■「口は禍のもと」「沈黙は金」というけれど

「よかれと思って言ったけれど、言わなければよかった」
「なぜ、あの人は失言ばかりするのか」
「黙っていればよかった」

とかく不用意な発言で、立場を失って不利になったり、ものごとの潮目が変わることがあります。多くの場合、自分は「そんなつもりじゃなかった」ということが大半です。

最近は、個人的なSNSのつぶやきまでが逐一とりあげられて、断罪されがちです。一方で、なぜその言葉を使ったのか、本当はどういう意味なのか? を掘り下げると、その人自身も気づいていない環境の影響や、社会の風潮が影響している可能性もあります。

社会が変わってきて、「昔はよくて、今は駄目な発言や言葉」が増えてきました。「駄目なものは駄目」と頭で理解はしても、腹の底から納得できているか? と問われれば、疑問です。最近は、ハラスメント対策のための言葉のマニュアルが作られたりもしています。

例えば、自分の中で湧き起こるマイナスの感情や、もやもやした考えや怒りを吐き出したり、言葉にできなくなったとしましょう。そうしたことが積み重なると、本人が苦しくなるばかりか、困った状況が改善されたり、間違ったことが修正されるチャンスが永遠に失われてしまいます。

禍を転じる言葉は、ひとりだけの力では生み出せないのです。価値観や言葉づかいの違う他人との対話の中で、確認しあうことが必要です。外国語を話す時のように、相手に興味をもつこと、集中して聴くこと、相手に通じる言葉を勉強して使う練習もいるかもしれません。

特にサライ世代の男性の皆さんは、1970年代に流行した「男は黙ってサッポロビール」の広告のフレーズが頭に浮かぶ人も多いかもしれません。「男のしゃべりはみっともない」「言い訳しない」などと、子どもの頃から散々、言われてきて、今更、多弁になるのは難しく、面倒な人もおられることでしょう。

どこかしら、日本において男性は寡黙であることが美徳とされる文化があります。「言わなくてもわかる」ことについて、本当にわかっているかと確認することは、無粋に思えてほとんどしないですね。でも実はそこに、誤解があるかもしれません。

今回ご紹介する“渋沢栄一 心のことば”には、そのこたえに通じる大きなヒントが隠されているような気がいたします。では、自らおしゃべりであることを自負していた渋沢栄一の心得を見てみましょう。

■渋沢栄一の心を読み解く

「口は禍の門であるとともに福の門でもある」、この言葉の意図するところは……

「口から出た言葉は禍を招くが、それと同じくらい、口から出る言葉によってしか、幸福も招くことができない」ということ。

栄一は、「口舌は禍の門であるだろうが、ただ禍の門ということを恐れて一切口を閉じたら、その結果はどうであろう」「もとより多弁は感心せぬが、無言もまた珍重すべきではない」「禍の方ばかり見ていては、消極的になりすぎて、極端に解釈すればものをいうことができないことになる」と明確に語っています。

特に、「余のごときは多弁のために禍もあるが、これによってまた福もくるのである」と、自分の口から言葉を話すことなしには、福は起こりえない事実を具体的に指摘しています。例えば、沈黙していてはわからなかったことが、少し口を開いたことで、人の困難を救うことができたこと、物事の調停をしたこと、口にすることで種々の仕事を見出すことができた…など。言葉を口にすることでこそ、得られる利益があることを説いています。

栄一が生涯に約500の会社に関わり、約600の社会公共事業に尽力できた背景には、栄一の「言葉の力」があったのかもしれません。揚げ足を取られようが、笑われようが、彼が口にして言うことは、常に心に思うことと一致していたようです。

最後、栄一は次のような示唆に富んだことばを伝えています。

「福祉の来るためには、多弁はあえて悪いとは言われぬが、禍の起こるところに向かっては言語を慎まねばならぬ。片言隻語といえども、決してこれを妄りにせず、禍福の分かるる所を考えてするということは、何人にとっても忘れてはならぬ心得であろうと思う」

「禍福のわかるる所」を見極めるには、機運や人を見る目を養うことが必要です。それを意識するだけでも、自分の話し方、発言する内容、相手の応答への対処などが、少しずつ違ったものになっていきそうです。

※言葉の解釈は、あくまでも編集部おける独自の解釈です。

■渋沢栄一、ゆかりの地

第五回の「渋沢栄一、ゆかりの地」では、渋沢栄一の喜寿(77歳)を祝って建てられた「誠之堂(せいしどう)」をご紹介します。国の重要文化財にも指定されている名建築です。

誠之堂(渋沢栄一)

渋沢栄一は、明治6年(1873)に日本最古の銀行・第一国立銀行を創設します。日本の近代経済社会の基礎を築くうえで重要な役割を果たした第一国立銀行は、その後、明治29年(1896)に第一銀行となり、栄一は初代頭取を務めます。その後、喜寿を迎えるにあたって、栄一は頭取を辞任しますが、栄一の喜寿を祝って、大正5年(1916)に、同行の行員たちは出資を募って誠之堂を建築します。

また、「誠之堂」の名は、渋沢栄一自身が命名したもの。儒教の「中庸」の一節「誠者天之道也、誠之者人之道也(誠は天の道なり、これを誠にするは人の道なり)」にちなんでいます。

深谷名物のレンガをくみ上げた西洋風家屋。デザインに栄一の趣味が反映されたり、「喜寿」の漢字をかたどったレンガが施されるなど、栄一が敬愛されていたことが随所にうかがえます。栄一は、日々、どのようなことを彼らに語っていたのでしょうか。

誠之堂
住所:埼玉県深谷市起会110番地1(大寄公民館敷地内)
開館時間:午前9時から午後5時まで(入館は16:30まで)
休館日:年末年始(12月29日から翌年1月3日)
入館料:無料

肖像画・アニメーション/もぱ・鈴木菜々絵・貝阿彌俊彦(京都メディアライン)
文/奈上水香(京都メディアライン)
HP:http://kyotomedialine.com

 

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