技を磨き、感覚を研ぎ澄ませ続け「完璧な美しさ」を目指す、東京の職人たち。ここでは職人と車の相棒のような関係にクローズアップ。指物師・益田大祐さんは、独立してから10年以上、『ハイゼット』や『アトレー』などの軽商用車に乗り続けているという。技を極める益田さんが相棒に選んだ軽商用車の魅力とは何か。益田さんの仕事への哲学や美学とともに、紹介していく。
平成中村座の大看板、歌舞伎俳優の鏡台や文机などを制作し、ヨーロッパでも高い評価を得ている、指物師・益田大祐さん。
指物とは木材を板や棒状に整え、家具を製作する技法だ。釘を使わずに、ピタリと木と木が合うように、「指し」ていく。合せている部分は外側からは見えないという、魔法のような美しさが特徴だ。
指物は平安時代に宮殿文化として生まれた。朝廷や公家に向けた箪笥(たんす)や飾り棚といった家具は、やがて箱物や曲物などの茶道具に発展。江戸時代には日用のちゃぶ台や鏡台なども盛んに作られた歴史がある。
工業デザインを学び、よりクリエイティブな指物の世界へ
家具製作会社に就職して2年目、1997年に指物の世界に飛び込んだという益田さん。
「学生時代に工業デザインを学び、家具会社の社員になりました。仕事を続けるうちに、機械に委ねる部分が大きい画一的なもの作りよりも、人の手で作り上げる世界に心を惹かれていったのです。そこで、飛び込んだのが指物の世界。私がこの道に入った25年ほど前は、修行中の若手の仕事がたくさんあったのです。中でも旅館のくずかごなどはよく作りましたね」
木を切り、整え組み立てていく。親方に教わりながら、腕を磨いた。それと同時に、日本文化への興味が広がっていったという。
「指物は、今、削っている香道に使用する箱、茶道の道具や長唄用の本箱など、道を究めていたり、身分が高い人が使用するイメージがあります。しかし、それだけではありません。道具箱、おひつ、岡持ちなど、庶民が使用する木製の日用品も多々ありました。この世界に入って、指物のその自由さに気が付いたのです」
益田さんは、学生時代に学んだデザインの技術と思考力、たゆまず磨いた指物の腕、そして自由な発想力を携えて、2005年に独立する。
「そのときに購入した車が、ダイハツの『ハイゼット カーゴ』です。購入費や維持費の負担が少なく、使い勝手のよさで選びました。この仕事において、車は必需品です。私は修理の仕事もいただくことが多いのですが、お客様のところから品物をお預かりして、工房で修理しお届けするときにも、車が欠かせません」
益田さんの腕を信頼する人の中には、有名な骨董品店や歌舞伎俳優なども多い。
「東京の道は狭いですからね。特に歴史がある住宅街を走っているとそう感じます。また、骨董品店や劇場がある銀座、京橋などは駐車スペースが限定されます。狭い駐車場や、余裕がないパーキングスペースなどの場所でも、『ハイゼット カーゴ』ならサッと停めて品物を納めに行けることも魅力的でした」
2メートルの板も積める使い勝手の良さ
そんな益田さんの相棒として活躍した『ハイゼット カーゴ』の買い替えの機会が来た。そして、次に選んだのも同じくダイハツの『アトレー』だった。
「荷物の積み下ろしのしやすさ、私の仕事に適していることから、『アトレー』にしたんです。『ハイゼット カーゴ』と同じように使えて、少し大きいことが選んだポイントです。席を倒せば、2メートルの板も積めます。公私ともに活躍していますよ」
指物は人よりも長生きする……現代社会にフィットする指物とは?
サスティナブル(持続可能)への意識の高まりとともに、指物の魅力を広めていきたいと益田さんは考えている。
「修理の依頼をいただくものの中には、江戸時代、明治時代に作られて、親から子へと受け継がれてきたものが多数あります。そこには当時の職人の技や哲学を雄弁に物語る痕跡が残されているものもあります。これらの品物に接していると、ものは人よりも長生きすることに気付かされます。そこで私は、現代社会に生きる私たちに合う道具は何かと考え、ランプや名刺入れ、ジュエリーボックスなどを作りました。おかげさまで好評をいただいております。思いや心を伝えられるのも、指物の魅力だと感じます」
働く人の相棒・ダイハツ 『ハイゼット』『アトレー』が
リニューアルして新登場
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取材・文/前川亜紀 撮影/フカヤマノリユキ