文/濱田浩一郎

『太閤素生記』が記す秀吉仕官の経緯
人生の中には、時に運命の出会いと呼ぶべきものがあります。それは時として歴史を変えることもありました。筆者はその1つが、織田信長と豊臣秀吉の出会いだと思うのです。信長は秀吉と出会わなくとも、天下に覇を唱えることができたでしょうが、秀吉は信長に重用されなければ、天下人になることはなかったと筆者は感じるからです。
豊臣秀吉は、織田信長に仕える前には、頭陀寺城(浜松市)の城主であった松下氏に仕えていたとされます。松下氏は秀吉を可愛がりましたが、小姓らの妬みを買って、最終的には松下氏のもとを去ることになるのです。松下氏のもとを去った秀吉は、生国(尾張国)に戻ったと思われます。江戸時代初期の旗本により纏められた秀吉の伝記『太閤素生記』に、尾張国の知り合いのもとを訪れたとあるからです。その知り合いというのが、一若でした。一若は、秀吉と同じ尾張中村の出であり、秀吉のみならず、秀吉の父とも顔見知りだったようです。とは言え、秀吉が中村を出てからは、長い期間、会うことはありませんでした。
その秀吉が突然、目の前に現れたのですから、一若は大層驚きます。そして「この3年間、何国にいたのか」と問いかけると共に「(秀吉の)母が嘆き悲しんでいるから、急いで会いに行け」と秀吉に伝えてやるのです。このことから『太閤素生記』によると、故郷を出てから、秀吉は母と連絡を取っていなかったことがわかります。我が子の無事を知った秀吉の母・なか(後の大政所)はとても喜んだとのことです。注目すべきは、同書によると、一若は織田信長に仕えていたことでしょう。小人(雑用を務めた小者)として仕えていたのです。秀吉は一若を頼み、信長に草履取りとして仕えるようになったと同書は記します。
秀吉はどのようにして信長に仕えたか?
しかし秀吉の伝記として著名な『太閤記』(江戸時代初期の成立)は別の見解を記しています。松下加兵衛に仕えていた秀吉は、ある時、主人から次のように問われます。「尾張国の織田信長の家中では、どのような具足や甲が流行っているのか」と。それに対し、秀吉は「胴丸(胴まわりを右脇で引き合わせる軽便な鎧)が流行っております」と答えます。すると松下氏は「それを買って参れ」と秀吉に命じるのです。黄金5・6両を購入費として持たされた秀吉は、尾張への道すがら、あることを思いつきます。この金を使って、刀・脇差・衣服に至るまで購入し、身なりを整えて、然るべき主に仕えることを考案したのです。
秀吉はこの件について叔父に相談したそうですが、叔父も秀吉の見解に賛同したとのこと。叔父が秀吉に仕えてみてはと勧めたのが、織田信長でした。と言うのも、信長は武勇を昼夜を問わず嗜み、権謀を得意としつつも、信義を守っている。時に、信長は「愚」と思われることもあるが、実は愚かではない。信長を誹る者もあるが、実は賢く「寛広」(度量が大きいこと)である。また、百姓を誹る「小人」を信長は酷く憎んでいる。この人こそ「天下の主」となるであろう。信長に仕え、韓信・張良(何れも前漢の初代皇帝・劉邦に仕え活躍した武将、政治家)の如く重用されたならば、一門の眉目(名誉)である。これが秀吉の叔父が信長を推薦した理由でした。
この話を聞いた秀吉は、清洲城にいた信長に仕官を「直訴」するのです。秀吉は「父の代から織田家に仕えていた」ということを全面に主張し、仕官したいと信長に伝えるのでした。信長は秀吉の佇まいを見て「面構えは猿に似ている。軽薄なようにも見えるが、気がよく回るであろう」と笑いながら、仕えることを了承したと言います。これが『太閤記』が記す秀吉が信長に仕えた経緯です。
『太閤素生記』と大きく違うことがわかります。実は『太閤素生記』は『太閤記』の仕官の経緯を「不信」(信ぜず)としているのです。秀吉は生まれつき律儀であり、松下氏に不義理を働くことはないことを理由の1つとして挙げています。また松下氏が年少の秀吉に「黄金五両」を預けたこともおかしいと『太閤記』の説を真っ向から非難しているのです。『太閤記』も『太閤素生記』もそれ程、信憑性がある史料ではありません。よって、秀吉が信長に仕えた経緯は謎と言わざるを得ません。
しかし、秀吉が信長に直訴して仕官したとする『太閤記』の記述よりも、筆者は信長に既に仕えていた知り合い(一若)の伝手で織田家に仕えたとするほうが現実味があるように感じます。秀吉が信長に仕えたのは、天文23年(1554)頃だったとされます。17歳で信長に仕えたということになります。もし、秀吉が松下氏に仕えたままであったならば、その後の歴史は大きく変わっていたことでしょう。秀吉の出世は織田家に仕えたことにより生じたのですから、織田家への仕官は秀吉の人生の一大転機になったのでした。
【主要参考文献一覧】
・渡邊大門『秀吉の出自と出世伝説』(洋泉社、2013年)
・柴裕之『秀吉と秀長「豊臣兄弟」の天下一統』(NHK出版、2025年)
・濱田浩一郎『秀吉と秀長 天下統一の軌跡』(内外出版社、2025年)
文/濱田浩一郎(はまだ・こういちろう)

兵庫県相生市出身。皇學館大学大学院文学研究科博士後期課程単位取得満期退学。
兵庫県立大学内播磨学研究所研究員、姫路日ノ本短期大学講師、姫路獨協大学講師、大阪観光大学観光学研究所客員研究員を歴任。現在、武蔵野学院大学日本総合研究所スペシャルアカデミックフェロー。
著書『播磨赤松一族』(新人物往来社)、『あの名将たちの狂気の謎』(中経の文庫)、『超口語訳 方丈記』(東京書籍のち彩図社文庫)、『中学生からの超口語訳 信長公記』(ベストブック)、『秀吉と秀長 天下統一の軌跡』(内外出版社)その他多数。











