関ヶ原合戦図や源平合戦図には武将たちの家紋が描かれた旗や陣幕がはためき、その家紋はいまでも冠婚葬祭で着用する羽織や着物などに描かれています。家紋がわからない人も、名字の由来からその家のルーツや歴史を知ることができます。

『ルーツがわかる家紋と名字』(宝島社)では、日本の氏姓制度の導入から現代に至るまでの変遷など、家紋と名字のいわれと歴史をひもといています。いつか自分史を綴りたいと考えている人におすすめの一冊です。今回は、「日本全国の名字世帯数ランキングTOP3」をご紹介します。きっと、この名字を持つ読者も多いでしょうが、由来やルーツをご存じでしたか?

監修/高澤等、森岡浩

1位:最も多い名字第1位は藤原氏の子孫!「佐藤」

【全国密度ランキング】
1位 秋田県、2位 山形県、3位 宮城県 4位 福島県、5位 岩手県

主君にならなかったがゆえ全国各地で勢力を伸ばした

「佐藤」姓は藤原公清(きんきよ)が左衛門尉(さえもんのじょう)に任じられ、以後世襲したことから、左衛門尉の「左(佐)」と藤原氏の「藤」を組み合わせて「佐藤」姓を名乗ったものだ。ただし「左」ではなく「佐」の字を用いた理由は、平安中期の武将で、平将門を討ち関東一帯を支配した藤原秀郷(ひでさと)が下野国佐野(しもつけのくにさの/現在の栃木県佐野市)に居住したことから、「佐野の藤原」という意味で「佐」になったという説や、「佐渡の藤原氏」という意味で「佐」にしたという説など、さまざまな由来がある。ちなみに、藤原秀郷には近江三上山大百足(みかみやまのおおむかで)を退治したという伝説があり、「俵(田原/たわら)藤太(とうた)」という異名でも知られる(「俵」は大百足退治のお礼に米が尽きない米俵を贈られたこと、「藤太」は藤原氏の長男=太郎であることを意味する)。

中でも最も発展した佐藤氏は、下野国発祥で陸奥国信夫郡(むつのくにしのぶぐん/現・福島県福島市)に移住した奥州佐藤氏(信夫佐藤氏)だ。この一族は奥州藤原氏に属して繁栄、奥州全域および関東地方にまで勢力圏を広げた。そのため、現在でも佐藤姓は東北に多く分布しているのだ。ちなみに、源平争乱の折、源義経に郎党として臣従した佐藤継信・佐藤忠信兄弟も、この信夫佐藤氏の出身である。さらに、平家(桓武平氏のうち平清盛の家系の呼称)の滅亡に伴い、西国にあった平家方の所領に源氏方の御家人が移り住んだ。そのため、現在でも徳島県と広島県には西日本のほかの地域に比べ、佐藤姓が多い。どういうわけか佐藤姓は、鎌倉期から江戸期にかけて大名など高位につく人物をほとんど出さなかった。それゆえ、主君の姓を家臣が名乗れないのが通例だった時代にあって、全国的に広まることができたのである。

最も多い名字だけあって企業にも佐藤さんは多い

佐藤の名前を冠した企業も多い。佐藤と聞いて思い浮かぶのは、サトウ食品株式会社。「サトウのごはん」「サトウの切り餅」「サトウの鏡餅」などの商品でおなじみで、誰もが一度はTVCMを見たことがあるはずだ。そのほか、佐藤製薬株式会社もよく知られている企業だ。ロゴにも取り入れられている子象のマスコットキャラクターが印象的で、ヒット商品は「ユンケル黄帝液」。また、商品に値札を貼るためのハンドラベラーやバーコードプリンターの開発・製造・販売を行うサトーホールディングス(創業者・佐藤陽氏)は東証プライムに上場している。

上がり藤・源氏車(げんじぐるま)

佐藤氏で最も多い家紋は「源氏車」で、先祖が神官として奉仕していた伊勢外宮で遷宮が行われる時に用いる「刺車文錦(さしくるまもんのにしき)」の文様を家紋にしたもの。福島市の佐藤兄弟の墓にも源氏車紋がある。また藤原氏の出自を示す藤紋も多く用いられている。

2位:和歌山が生んだ日本を代表する名字「鈴木」

【全国密度ランキング】
1位 静岡県、2位 福島県、3位 山形県 4位 宮城県、5位 愛知県

稲藁を意味する「鈴木」海上交通に乗って広まる

「佐野の藤原」、「佐渡の藤原」など、さまざまな起源を持つ佐藤氏とは異なり、鈴木氏の起源は一地方に限定されている。その地方とは、紀伊半島の「熊野」だ。熊野では、刈り取って積み重ねた稲藁を「すずき」と呼び、ここから鈴木という名字が生まれたと推測されている。また、熊野の鈴木氏の本姓(氏)は「積み上げられた稲穂」を意味する穂積で、穂積姓鈴木氏のある一族が紀伊国藤白(現在の和歌山県海南市)に移住して、熊野の神々を祀る王子社の神官となった。平安時代後期になると、熊野本宮大社・熊野速玉大社・熊野那智大社の三つの大社を巡礼する「熊野三山信仰」が生まれる。折しも盛んになっていた阿弥陀信仰の影響を受け、熊野の地は浄土と見なされるようになり、皇族から庶民まで幅広い層の人々が「熊野詣」に訪れるようになった。熊野を訪れた上皇や法皇を三山に案内する役割をも担っていた藤白神社の神官だった鈴木氏は、「熊野信仰」とともに太平洋側の海上交通に乗って、東日本に広まっていった。いつしか鈴木姓は、熊野信仰を布教する人々に共通の名字となり、勢力圏を全国に伸ばしていったのである。現在、藤白神社近くには「鈴木屋敷」と呼ばれる鈴木一族の総本家が存在しており、鈴木姓発祥の地とされている。

鈴木といえばやはり軽自動車の王者と呼ばれたスズキ

鈴木という名字を社名に冠した企業といえば、四輪車・二輪車メーカーとして有名なスズキ株式会社だ。1909(明治42)年、元大工の鈴木道雄が織機メーカーとして起業、1952(昭和27)年からオートバイを発売し、5年後には四輪軽自動車へも参入を開始した。1973(昭和48)年~2006(平成18)年まで34年間の長きにわたり、軽自動車の売り上げで首位を独走、「軽の王者・スズキ」と呼ばれるまでになった。

抱稲(だきいね)

紀州藤白の地に移住し、熊野大権現の社家となった鈴木氏の代表的な家紋は、「抱き稲」など稲穂を意匠に用いたものである。

3位:日本で最も多い地名由来の名字「高橋」

【全国密度ランキング】
1位 岩手県、2位 秋田県、3位 宮城県 4位 山形県、5位 新潟県

渡し舟が当たり前だった時代のランドマークが名字に

「高い橋」がある場所という意味で名づけられた地名姓。かつての日本では都市部を除けば橋は珍しいもので、川は渡し舟で渡るものだった。そのため橋のそばに住む人たちの中から、橋のつく名字を名乗る者が生まれたのである。9世紀に編纂された古代氏族の系譜書『新撰姓氏録(しんせんしょうじろく)』には、8代孝元天皇の子孫で、天皇の食事係を務める家柄の豪族・高橋朝臣(あそん)の名が見られ、これが最古の高橋さんとなる。ほかにも、大和国添上郡高橋(そえかみぐん/現在の奈良県天理市)発祥の安倍氏族から生まれた高橋氏や、三河国賀茂郡高橋郷(現在の愛知県豊田市)発祥の藤原北家大森氏族から生まれた高橋氏などがある。

高橋姓を持つ著名人は多方面に存在

歴史上の偉人で特に知名度が高いのが、明治時代に日銀総裁・大蔵大臣・内閣総理大臣を歴任し、「ダルマ宰相」のあだ名で親しまれた高橋是清だろう(旧姓は川村で高橋家に養子に出された)。作家の高橋和巳、高橋源一郎、高橋三千綱、俳優の高橋英樹、高橋克典、高橋克実、高橋ひとみ。ミュージシャンの高橋幸宏、高橋ジョージ(本名・恭司)。スポーツ選手にも高橋姓は多く、シドニー五輪の女子マラソンで金メダルを獲得した高橋尚子や、バンクーバー冬季五輪の男子フィギュアスケート(シングル)で銅メダルを獲得した髙橋大輔などがいる。

笠(かさ)

代表的なものは「笠紋」である。古来、高橋氏には神職に就く者が多かった。古代の神々が高い所から降臨する際、竹を立てて神を迎えた。「竹を立てる」を文字にすると「笠」になることから、笠は神聖な物とされ、高橋氏の代表的な家紋になった説がある。

*  *  *

ルーツがわかる家紋と名字
監修/高澤等(家紋)、森岡浩(名字)
宝島社 880円

高澤等(たかさわ・ひとし)
1959年、埼玉県生まれ。日本家紋研究会会長、家系研究協議会理事。
学生時代より実父である日本家紋研究会前会長・千鹿野茂とともに家紋収集を始め、『都道府県別 姓氏家紋大事典』(柏書房)などの編纂に携わる。著書に『家紋大事典』『苗字から引く家紋の事典』(ともに東京堂出版)、『戦国武将 敗者の子孫たち』(洋泉社)など。

森岡浩(もりおか・ひろし)
1961年、高知県生まれ。姓氏研究家。
早稲田大学政治経済学部卒業。学生時代から独学で姓氏研究を行い、文献だけにとらわれない実証的な研究を続ける。特に現在の名字分布をルーツ解明の一手がかりとする。著書に『なんでもわかる日本人の名字』(朝日新聞出版)、『名字でわかる日本人の履歴書』(講談社)など。

 

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