
2027年度、文部科学省は、企業と関係省庁が産業界のニーズを反映したリスキリング講座を約600大学へ設置することを目指す支援の仕組みを新設する方針だ。この取り組みは、政府が定める成長戦略の17分野を対象に、企業目線で仕事に役立つ学び直しの内容を検討・開発するものである。定年後のキャリアに備え、学び直しをする人も多い。
啓太さん(63歳)は、「役職定年になった55歳の頃に学び直しを始めました。まさか人生で2つの学士資格を取るとは思わなかった」という。
会社名を言うだけで女性からモテた
啓太さんは1986年(昭和61)4月に、工学系の学部を卒業し、インフラ系の企業に入った。大学の成績が良かったので、教授の推薦枠で入社できたという。
「小学生の頃から、何もしなくても勉強ができました。特に数学が好きで、高校時代は数学雑誌に掲載されている難問を解いて編集部に送っていました。点数が高い人の名前が掲載されるのですが、1回だけ載ったことがあり、あれは嬉しかったな。大学は当然のように理工系に進み、原子力に興味を持つようになったのです。研究者になりたかったのですが、大学3年の終わりに、父が急死してしまい、大学院に進むことを諦めたのです」
時代はバブル期だ。優秀な理系の学生は引く手あまただったのだろう。
「世の中が浮かれていましたよね。父が亡くなった1984(昭和59)年は日経平均が高値更新し、ロス五輪が開催され、日本という国全体に勢いがあった。その翌年の1985(昭和60)年は、日本電信電話公社が民営化され、つくば万博が開催され、円高が進むなどさらに世の中は湧いていく。どの会社も理系の学生を欲しがっていたので、入ることができたのです。あとは、師事していた教授の力がものすごく強かった。僕は教授に可愛がられていたので、スムーズに決まったのでしょう」
大学では、当時、注目される分野を学んでいた。物理、機械、電気、化学を横断する内容だったという。
「でもやはり理系は院を出ていないとモノにならない。本社の主要なプロジェクトに関わっている社員は、国立大学の院卒ばかりでした。僕は私立の学卒なので、地方の現場に回されましたよ。最初の仕事は、大きな施設の周りを自転車で走って、異常がないか確認する業務。各所に設置してある計器の値を記録し、配管やポンプ、弁からの漏れを確認し、設備の異音、異臭、発熱がないかチェックする日々でした。大学で学んでいたことが現場に役立っている感覚があり、仕事はとても楽しかった」
時々、東京に戻ると、中学、高校時代に「ガリ勉」とバカにしていた女性たちが、電話をしてきた。さらには家に来る人もいたという。
「会社名の威力ですよ。当時、給料が良く、安定していることで知られていたので、結婚相手として僕を認識したのでしょう。20代は会社名を言うだけで、相手の目がハートになるのがわかりました。僕はロマンティストなので、そういう感覚がどうも好きになれなかったんです。今思えば、会社名でもいいのでモテているうちが華ですよね」
しかし、その後、複数の女性から失礼かつ、心が傷つくようなアプローチを受け、女性に対して距離を置くようになる。
「今ならセクハラよりも性暴力の領域に踏み込むものだと思いましたが、当時は女性から加害を受けても、男は『役得じゃないか』と言われるだけだったように記憶しています。僕の心には、まだ傷のようなものが残っており、今やっと話せるようになった。ずっと独身なのは、女性から強く迫られたことが原因なのは間違いない」
【40歳のときに、地方から東京勤務になり、人生が変わっていく……次のページに続きます】







