文・写真/冨久岡ナヲ (海外書き人クラブ/英国在住ライター)
英国好き、鉄道好き、そして少し変わった旅先を探している人にぜひおすすめしたい島がある。それはアイリッシュ海に浮かぶ小さな島「マン島(Isle of Man)」だ。
バイクのレーシングが好きな人なら、「TTレース」の島? とピンとくるかもしれない。
毎年初夏に開催されるマン島TTレースは、1907年から続く伝説的オートバイレースだ。一般公道を封鎖して行われ、ライダーたちは民家の玄関すれすれの道を、時速300km近い速度で駆け抜ける。
「世界でもっとも過酷で危険なレース」とも呼ばれ、これまでに本戦と関連競技含め260人以上のライダーが命を落としている。それでもなお、世界中のトップライダーが憧れ続ける特別なレースだ。

正直に言うと、筆者も以前は「マン島=バイク好きの聖地」という程度の認識しかなかった。
ところが、実際に渡ってみて驚いた。
淡路島よりも少し小さな島に、多彩な保存鉄道が現役で走り回っているのである。
驚くほど充実した乗り物体験ができるだけでなく、ヴィクトリア時代の交通技術のすごさも実感できる島。鉄道好きはもちろん、英国文化好きにもたまらない「古き良き乗り物天国」だった。

マン島とはどんな場所なのか
マン島は、英国本土とアイルランドの間、アイリッシュ海に浮かぶ小さな島だ。面積は約570平方km。人口はおよそ8万人で、首都はダグラスにある。
「英国王室属領」という名称を持つが、れっきとした自治領だ。
チャネル諸島にあるジャージーなど他の王室属領島と同じく、独自の議会と政府を持ち、通貨も「マン島ポンド」を発行している。

さらに、低税率政策を誇る「租税天国」でもある。首都ダグラスには銀行や保険関連のオフィスが多く、金融業は観光業と並ぶ重要な産業だ。
とはいえ金融センターのお硬い雰囲気はなく、レンガ造りの古いホテル、パブ、レトロな鉄道と「古き良き英国の保養地」が色濃く残る。
街を歩く住民にも、ジャージー島のように税金逃れで移住した成金タイプはあまり見当たらない。職人風でフレンドリーな人が多く、ちょっと道に迷っていると「どこ探してるの?」と声をかけてくる。
かなり訛りの強い英語だ。地理的にこの島がリバプールとアイルランドの間にあるせいか、アクセントにも両方の影響が感じられる。
それに、この島固有の伝統言語「マン語(マンクス)」の名残もあるらしい。
ケルト語の一種、マン語は日常会話には使われていない。しかし、政府や教育団体が率先して復興活動を進めていて、バス停などの標識はすべてマン語と英語のバイリンガル表示だ。
三本足の奇妙な国旗、その由来とは?

血のように真っ赤な背景に、鎧をつけた「三本の脚」が矢車のように放射状につながっている。島中に掲げられている、この紋がついた旗はいったい何だろう。
これは「トリスケリオン(三脚巴紋)」または「トリスケル(三脚)」と呼ばれる紋章で、マン島の正式な国旗だ。古代地中海世界に起源があるとも、シチリア島の紋章との関連説もあり、中世の頃から使われるようになったらしい。
三本の足には、
“Whithersoever you throw it, it will stand.”
(どちらへ投げても立ち上がる)
という意味が込められている。つまり、負けないのだ。
荒波の海に囲まれ、ヴァイキング、スコットランド、イングランド、アイルランドと四方八方から幾度も攻撃や支配を受けながら生き延びてきた島。
トリスケリオンは、その歴史とマン島人のしぶとさを象徴しているわけだ。

海辺を走る路面馬車に乗ってタイムスリップ
首都ダグラスについてまず目に入るのが、海岸通りを馬に曳かれて走る「ダグラス湾路面馬車(ダグラス・ベイ・ホース・トラムウェイ)」。150年前に開通した路面軌道鉄道だ。

1830年にリバプールから蒸気船が就航し、観光客が本土から押し寄せるようになったのを受けて作られた。1970年代までイギリス有数の保養地だったダグラスを走る路面馬車は、常に夏一番の人気アトラクションだった。
2015年には、観光客数の減少などを理由に一度は廃業が決まったが、島の運輸局が救済に乗り出し公営化されている。
カポ、カポという蹄の音とともに、古風なレンガ造りの大型ホテルや劇場が建ち並ぶ海岸べりを進む路面馬車。いつしかヴィクトリア時代にタイムスリップしていくような気分になる。
北へ走る「マン島電気鉄道」に命がけ乗車
そして、路面馬車の終点駅から島の北へと向かうのが、「マン島電気鉄道」だ。
屋根についたパンタグラフを電線に接触させて走る。19世紀末に発明された方式だ。
客車は美しい骨董品のような一等車両と「トレイラー」と呼ばれるオープンデッキ車両の3等車。展望はこちらのほうが良さそうだと乗り込む。

発車時に、車掌から「列車から落ちないように気をつけて」と案内が。
そう言われても、手すりもシートベルトもない。しかたなく前のベンチの背にしがみついたが、これで断崖ぎりぎりの海沿いのカーブや森林の間を結構な速度で走り抜けるのだ。高台では眼下に荒々しい海が広がり、かと思えば田園地帯に入って緑の中に吸い込まれていく。

抜群に気持ちよく、またスリリングな乗り心地だった。
ダグラスのダービー城から、巨大な水車を持つ観光名所ラクシーを通って終点のラムジーまで片道1時間15分。乗り鉄なら、間違いなく一日潰せる。

山岳鉄道で「7つの王国」を見渡せるスネーフェル山頂へ
絶景につぐ絶景に大満足したあと、こんどは山岳鉄道へ。
電気鉄道の途中駅ラクシーから接続する「スネーフェル・マウンテン鉄道」に乗ると、島の最高峰スネーフェル山へ登ることができる。
そこでさらなる絶景に遭遇した。それは人生観が変わるほどのスケールだった。

急勾配をゴトゴトと登っていく小型の木造車。フェル式と呼ばれる独特なレール構造のおかげで、急坂でも逆走しない。これも19世紀末の先端技術だそうだ。
山頂に近づくと、まことに壮大な景色が現れる。
なんと、すっきりと晴れた日には「7つの王国」を見わたすことができるのだ。
その7つとは、
・イングランド
・スコットランド
・ウェールズ
・アイルランド
・マン島
・天国(キングダム・オブ・ヘブン)これは空を指す
・海(キングダム・オブ・ネプチューン)
筆者が訪れた日は、ドライバーが「15年勤めているがここまで鮮明に見えたことはない」と興奮したほどの快晴。広大なパノラマに圧倒され、ただ言葉を失ってたたずんだ。

「きかんしゃトーマス」ゆかりの本格蒸気鉄道
まだまだ「乗り鉄天国」は終わらない。
ダグラスから南へ向かって伸びるのは「マン島蒸気鉄道」だ。

1968年までは島全体を鉄道が網羅していたが、マイカー普及につれて乗客数が減り次々と廃線された。今では島の南端ポート・エリンまで延びる一線のみ、150年前の開通当時からのSLを走らせている。
蒸気を吹き上げながら、緑の牧草地と海辺を1時間かけて走る機関車。客車内は昔のままのレイアウトを保ち、六人掛けの個室が並ぶ車両もある。
途中には素朴な駅舎や手動信号機も残され、保存鉄道というよりも時代そのものが保存されている感覚だ。
終点のポート・エリン駅構内カフェには、世界中の子どもに人気の高い「きかんしゃトーマスとなかまたち」の原作者についての解説がある。

児童文学作家のウィルバート・オードリー神父は、鉄道をこよなく愛する家庭に育ち、いつしか「人のように個性や感情を持つ機関車が活躍する物語」を頭の中で描くようになったそうだ。
その後、休暇で訪れたマン島で、この蒸気機関車(当時は保存鉄道ではなく現役)乗車中にひらめきを得た。それが、きかんしゃトーマス誕生のきっかけだったそう。
物語の舞台である架空の島「ソドー」の名も、実はマン島のキリスト教区名である「ソドーおよびマン主教区」から取られている。
ここはまさにトーマスの島、ソドー島なのだ。
イギリス本土にも保存鉄道は多いが、マン島の魅力は「島全体が鉄道のテーマパーク」になっている点だろう。
レトロ鉄道ファンならずとも、ビートルズゆかりの地を訪ねてリバプールまで来たならぜひ足を伸ばしてほしい。リバプール港から高速フェリー約2時間45分でダグラス港に到達できる。
ロンドンからマン島へは各社の国内線が飛んでいる。飛行時間は約1時間、意外なほど近い島だ。

リンクと情報
ここで紹介した鉄道は、3月中旬から11月初旬までの運行となる。運行日や時刻は以下のリンクから確認を。
マン島を鉄道とバスで回るには、Go Explore交通パスを使うのがおすすめ。有効期間内ならすべての乗り物に乗り放題、非常にお得だ。1日〜7日用があり、空港かフェリーターミナルで購入できる。
ダグラス湾路面馬車
https://www.iombusandrail.im/heritage/our-railways/douglas-bay-horse-tramway/
マン島電気鉄道
https://www.iombusandrail.im/heritage/our-railways/manx-electric-railway/
スネーフェル山岳鉄道
https://www.iombusandrail.im/heritage/our-railways/snaefell-mountain-railway/
マン島蒸気鉄道
https://www.iombusandrail.im/heritage/our-railways/isle-of-man-steam-railway/
リバプールからマン島へのフェリー
https://www.steam-packet.com/routes-and-times/liverpool-isle-of-man
文・写真/冨久岡ナヲ (英国在住ライター)
ロンドン在住のジャーナリスト、英国ビジネスや時事ネタを中心に執筆中。旅と鉄道と食が趣味。共著に「コロナ対策 各国リーダーたちの通信簿(光文社新書)」がある。海外書き人クラブ会員(https://www.kaigaikakibito.com/)。











