
マネジメント課題解決のためのメディアプラットフォーム「識学総研(https://souken.shikigaku.jp)」が、ビジネスの最前線の用語や問題を解説するシリーズ。今回は、識学的な視点から部下のマネジメント術について考察します。
はじめに
部下育成において、「何とかしてあげたい」という気持ちは管理職であれば誰もが持つものです。目標達成が難しそうな部下を見れば、アドバイスをしたくなります。営業先を紹介したり、自分が代わりに交渉したり、期限を延ばしたり、評価基準を緩めたりすることもあるでしょう。その善意が部下の成長を止めてしまうことがあります。
識学では「人は現状に不満を感じなければ変わらない」という考えのもと、「未達は、むしろ成長の糧とするべき」とお伝えします。本稿ではそのポイントを解説いたします。
未達という現実が変革を促す
例えば、営業担当者が月間目標100万円に対して、月末時点で70万円しか達成できていないとします。
ここで上司が、
「あと30万円なら私の取引先を紹介するよ」
「今回は特別に来月分を前倒しにしよう」
「今回は仕方ないから目標を90万円に変更しよう」
このような対応をすれば、一見すると部下は助かったように見えます。しかし、本当に助かったのでしょうか。
部下本人は、「自分の力では目標を達成できなかった」という現実を十分に認識しないまま終わってしまいます。
結果として、
「今回は運が悪かっただけ」
「上司が助けてくれる」
「何とかなるものだ」
という認識だけが残ります。
つまり、自分自身の課題に向き合う必要性を感じないのです。
人は自分で認識したことしか、変えることはできません。つまり、自己変革のきっかけは、本人が「このままでは駄目だ」と認識することにあります。その認識を生み出す最も大きな要因が、「目標未達」という事実です。
ところが、上司が途中で介入し、その未達を回避してしまうと、部下は本来得られるはずだった重要な学びを失ってしまいます。
未達という結果を真正面から受け止め、「なぜ届かなかったのか」「何が足りなかったのか」を自分自身で考えることが、初めて自己変革へのスタートになります。
痛みがあるから人は行動を変える
人は基本的に現状維持を好みます。現在のやり方で大きな問題が起きなければ、新しい方法を試そうとは思いません。
例えば、普段の生活でも、
食べ過ぎ、飲み過ぎで翌日のパフォーマンスが落ちたので、控えるようにした。
医師から警告され、通院を開始した。
熱いものを触って火傷しそうになった。
このような痛みを経験して、初めて行動を変える人が多いものです。
仕事でも同じです。目標未達という痛みを経験することで、
「このやり方では通用しない」
「もっと行動量を増やそう」
「提案方法を変えよう」
「準備不足だった」
という改善意識が芽生えます。
逆に痛みがなければ、
「まあ大丈夫」
「だめだったのは、今回だけ」
「次も何とかなる(何とかしてくれる)」
という認識になりやすくなります。
上司の介入は優しさではなく、依存を生むことがある
もちろん、上司が部下を助けたいという気持ちは否定されるものではありません。しかし、その介入が繰り返されると部下は次のように学習します。
「困れば上司が助けてくれる」――この認識が形成されると、自分で考える量は減ります。最後は誰かが何とかしてくれる、という期待が生まれます。すると、主体性は育ちません。
識学では、主体性とは「自分で責任を負うことによって生まれるもの」と考えます。責任を負わない環境では、本当の意味で主体的にはなれません。未達になったとしても、その責任を本人が受け止めるからこそ、「次はどうするか」という思考になります。上司が毎回その責任を肩代わりしてしまえば、責任感も育ちません。
介入すべきは、途中ではなく事前準備である
では、上司は何もしなくてよいのでしょうか。もちろん違います。介入すべきタイミングは「結果が出そうになってから」ではなく、「結果が出る前」です。
例えば、
目標設定は適切だったか。
行動計画は具体的だったか。
進捗確認はできていたか。
行動量は基準を満たしていたか。
優先順位は間違っていなかったか。
これらを事前に管理することが上司の役割です。つまり、結果そのものを変えるために途中で救済するのではなく、結果が出る前の行動を管理することが重要なのです。これが「プロセス管理」であり、「プロセスへの介入」とは明確に区別されます。
未達は失敗ではなく資産である
未達という言葉にはネガティブな印象があります。しかし、本当に恐れるべきなのは未達ではありません。未達から何も学ばないことです。
部下にとって、「なぜ届かなかったのか」を振り返る経験は非常に価値があります。
営業量だったのか。
提案内容だったのか。
時間管理だったのか。
優先順位だったのか。
こうした分析を通じて初めて改善策が見えてきます。未達という結果そのものが、次の成長への材料になります。だからこそ、その事実を曖昧にしてはいけません。
「今のままでいい」という誤認識が最も危険
途中介入の最大の問題は、部下が「今のままでも大丈夫」という認識を持ってしまうことです。実際には目標を達成する力が不足しているにもかかわらず、周囲の支援によって結果だけが整えられると、自分自身の課題を正確に認識できません。
識学では、この「認識のズレ」が成長を妨げる最大の要因と考えます。人は、自分が正しくできていると思っていることを改善しようとはしません。そのため、未達という現実を曖昧にせず、自分の現在地を正しく認識することが重要です。
厳しいように感じるかもしれませんが、それは部下を見放すことではありません。むしろ、将来的に自立して成果を出せる人材へ育てるために必要なプロセスなのです。
まとめ
部下育成では、「助けること」と「育てること」は必ずしも一致しません。その場の結果だけを見れば、途中介入によって目標を達成させることはできます。しかし、その代償として、部下が本来経験すべき「未達の痛み」や「課題の自覚」を失ってしまうのであれば、長期的な成長にはつながりません。
上司の役割は結果を操作することではなく、結果が出るまでの行動を管理し、結果については事実として受け止めさせることです。目標に届かなかったという現実は、決して失敗ではありません。そこから何を認識し、何を変えるのかが重要です。未達という経験を通じて、「今のままでは目標に届かない」という事実を本人が受け止めたとき、初めて自己変革が始まります。
部下の未来を考えるのであれば、短期的な安心感を与えるための介入ではなく、自ら課題を認識し、改善へ踏み出せる環境を整えることが、上司に求められる本当の育成ではないでしょうか。
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