残高は5000万円、働く気力が全く起きない
恵子さんは58歳で退職してから、最初の2年くらい、旅行の毎日を過ごす。それまで仕事優先で、旅行は「いつか行こう」と先延ばししていたからだ。
「退職直後は国内の有名旅館を巡り、コロナが明けた60歳前後から海外20か国くらいを巡りました。有名な風景をスタンプラリーのように訪ねる旅です。常に積極的に挑戦したのは、年齢制限が60歳に設定されている、ジェットコースターやバンジージャンプ、スカイダイビング、マリンアクティビティなど。“遊び”の多くに年齢制限があることを、私は知らなかったのです」
この頃はSNSも活用しており、「現地でご飯を食べませんか?」とつぶやいては、反応した人とテーブルを囲んでいた。
「皆いい人でした。でも、共通の趣味がないため人間関係が続かない。また会いたいと思っても、相手が会うメリットを提供できない。そう思うと、どんどん内にこもっていくんですよ。それに、SNSは友達の生活が羨ましくなるので開きたくない。行動できないうちに、自信がなくなり、この3年間はほぼ引きこもり状態です。
ぼーっとドラマとか映画を見ているうちに、1日が終わっているんです。2歳上の姉が心配して“推し活”としてアイドルのコンサートに行きましたが、顔の見分けがつかない。疲れただけでした」
恵子さんは独身だが、現在も中小企業に勤務している姉には55歳で出会い、結婚10年になる夫がいる。
「両親が80代で相次いで亡くなった後、姉はシニア専門のマッチングアプリを駆使し、結婚相談所に通って婚活し、同じ歳のパッとしない元シングルファザーと結婚したのです。『美貌の姉がなんでこんな人と?』と思ったのですが、彼はひたすら姉を愛し、尽くしている。その関係がうらやましくて、こんなことなら、私も50代のうちに婚活をしておけばよかったと後悔しています。いや、違いますね。私はやはり自由がいい。自由と孤独は表裏一体なのだから、孤独も受け入れなくては。
あと、本音を言えば、雇用延長して65歳まで働いていればよかった。いや、でもそうしていたら、あの楽しい旅はできなかった。その堂々巡りです。“いいとこどり”ができないのが人生」
恵子さんは、自分で買ったマンションに住み、手元には5000万円ほどある。
「ほかにも資産があり、困っていないから働く気力が起こらないんです。あるとき、眠れないまま早朝の散歩に出たら、小さな公園でラジオ体操をやっていたんです。ぼーっと見ていたら、80代くらいの女性が『あなたもやんなさい』と誘ってくれ、やってみたらとても気持ちよかった。
終わった後、『あなた、さっきまで暗い顔していたけど、体操したら元気になったでしょ?』と話し始め、近くにいる女性を指差して『この93歳のお姉さんは、女学校時代にラジオ体操を叩き込まれたから、動きがピシッとしているでしょ。体と脳はつながっているの。訓練が大切』などとベラベラ話してくる。
その場にいた4人の高齢者の女性たちが『63歳! 若いわね〜』などと褒めてくれたのです。『毎朝、6時30分からやっているから、来てね』と言われ、何回か通ううちに親しくなり、ラジオ体操仲間の犬の散歩の代行まで任されるようになりました」
人とつながると、気力も湧いてくる。世話好きな80代女性に「毎日暇をしている」と話したところ、近所のレストランの開店前の清掃スタッフがいなくて困っているという。「若いんだから、働きなさい」と強引に紹介されてしまった。
「亡くなった母みたいな世話焼きおばさんで、困っていそうな人を見ると、すぐに体が動いてしまう人なんでしょうね。“ああ、こういう人は、まだこの国にいたんだな”と、ありがたく思い、働いてみようかと思っています。おばさんに迷惑はかけられないという気持ちがあれば、体は動く。結局、人は人のつながりの中で生きている。この縁を大切にしたいと思います」
取材・文/沢木文
1976年東京都足立区生まれ。大学在学中よりファッション雑誌の編集に携わる。恋愛、結婚、出産などをテーマとした記事を担当。著書に『貧困女子のリアル』『不倫女子のリアル』(ともに小学館新書)、『沼にはまる人々』(ポプラ社)がある。連載に、Webサイト『現代ビジネス』(講談社)などがある。『女性セブン』(小学館)などにも寄稿している。











