大洗磯前神社(写真:photoAC)

茨城県大洗町に、皆さんにもぜひ知っていただきたい酒蔵があります。それが「月の井酒造店」です。慶応元年(1865年)創業という歴史を持ちながら、革新的酒造りに挑み続ける、茨城でも屈指の個性派の蔵だと思います。今回は、この「月の井」の魅力を深掘りしてお伝えしていきます。

文/山内祐治

日本酒「月の井」とは? 大洗の個性蔵による銘柄

月の井酒造店があるのは、茨城県の海沿いの町・大洗です。創業は慶応元年(1865年)ととても古く、現在は8代目の坂本直彦さんが蔵を率いて酒造りを続けています。実にさまざまなタイプのお酒を手掛けている、とても面白い蔵だと感じています。僕自身、最初にこの蔵を知ったのも、地元のお米を使った密度のあるジューシーなお酒「彦市」からでした。

8代目蔵元、坂本直彦さん(写真:月の井酒造店)

この蔵を語るうえで欠かせないのが、生酛(きもと)造りの名手として知られる杜氏・石川達也さんの存在です。早稲田大学在学中から埼玉県の神亀酒造で酒造りを学び、その後は広島県の竹鶴酒造で長く杜氏を務め、広島杜氏組合長としても活躍されている方です。竹鶴酒造を離れるタイミングで2020酒造年度より月の井に招かれ、2025酒造年度まで蔵の酒造りを支えてこられました。最初は蔵の直彦さんの目指されている方向と石川さんの造りが大きく異なり、試行錯誤を重ねたそうですが、両者の思考が融合し、非常に面白いお酒を生み出すに至っています。2026酒造年度からは、石川さんのもとで長く『頭』として酒造りを支えてきた岩渕徹さんが杜氏に就任し、その技術と思想を受け継いでいます。

この蔵の哲学を象徴するのが「大洗に、授かる酒。」という言葉です。狙い通りの酒質を意図的に設計するのではなく、大洗という土地にあるものを集めた結果として生まれるのが、今の月の井なのだという考え方です。これは、石川さんが好んで口にする「不射の射(ふしゃのしゃ)」という言葉、つまり狙って造るのではなく自然と出来上がったものこそがそれなのだという生酛造りの精神とも重なり合い、月の井らしさを形づくる核となっています。

日本酒通も唸る、月の井の知られざる評価

月の井は、日本酒についてかなり深く踏み込んできた方々からの評価が高い蔵だと思います。ただ、飲み始めたばかりの方がすぐに好むタイプかというと、そうではないかもしれません。吟醸香が感じられる銘柄もある一方で、どちらかというと穀物感や木質感の強い、しっかりとした味わいが特徴だからです。また、原酒系の製品はアルコール度数もやや高めです。

ですが、加水して調整したり、常温やお燗にして温度を変えてみたりすると、驚くほど表情が変わり、面白いお酒に化けてくれます。この振れ幅の大きさ、緩衝力と呼ばれる懐の深さこそ、通の方々を唸らせる理由の一つだと思っています。実際、「彦市」は、密度がありながらもジューシーな味わいで知られており、ファンの間で親しまれてきました。

「彦市 純米吟醸」(月の井酒造店)(写真:月の井酒造店)
https://shop.tsukinoi.co.jp/pages/hikoichi

月の井を語るうえでもう一つ欠かせないのが「和の月(なのつき)」です。有機栽培米を使ったこのシリーズは、2004年、当時の代表であった坂本敬子さんが、47歳で急逝されたご主人・和彦さんの遺志を継いで世に送り出したお酒です。名前も、和彦さんのお名前から一字をいただいて名付けられました。こうした地元米へのこだわりと、石川さんの生酛造りの技術が組み合わさることで、月の井は他とは一線を画す評価を得ていると感じています。

「和の月」(月の井酒造店)(写真:月の井酒造店)
https://shop.tsukinoi.co.jp/collections/nano-tsuki

月の井の日本酒、純米と純米吟醸の飲み比べ

月の井酒造店のラインナップは、大きく3つに分けられます。前述の「彦市」「和の月」に加え、スタンダードな「月の井」がリリースされており、この「月の井」には、純米酒、純米吟醸酒、純米大吟醸があります。特に純米吟醸は、山田錦を大吟醸クラスに近い50%程度まで磨いて造られており、原酒のアルコール度数は19〜20度に達するものもあります。これを加水したタイプは、抜栓してから1週間ほど置いて常温で飲むと、とても柔らかく美味しく仕上がります。

「月の井」(月の井酒造店)
https://shop.tsukinoi.co.jp/collections/tsukinoi

一方で、有機栽培米に生酛造りを掛け合わせた「和の月」には、精米歩合39・60・80という3タイプがあり、それぞれに個性がしっかりと表現されています。中でも精米歩合39%まで磨いた純米大吟醸の生酛原酒は、少し寝かせるととてもまろやかで旨味のある味わいに変わります。磨いていないほど味わいは太くなりがちですが、熟成させても驚くほどきれいな印象を保っており、端正な味わいが伝わってきます。

また、石川さんが得意とする「蓋麹(ふたこうじ)」の手法と生酛造りを組み合わせ、有機栽培米で仕込んだ「和の月」のスパークリングも造られていて、こちらも見逃せない一本です。さらに変わり種として、月の井の梅酒もおすすめで、お燗で割ったり炭酸で割ったりする楽しみ方も面白いと思います。

月の井の日本酒は辛口? 味わいの秘密に迫る

月の井の味わいを一言で表すなら、しっかりとした密度と包容力を併せ持つ、というのが大きな特徴だと思います。特に原酒銘柄はアルコール度数の高さもあり、これがそのまま味わいの厚みにつながっています。

面白いのは、この骨格のしっかりした味わいが、加水したり温度を上げたりすることで、大きくほぐれていく点です。ぎゅっと締まった味わいが、お燗をつけることで少しずつほどけ、穀物感の中にジューシーさも感じられるようになっていきます。

日本酒度などの数値にとらわれず、実際のお酒を楽しんでほしいタイプの銘柄と言えると思います。そして温度を変えながら味わいの変化を楽しんでいただくのが、月の井らしい飲み方だと思います。

月の井の日本酒、おすすめの飲み方で魅力倍増

月の井のお酒は、常温、もしくはお燗がおすすめです。逆にスパークリングタイプは、しっかり冷やした冷酒の温度帯で美味しくいただけますし、加水タイプの純米吟醸は、冷やしすぎない程度の冷酒が良いと思います。ただ、基本的にこの蔵のお酒は常温以上の温度で映えると感じています。

お燗をつける際は、ゆっくりじっくりと温度を上げていき、決まった温度に達したらその温度を保つようにするのがおすすめです。そうすることで、穀物感の中に穏やかさが生まれてきます。器は、ガラスよりも陶器で楽しみたいところ。釉薬のかかった器なら柔らかな口当たりに、素焼きに近い器や釉薬の軽い浅めの器なら、多少熱めにしてみるのもいいでしょう。温度を上げすぎない範囲であれば、漆の器で味わうのも面白いと思います。

合わせる料理としては、大洗が漁港の町であることから、冬場のあんこう鍋との相性が抜群です。中でも、あん肝を炒り、あんこうと野菜を加え、水を使わず具材から出る水分と味噌で仕立てる「どぶ汁」という郷土料理との組み合わせは、僕のお店でもよくお出ししていて、ぜひ一度試していただきたい組み合わせです。

まとめ

月の井は、8代目・坂本直彦さんが大切にする「大洗に、授かる酒。」という考え方と、石川達也さんが大切にする生酛造りの哲学が重なり合うことで、独特の魅力を生み出している蔵だと思います。今後もぜひ注目していただきたい存在です。

月の井酒造店直売所(写真:月の井酒造店)
住所:茨城県東茨城郡大洗町磯浜町638
Tel.:029-266-2168
営業時間 9:00-17:00

そして、いずれ大洗の地にも足を運んでみてください。この蔵は通常の蔵見学は受け付けていませんが、直売所は用意されています。蔵のそばには「大洗磯前神社」があり、その「神磯の鳥居」から見るご来光は見事の一言です。月の井のラベルにも鳥居や月、大洗の海が描かれており、まさに「大洗に、授かる酒。」というコンセプトを体現しています。大洗にはアクアワールドという水族館もありますので、合わせて立ち寄ってみるのも楽しいと思います。東京・上野からは2時間半ほどで到着できる距離感ですので、あんこう鍋やどぶ汁と一緒に、ぜひ月の井の一杯を楽しんでみてください。

山内祐治(やまうち・ゆうじ)/「湯島天神下 すし初」四代目。講師、テイスター。第1回 日本ソムリエ協会SAKE DIPLOMAコンクール優勝。同協会機関誌『Sommelier』にて日本酒記事を執筆。ソムリエ、チーズプロフェッショナルの資格も持ち、大手ワインスクールにて、日本酒の授業を行なっている。また、新潟大学大学院にて日本酒学の修士論文を執筆。研究対象は日本酒ペアリング。一貫ごとに解説が入る講義のような店舗での体験が好評を博しており、味わいの背景から蔵元のストーリーまでを交えた丁寧なペアリングを継続している。多岐にわたる食材に対して重なりあう日本酒を提案し、「寿司店というより日本酒ペアリングの店」と評されることも。

構成・撮影/土田貴史

 

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