
写真:photoAC
現在の長野県にほぼ相当する「信濃国」。四方を山々に囲まれ、いくつもの盆地や谷に分かれたこの国は、戦国時代になると武田信玄や上杉謙信、徳川家康らが争う重要な舞台となりました。
そして豊臣秀吉が天下統一を進める中、徳川家の重臣だった石川数正も、やがて信濃国の松本へ入ることになります。
大河ドラマ『豊臣兄弟!』では、豊臣秀吉から呼び出された石川数正は、徳川と真田の和睦を命じられます。その後、なぜ数正は徳川家を去り、信濃へ向かうことになったのでしょうか…? この記事では「信濃国」の歴史を、戦国時代を中心に紐解きます。
「信濃国」の読み方と名前の由来
まずは、読み方から確認します。
「信濃国」の読み方は……
「しなののくに」です。
「信州」という呼び名でも知られています。古くは「科野国」と書かれ、和銅6年(713)の好字制によって「信濃国」という表記になったとされています。
「しなの」の語源には諸説あります。科(しな)の木が多く生えていたことに由来するという説(本居宣長ら)もありますが、山国である信濃には段丘(だんきゅう)や山麓が多いことから、段差のある地形を意味する「級(しな)」に由来するという説(賀茂真淵ら)が有力です。
実際、信濃には更級(さらしな)、埴科(はにしな)、仁科(にしな)、明科(あかしな)、蓼科(たてしな)など、「しな」の付く地名が数多く残っています。
戦国時代の「信濃国」の変遷
山々と盆地が複雑に入り組む信濃国では、戦国時代になると各地の有力者がそれぞれに勢力を築き、一国をまとめる存在はなかなか現れませんでした。そんな群雄割拠の信濃へ、隣国・甲斐から進出してきたのが武田信玄です。
ここから信濃は、上杉謙信や徳川家康、そして豊臣秀吉までを巻き込む争奪の舞台となっていきます。
武田信玄が信濃へ進出
戦国時代の信濃では、小笠原氏、村上氏、諏訪氏、高梨氏など、地域ごとに有力な勢力が割拠していました。しかし、信濃一国を統一するほどの大名は現れませんでした。
そこへ進出したのが、甲斐国(現在の山梨県)の武田信玄です。天文11年(1542)に諏訪氏を滅ぼした信玄は、さらに小笠原氏や村上氏を破り、信濃の大部分を勢力下に収めます。この動きに対抗したのが越後国(現在の新潟県)の上杉謙信でした。両者が北信濃をめぐって争った「川中島の戦い」は、戦国時代を代表する合戦として知られています。

写真:photoAC
武田滅亡後、徳川・上杉・北条が争う
天正10年(1582)武田勝頼が織田信長に敗れ、武田氏が滅亡すると、信濃は一時、織田政権の支配下に入りました。
ところが、そのわずか数か月後に本能寺の変が起こり、信長が死去。すると信濃をめぐって徳川家康、上杉景勝、北条氏らが争い、再び情勢は大きく動きました。
やがて北信濃は上杉氏、小県(ちいさがた)郡は真田氏、そのほかの大部分は徳川家康の勢力下に入ります。
徳川を去った石川数正、やがて松本へ…
この家康のもとで長年重臣として活躍していたのが、石川数正です。数正は外交・内政の両面で家康を支え、小牧・長久手の戦いにも参加しました。しかし天正13年(1585)、突如として岡崎城を出奔し、秀吉のもとへ走ります。
その理由は現在もはっきりしていません。『国史大辞典』(吉川弘文館)には、秀吉による外交戦の勝利とみるのが通説とされていることが記されています。
その後、数正は九州攻めや小田原攻めに従軍。天正18年(1590)、秀吉が小田原の北条氏を滅ぼして家康を関東へ移すと、信濃の領主配置も大きく組み替えられました。
秀吉は佐久郡に仙石秀久、安曇・筑摩両郡に石川数正、伊那郡に毛利秀頼、諏訪郡に日根野高吉を配置。小県郡は真田昌幸に領知させ、木曾は秀吉の蔵入地としました。
この再編の中で、数正は松本城主として8万石を領します。かつて徳川家の重臣だった人物が、今度は豊臣政権の大名として、旧徳川勢力圏の信濃に配置されたのです。

写真:photoAC
数正とその子・康長の時代には松本城の本格的な整備も進められ、現在につながる城郭の基礎が築かれていきました。
こうして信濃国は、武田氏滅亡後の混乱と徳川・上杉・北条の争奪を経て、豊臣政権の支配体制へと組み込まれていったのです。
最後に
武田信玄、上杉謙信、徳川家康、そして豊臣秀吉。戦国の信濃国は、有力者たちの勢力争いによって支配者が目まぐるしく入れ替わった国でした。
石川数正の出奔もまた、単なる「徳川家からの離反」にとどまりません。その後、秀吉によって信濃・松本を任されたことまでたどると、豊臣政権が全国を再編していく大きな流れの中に位置づけることができます。
『豊臣兄弟!』では数正が徳川家を離れる決断がどのように描かれるのか。その先にある「信濃国」も意識すると、物語をさらに深く楽しむことができそうです。
※表記の年代と出来事には、諸説あります。
●取材・執筆/末原美裕

1300年の歴史を持つ京都に住むようになって早くも10年以上が経つ。「戦国武将の生き字引」を目指し、実際に武将たちのゆかりの地を訪ね歩きながら「日本史人物伝」「日本史事件録」などの記事を執筆している歴女。歴史好きが高じて『京都学問所紀要 鴨長明の世界』『京都学問所紀要 方丈記』(ともに賀茂御祖神社京都学問所)の書籍を編集。京都の奥深い歴史と文化を日々探究中。
Instagram:@kyoto_monokaki note:@kyoto_monokaki
Facebook:@kyotomedialine
引用・参考図書/
『日本大百科全書』(小学館)
『世界大百科事典』(平凡社)
『国史大辞典』(吉川弘文館)
『日本歴史地名大系』(平凡社)
アイキャッチ/photoAC







