磯部寛之さん演じる長宗我部元親。(C)NHK

ライターI(以下I):『豊臣兄弟!』第36回の副題は「姫若子と鬼若子」と、四国の長宗我部(ちょうそかべ)にフォーカスする回になりました。全国の「長宗我部ファン」にとっては、「長宗我部まつり」といっても過言ではない記念すべき回になったのではないでしょうか。

編集者A(以下A):長槍を持つ「長宗我部元親初陣の像」の銅像が高知市内の若宮八幡宮鎮守の森にあります。高知を訪ねる度に訪れていますが、元親像を見上げる人は絶えることがありません。初陣までの元親は、色白で女性を思わせる雰囲気で、家臣らから姫若子(ひめわこ)とあだ名されていたといわれます。『ミネルヴァ日本評伝選 長宗我部元親・盛親四国一篇に切随へ、恣に威勢を振ふ』(平井上総著)には以下のように記されています。

元親は背が高く色白柔和で器量骨柄はいいが、用のないときは物を言わず人に会ってもにっこりと笑うだけで挨拶もなく、日夜深窓にいたので、姫若子と呼ばれて笑われていたという『土佐国古城伝承記』『土佐物語』のエピソードがあまりにも有名である。

I:『豊臣兄弟!』でも、磯部寛之さん演じる元親は女性っぽい衣装をまとう姿で登場していましたね。

A:長宗我部元親は、永禄3年(1560)、22歳のときに初陣を飾りますが、このときの奮闘ぶりがめざましく、姫若子から「鬼若子」にかわったというのです。ちなみに長宗我部元親の初陣は、5月28日。織田信長の桶狭間の戦いの9日後のことでした。

I:尾張と土佐と離れた場所ですが、ほぼ同時期に信長と元親という若武者が「転機」を迎えていたのですね。

A:先週も触れましたが、長宗我部元親は、明智光秀(演・要潤)を取次として織田信長(演・小栗旬)と誼を通じ、元親嫡男信親の「信」は信長の偏諱という関係でした。当初信長は、「四国は切り取り次第」と元親にお墨付きを与えていたのですが、後にその約定を反故にします。その背景には、阿波(現在の徳島県)を本拠とする三好一族と羽柴秀吉(演・池松壮亮)が連携し、巻き返しを図ったためともいわれています。取次の光秀の面子を丸潰しにしたということで、「本能寺の変」の動機の有力候補になっている事件ですね。

I:『豊臣兄弟!』劇中でも、阿波・三好一族の三好康長(演・妹尾正文)の養子になった三好信吉(演・山田涼介)が登場したのでわかりやすいですよね。

A:つまり、この時点で、羽柴と三好は縁戚なわけです。長宗我部が羽柴につく道理がありません。それにしても家康(演・松下洸平)は長宗我部との連携を模索していたのですが、長宗我部の背後=伊予に毛利が攻め込んでくる可能性があり、家康とドンピシャで連携できなかったということです。長宗我部がこのタイミングで「反羽柴」を鮮明にして挙兵していたら、秀吉も危うかったかもしれません。

I:もともと長宗我部と毛利は「芸土同盟(安芸・土佐同盟)」を組んでいたのですが、秀吉の毛利へのアプローチで、毛利が家康側に味方しなかったのが影響したんですね。

A:北条氏政(演・谷原章介)の背後の佐竹を調略するなど秀吉の行動は素早いですね。

I:その長宗我部攻めには秀長(演・仲野太賀)が大将として出陣するわけです。

A:劇中でも触れていましたが、秀長は、一か所に攻め入るのではなく、数か所からほぼ同時に攻め入る作戦を採用しました。本隊は、大将の秀長が堺の湊から、副将の三好信吉が明石の湊から出発し、淡路島で合流。阿波の国、現在の鳴門市に上陸したようです。さらに、黒田官兵衛(演・倉悠貴)らが率いる大軍が讃岐の屋島に上陸するのです。そして、毛利の軍勢も伊予に上陸。長宗我部は三方面での防衛を余儀なくされたのです。

I:讃岐の屋島は、源平の戦いの舞台になった場所ですね。私も取材に行ったことがあります。それにしても、秀長軍の上陸地=淡路ルート、讃岐ルート、伊予のルートも含めて、本四三架橋の地と同じというのが感慨深いですね。

A:秀長軍だけでも800~900艘の船団だったといわれます。おそらく四国史上最大規模の合戦だったと思われます。台詞だけで説明された紀州攻めとあわせて、秀長一世一代の大合戦で長宗我部を降伏させることになるのです。長宗我部が大河ドラマでここまで登場するのは史上初。ここまできたら、元親の嫡男である長宗我部信親(演・林裕太)の行く末もまた、胸に迫る展開なのですから、しっかりと描いてほしいですね。

I:元親と秀長がふたりで語らう場面もいい場面になりました。

A:ちょっと先走りますが、徳川幕府が成立した後に、長宗我部の本拠地の土佐には、もともと秀吉幕下にいた山内一豊が20万石で入府して幕末まで存続します。2006年の大河ドラマ『功名が辻』でも描かれましたが、長宗我部旧臣の「一領具足」らを相撲大会と称して高知の桂浜に招いて、虐殺したという浦戸一揆の悲劇が伝えられています。

四国攻め総大将は秀長(中央/演・仲野太賀)。(C)NHK

長宗我部特番で下剋上なるか

I:その長宗我部の特番『長宗我部兄弟!』が放送されるというのですが、これは画期的なことではないでしょうか。

A:制作したのは、NHK松山放送局。長宗我部元親、香宗我部親泰兄弟を演じるのはお笑いコンビ「土佐兄弟」。最新研究を紹介するパートとドラマパートが分けられた編成のようです。四国向けの放送は済んでいますが、全国向けは9月23日の朝6時10分~6時53分の放送だそうです。画期的な試みですから、『豊臣兄弟!』本編を凌駕するおもしろさを期待したいですね。「松山放送局の下剋上だ!」という展開になったら最高ですね。

I:早朝の放送で、私は起きられそうにないので、録画予約必須ですね。

A:「長宗我部」が盛り上がりを見せているので、ちょっと脱線します。戦国時代に四国を統一せんとするほど勢いのあった長宗我部ですが、元親四男の盛親が関ヶ原で西軍に与した関係で改易となりました。四国は、太閤検地の段階でおよそ74万石の封土だったといわれています。

I:戦国時代に三好氏が拠点にしていた阿波には、蜂須賀家政(25万7000石)が、長宗我部の拠点土佐には秀吉幕下の山内一豊(20万2600石)が入りました。大洲藩(6万石)の加藤定泰とあわせてざっくり「豊臣系」です。

A:「徳川親藩」でいえば、高松藩(12万石)は、水戸徳川系で、第2代藩主は水戸黄門でおなじみの徳川光圀の実子松平頼常です。松山藩(15万石)と今治藩(3万5000石)は、ともに徳川家康の異父弟松平定勝の系統です。そのほか、伊達政宗の長男秀宗の宇和島藩(10万石)、京極家の丸亀藩(5万石)、紀州和歌山藩の支藩西条藩(3万石)など、四国全体で、ざっくり100万石を超える領土を持っていました。

I:『豊臣兄弟!』で描かれた第36回は、四国の歴史のターニングポイントになったということですね。

長宗我部フィーチャーだった第36回。(C)NHK

●編集者A:書籍編集者。かつて『完本 信長全史』(「ビジュアル版逆説の日本史」)を編集した際に、信長関連の史跡を徹底取材。本業では、11月10日刊行の『後世に伝えたい歴史と文化 鶴岡八幡宮宮司の鎌倉案内』を担当。

●ライターI:文科系ライター。月刊『サライ』等で執筆。猫が好き。愛知県出身なので『豊臣兄弟!』を楽しみにしている。神職資格を持っている。

構成/『サライ』歴史班 一乗谷かおり

 

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