古くから観光地として親しまれる伊東温泉。冬も温暖で、豊かな自然と良質の温泉に恵まれる、まさに常春の地といえる。今回の旅は新宿から観光特急列車・サフィール踊り子で向かった(東京発の便もある)。快適な座席と大きな窓から広がる景色を眺めながら、伊東まで約2時間弱、著名シェフの軽食と伊豆の地ビールも堪能し、優雅な休日がスタート。JR伊東駅から歩いて10分ほどにある『界 伊東』はかつて1912年創業の老舗宿だったことから、立派な門構えが宿泊客を出迎えてくれる。
駅前の賑わいを抜けた先、閑静な住宅街のなかに現れる『界 伊東』。
「今まで訪ねて来た『界』とは異なる、風格ある佇まいにテンションが上がりますね!」と、堂々たる門構えに驚く山脇さん。門を潜れば、よく手入れされた前庭の先に、季節の花が大胆に活けられたエントランス、そして広々としたロビーが広がっている。ロビーの一角につるし飾りがある。これは伊東の隣、伊豆・稲取のつるし飾りで、ひな祭りの際の装飾。福岡・柳川のさげもん、山形・酒田の傘福とともに三大つるし飾りのひとつだ。江戸時代後期から、祖母や母親が娘や孫の健やかな成長を願い、着物の端布で作った手作りの飾りもので、館内のつるし飾りはこの伝統を伝える地元の方たちが作ったものという。
「季節を意識した設えや、手の温もりを感じるつるし飾りが印象的ですね。日本旅館の本領発揮、殺伐として忙しい日常からの切り替えがここで叶います」(山脇さん)
客室へ向かう前に、館内を巡る。なんと温泉の源泉を注ぎ入れる源泉プールがあり、一年中泳ぐことができる。「夏以外に泳ぐ醍醐味を味わえるなんて! 次回は水着を持参して泳ぎ、そしてすぐに温泉へ、と妄想しました。いや、実現しよう」と山脇さんも大興奮。
さらに、伊東市の花木である椿をはじめ、四季折々の花が咲く樹木が植栽された日本庭園が広がり、庭の奥には鯉がいる池もあり、餌やりもできる。日本庭園は館内のどこからでも眺めることができ、情緒あふれる風景だ。また、庭園に隣接する足湯も、源泉をたっぷり使った気持ちのいいスペースである。
ひとり旅を応援する「界の温泉ひとり旅」
「界」では冬限定で、ひとりで温泉旅館に滞在しながら、温泉と地域の魅力をじっくり体験できるプラン「界の温泉ひとり旅」(2024年12月1日~2025年2月28日)を設けている。このプランの客室は露天風呂付き。『界 伊東』でも源泉掛け流しの露天風呂がある。
「部屋の露天風呂からは、立ち上がると朝陽がとてもきれいに見えました。しばし仁王立ちで眺めてしまいました(笑)。空と湯と私で、至福のひとり時間を過ごせました。頭は空っぽに、なーんにも考えない、湯に身をゆだねる、がおすすめです」と、山脇さんもじっくりと温泉に向き合ったようだ。
さらにプランでは、湯上がりに楽しめるクラフトビールやジュース、おつまみなどのセット、「地域色豊かなご当地グッズ」として消しゴムはんこが準備されている。誰にも邪魔されない自由な時間を客室で存分に過ごせるのも嬉しい限りだ。
また、客室や館内のいたるところで、伊豆在住の作家の作品を楽しむことができる。季節の草花で染めた糸を使った花暦スクリーンや、草花がかたどられた木漏れ日行灯など、花をテーマにした設えも、この宿の魅力である。
椿油づくりを体験し、温泉の力を知る
『界 伊東』でのご当地楽は、椿油づくり体験である。敷地内にも多くある椿は1月を中心に晩秋から春先まで花が楽しめるという。椿の実の殻を割り、圧搾機に入れてハンドルをゆっくり回すと、じわじわと油が出てくる。原理は単純だが、なかなか力のいる作業で、数粒の実から搾りだされるのは小瓶半分ほど。冬は、香り付けに沈丁花、柚子、檜のアロマオイルを数滴垂らして、完成。酸化が早いので、手足や髪などに馴染ませて滞在中に使い切るとよい。
「椿は長崎の五島列島のイメージがあったのですが、伊豆も、ですね。こうして植物の油ができるのか、というミニマムな体験。実はこのような体験はとても大切なことだと思います。いつも『身体に入れる油は、果実や種などを搾っただけのものがいいよ』と料理教室で話していますし、書籍でも書いています。まさにこの体験そのものが、一目瞭然。まぜものなしの体験ができますね」(山脇さん)
さて気になっていた温泉入浴の前に、「温泉いろは」で知識を得てから入ろう。火山のデパートである伊豆半島の成り立ちや、江戸幕府将軍への献上湯の歴史、文人墨客らにより花開いた温泉文化などの歴史を知ることができる。
温泉の泉質はカルシウム・ナトリウム―塩化物・硫酸塩泉で、弱アルカリ性という美肌の湯。毎分600Lという湯量があり、宿では4本の源泉をブレンドして大浴場、客室の風呂、プール、足湯、さらにシャワーもすべて源泉かけ流しという贅沢を叶えている。
「湯量の豊富さを誇る伊東らしく、露天風呂の岩から滝のように流れる湯に感動しました。温度もちょうどよく、のんびり浸かりました」と山脇さん。なめらかな湯が心も落ち着かせてくれた。
ひとり鍋会席で至福のひととき
夕食は半個室の食事処で、人目を気にせずに「ひとり鍋会席」を味わう。この日はご当地の柑橘、ニューサマーオレンジのジュレを使った金目鯛の先付から始まり、煮物椀、八寸やお造りなどの宝楽盛りと続く。山脇さんは鴨肉と蕪の煮物椀が気に入ったようで、ほっとする味に満面の笑みだった。
台の物は、ひとり用に仕立てられた山海鍋。ブイヤベースと、肉と野菜のスープの2種のたれに牛肉と金目鯛をさっと浸し、しゃぶしゃぶ風にいただく。ひとり用の土鍋は、人気陶芸家、伊集院真理子さんの特注品である。
翌朝は、7時からの「庭のひだまり散歩体操」に参加。やわらかな日差しの中で体をゆっくり目覚めさせる。
体操の後は、また日本庭園を散策してもよし、朝湯でリラックスしてもよし。庭の椿のピンク色の蕾を見つけ、山脇さんは椿の花の頃に再訪したいと、目を輝かせていた。
朝食では、鰺のなめろうを使った「まご茶漬け」が味わえる。「まご茶漬け」は伊豆の郷土料理のひとつで、鮮度の良い鰺のたたきをご飯に乗せてお茶やだし汁をかけていただく。ほかに鯖の柑橘みりん干しや自家製豆腐、具沢山の味噌汁など、ご飯のお代わりをしたくなるものばかりだ。
チェックアウトの12時まで、時間はたっぷり。「もう一度温泉に入ってきます!」と山脇さんの声が弾む。首都圏から近い避寒地であり、温泉リゾート地である伊東。のんびりと日常を忘れ、土地の恵みを存分に楽しむひとり旅。思い立ったら吉日に、出かけてみてはいかがだろう。
『界 伊東』
静岡県伊東市岡広町2-21
電話:050-3134-8092(界予約センター)
料金:1泊1名2万1000円~
山脇りこさん
長崎生まれ。料理家・エッセイスト。「きょうの料理」(NHK)をはじめ、テレビ、ラジオ、雑誌などで活躍中。『明日から料理上手』(小学館)のほか、台湾料理の本など台湾関連の著書も多い。旅のエッセイ『50歳からのごきげんひとり旅』(大和書房)が12万部を越えるベストセラーに。
●「界」について
「界」は星野リゾートが全国に展開する温泉旅館ブランドです。「王道なのに、あたらしい。」をテーマに、季節の移ろいや和の趣き、伝統を活かしながら現代のニーズに合わせたおもてなしを追求しています。また、地域の伝統文化や工芸を体験する「ご当地楽(ごとうちがく)」、地域の文化に触れる客室「ご当地部屋」が特徴です。