
厚生労働省は2026年9月1日から労働基準監督署による残業削減の指導を緩和。労使の合意があり、月100時間未満まで時間外労働が可能な企業にも、月45時間以内に収めるよう一律に求めてきた。これが企業活動の萎縮につながるとの指摘を受けて見直した。過重労働と健康障害の関連は深い。引き続き長時間労働の是正を求める方針は変わらない。
恵子さん(63歳)は「55歳ごろから体力と集中力が減り、残業ができなくなった。58歳で早期退職しました」と話す。それから、5年間は何もしていない。「働かなくちゃと思うんだけれど、体が動かない」という。
真面目で誠実に仕事をしていれば幸せになれた時代
恵子さんは、都内の大学卒業後、1985(昭和60)年に都内のあるIT関連会社に就職する。
「結婚しないで一人で生きていきたいと思っていたので、就職活動は頑張りました。当時は応募要項に”男性のみ”と書かれているものがほとんど。なぜか女子学生は一人暮らしをしている人はNGだったので、都内に実家がある私は、友人に住所を貸していましたよ。“女だから”と門前払いしなかったのは当時のIT業界です。“どこでもいい!”と給料が高い順に応募して、採用されたIT関連会社に就職しました」
会社は都心にあって、主に製薬会社や金融のシステムを中心に作っていたという。
「入社前に適性検査を受けたところ、私はとてもいい成績だったそうです。だから、指導役の先輩はいたものの、いきなり現場に放り込まれる感じでした。当時のシステム開発現場は、日常生活とはかけ離れた異世界。同期入社20人のうち、半分くらいは数か月で辞めていきました。会社もそれを知っていたから、女子学生でもなんでも採用したんでしょうね。圧倒的な人手不足でしたし、若くて学習能力が高い人なら誰でもいいという感じでした」
恵子さんが入社した年は、ITシステムが社会に普及する黎明期だった。
「今のシステムエンジニア(SE)の仕事なのですが、当時はインターネットも個人用PCもなく、大型コンピュータを使った大規模なプロジェクトを、人間の手作業で行っていたのです。
朝9時に出社し、朝礼をして当日のタスク確認や連絡事項の共有を行う。新人だった私は、“コーディング用紙”という方眼紙のような紙に、シャープペンシルでプログラムを手書きしていました。データ入力は、磁気テープに行っていました。自分の仕事がどこに向かっているかわからないので、言われた通りに仕事をするしかない。とてつもなく地味な作業を毎日続けていましたが、苦にはなりませんでした」
同僚は年上の男性ばかりで、皆ヘビースモーカーだった。
「壁がヤニで茶色になっていましたし、1日仕事をして帰ると、タバコ臭かった。周囲のタバコの臭いが嫌だという理由で、自分もタバコを吸うようになりました。1年くらい地味な作業を続けて、仕事がわかるようになると、システム運用のためのテストなどの仕事も教えてもらえました。この作業は、業務システムが稼働している昼間を避けて、夜中に行うのです。夜9時から深夜3時まで作業し、タクシーで帰宅して朝9時に出社というのもザラでした」
過酷な労働環境でも仕事を続けたのは、給料が良かったことと、業界全体が前進しているという機運に満ちていたから。
「世の中全体が、もっと便利に、もっと豊かに向かっていくというエネルギーに溢れていて、『私の仕事は誰かの役に立っていて、世の中をいい方向に変えていく』という確信に満ちていました。後は、親から『真面目で誠実に仕事をすることが成功の近道』と教わっていたことが大きいかも。
私がこの会社を辞めて転職した後、58歳で早期退職するころは、真面目に誠実に仕事をする人から、ライフハックやタイパを重視する人が幸せになる時代に変わっていました。今振り返ると、人が血の通った仕事をする、いい時期に育ててもらったと思っています」
【月100時間の残業が1年間続いた……次のページに続きます】











