ここまでは順風満帆だったんです。今でも覚えているのは、息子が所属していた野球部の試合です。中3の引退試合の市大会の決勝、相手は強豪校で県大会行きのチケットがかかっていた。9回裏、最後の最後で息子はホームランを決めたんです。あの時は応援の女の子がキャーキャー言って、他のお母さんも“かっこいいわね”ってポーっとなっていました」
県大会では2回戦で敗退したが、試合が終わった後、綾子さんのところに来て「お母さん。今まで応援してくれてありがとう」って言ってくれたという。
「そこから猛勉強して県立の進学校に合格。高校からサッカーに夢中になり、こちらもいい成績を収めました。学園祭の後夜祭ではバンドもやって、本当にカッコよかったんです。息子は歌っても、ギターを弾かせても誰よりも上手でした。大学は1浪したけれど、東京の名門大学に合格し上京。一人暮らしをすることになったのです。そのとき、しばらく息子のアパートに住み、料理や洗濯をしていました」
綾子さん一家の地元は東海地方だ。東京で暮らし始めた大学生の息子のところには、4月から夏休みまで4カ月間住んだ。夏休み明けに息子を一人で送り出した時は涙が出たという。
綾子さんが息子のことを話しているとき、どこか恋人のことを語っているようなところが気になった。
「言われてみると、息子は“小さな恋人”だったかもしれない。主人が企業戦士で全く家におらず、私だけで孤独に子育てをしていた。息子だけが私の希望だったのかもしれません」
綾子さんは「でも、本当は女の子も欲しかったんです」と言う。
「一緒に洋服を選んだり、おいしいものを食べに行ったり……私が母とそうしたように、自分の娘と同じようなことをしたかった」
【夫のDVと、反抗期がない息子。次ページに続きます】