
AIの進化が止まらない。今は人間と同じくらいの知能を持つ汎用人工知能・AGIや、さらにそれを超える超知能・ASIなどの開発も進んでいるという。米AI新興企業アンソロピックの最高経営責任者は「AIモデルの能力を高める速度を落とさなければならない」という論考も公表した。世の中は大きく変わっている。定年後もそれについていかなければならないのだろうか。
優子さん(63歳)は定年前から準備を始めて起業したが、共同経営者と1年で決別。今は社会とつながるためにスキマ時間にバイトをしているという。「私が会社員をしている間に、時代の空気も感覚も全く変わってしまった。雇用延長は、仕事のやり方がAIによって全く変わってしまうので、しませんでした。定年後に会社から離れてビジネスしましたが、厳しい結果になってしまい、一時期落ち込んでいたんです」と言う。
定年後に備えて、10歳年下の後輩と親しくなろうと奮闘
優子さんは3年前に、あるIT関連の大企業を60歳で定年退職した。「アフターコロナの2022年頃から、時代の雰囲気が変わってきて、仕事がAIに取って代わられることは見えていた。やりたいこともあったので、定年延長はしませんでした」と言う。優子さんは、50歳から定年に備えて準備をしていた。
「独身で子供もいないし、友達も少ないです。だから、会社がなければ孤立することはわかっていました。だから、50歳のときに定年の準備を始めようと一念発起。当時は『定年後にこんな生活をしたい』というビジョンもありません。でも一生、なんらかの仕事はしたいという思いはあった。だから、手当たり次第活動をするうちに、定年後の生活が見えてくると思っていたのです。
手始めに行ったのは、10歳くらい年下の後輩と親しくすること。自分より若い世代の視点や流行、デジタルツールの活用法などを吸収したかったのです。あと、時代の変化についていけるとも思っていたのです。それに、個人的に親しくなれば、自分が退職した後も、職場や業界の動向を知るための窓口になってくれると思って」
同じ組織にいるとはいえ、職場のみで10歳下の後輩と距離を縮めるのは難しい。優子さんは社内の部活や行事に参加するようになる。
「同じチームの仲間と、年1回の運動会に参加。100以上ある部活から、興味が持てそうなアート鑑賞部と低山登山部に入りました。退職して思うのは、会社というのは、仕事を与えてくれて、お給料をくれるだけでなく、なんでもお膳立てしてくれる素晴らしいところだということです」
熱心に活動した、アート鑑賞部では、自ら有名アーティストを招いて、ワークショップも開催。
「みんなが喜んでくれて嬉しかったです。あと外の人とつながっておけば、定年後に役に立つと思ったんです。でも、今、振り返ってみると、仕事も人間関係も、全て“会社ありき”なんですよ。このアート部で呼んだあるアーティストに、定年後にメールをしたら、返事すらもらえませんでした。彼女にしてみれば、“あの大企業で社員向け講演をした”という実績に魅力があっただけで、私のことなんて認識してないんですよ。会社の名前が入っているメールアドレスから、個人のアドレスになったときに、世の中からの“見られ方”が変わるような気がしたのは被害妄想だとも言い切れないと思うんです」
優子さんのキャリアは、短大卒業後の1983(昭和58)年に、地元の市役所に就職したことから始まる。
「公務員になるには、それなりに優秀でコネがなければダメな時代でした。祖父が県会議員をしていたことと、見てくれが悪くなかったから採用されたんでしょう。4年目、24歳のときに友達と六本木に行ったら、芸能事務所の人にスカウトされたんです。当時、F1ほかレースが盛り上がっており、キャンペーンガールにならないかって」
【ショールームのキャンペーンガールだったが、実務も行ってしまい……次のページに続きます】











