東京勤務になり、うつを発症して休職する
啓太さんが40代前半のとき、会社の不祥事が明るみに出た。それを踏まえて、現場の仕事に詳しい人が本社に呼ばれることになったという。
「僕は東京で生まれて育ち、就職で初めて地方を転々とし、地方の生活が水に合っていると感じました。仕事が終わると、先輩たちと釣り竿を持って海に行き、魚を釣って捌いて食べる。料理などしたこともなかった僕が、出刃包丁を買い、魚の捌き方を教わり、皆に振る舞う。たくさん釣れたら、民宿や居酒屋に引き取ってもらったこともあったな」
相手はお金を支払おうとしたが、副業になることを恐れて受け取らなかった。
「当時、副業は絶対に禁止という風潮で、デパートの買い物券をもらっても始末書ものでしたからね。すると、民宿のおかみさんが『家族が来たらタダで泊めてやるから』、居酒屋の大将は『焼酎のボトルを入れたから飲みにこいよ』など言ってくれて、人と交流する温かさを知った」
そんなとき本社勤務になる。自然から遠く離れ、コンクリートのオフィスで働くことになる。
「40代前半の社員に、会社は容赦なく仕事を与えてくる。終わらない仕事と、緑から離れ、密閉された空間で働いているうちに、ストレスでじんましんが出るようになりました。あと、食べ物に手を出すようになったのです。お腹はいっぱいなのに、菓子や弁当を食べていないと落ち着かない。あれは糖質依存になっていたのだと思います」
啓太さんの身長は175cmで、体重は65kg程度を維持していた。しかし、東京勤務になってから1年で90kgを超えた。
「仕事の内容も、信頼回復とか安全の仕組みを整えるとか、そういう内容なんです。これまでやっていた『前に進み、皆の幸せに貢献している』という実感が全くない。ストレスを感じると、食べる手が止まらない。食べ続けているから虫歯もひどくなりました。そして、あるとき、朝起きられなくなってしまって、会社を半年近く休むことに」
病院に行ったらうつ病と診断された。医師は「心身のエネルギーがなくなり動けなくなっているような状態です」と言った。
「この僕がありえないと。今から20年前の日本には、心の病は弱い人がなるものだという変な意識が強かった。特にうちの会社はそうでした。会社を休んだらもう居場所はなくなる。医師は回復を焦るなと言いましたが、僕は自分で回復方法を調べ、早めに復帰しました」
その回復方法とは、とにかく最初の頃はひたすら眠り、体力の回復に努め、回復を感じたら朝型の生活に切り替え、バランスの取れた食事をとり、1日1万歩歩き、不安が湧き上がってきたらランニングするというものだったという。
「ダイエットをしていないのに、1か月で8kgも落ちました。医師は驚いて『無理は絶対にダメです』と念を押してきました。自分でも荒療治だと思いますよ」
【会社の業績が落ち、気がつけば副業が解禁になっていた……その2に続きます】
取材・文/沢木文
1976年東京都足立区生まれ。大学在学中よりファッション雑誌の編集に携わる。恋愛、結婚、出産などをテーマとした記事を担当。著書に『貧困女子のリアル』『不倫女子のリアル』(ともに小学館新書)、『沼にはまる人々』(ポプラ社)がある。連載に、Webサイト『現代ビジネス』(講談社)などがある。『女性セブン』(小学館)などにも寄稿している。







