「妻は子供を欲しがったが、僕は全く協力できなかった」

正和さん夫婦には子供がいない。妻は結婚当初から子供を望んでいたが、授からなかった。

「お互い30歳で結婚して、35歳になっても子供ができなかった。妻は不妊を疑い、産婦人科に行った。そして医師から『問題ない』と言われたのです」

当時、今のように男性不妊のことは知られていなかった。

「世間全体に『子供ができないのは女性側に原因がある』という固定観念が根強く残っていた頃でした。だから、妻から『検査を受けてほしい』と言われたとき、『俺は関係ないだろう!』と怒鳴ってしまったんです。

それでも妻から『どうしても』と言われて、妻と産婦人科に行きました。医院の扉を開けると、妊婦さんだらけで男は僕だけ。妻に促され、勇気を持ってピンクのスリッパに履き替え、受付をする。しばらくすると、看護師さんが僕を鼻で笑うように見て、女性用トイレに“使用中止”と張り紙をしました。

そして、成人雑誌とプラスチックのカップを渡されて、『あちらで採精してください』と言ったんです。くすくす笑っている女性もいて、プライドはズタズタですよ。僕は『ごめんなさい。できません』と帰りました」

当時、不妊治療に対応している医療機関が少なく、男性に対する配慮がされているとは言えなかった。

「屈辱的でした。あんなことに耐えられる男はいないと思った。でも、意外と周りに不妊治療をしている人はいたんです。それを知ったのは、僕が45歳のときでした。3組の友人夫妻が世間体よりも、自分たちの意思を大切にして、夫婦で治療に取り組んでいました。当時、費用も高額かつ全額負担で、治療も痛みを伴う。親から借金して治療した人もいました」

正和さんは、それを拒否した。45歳になって、子供を欲しがっていた妻に取り返しがつかないことをしたことにやっと気づいた。

「妻に『不妊治療に全く協力せず、ごめんなさい』と謝ると、『本気で子供が欲しかったら、あなたと離婚して、別の人と結婚していた。そこまで欲しいわけではなかった』と言われたときは、なんとも言えない気持ちが湧き上がると同時に、『俺にとって家族は、この人しかいないんだ』と強く思い、妻と一心同体になったような気持ちになったのです」

その年、同じく45歳だった妻は勤務していた地方銀行を辞め、派遣社員になる。

「妻の収入は半減しますよね。マンションのローンもあるし、互いの老後費用の心配もあるので、辞めることは反対でしたが、妻には負い目があるので『いいよ』と言いました。妻はマイペースに働きつつ友達と旅行したり、遊びに行ったりしながら、楽しそうにしているので、本当によかったと思っています」

妻は、現在も働いており、45歳から「生きがい」を見つけていたので、65歳の今も派遣社員の仕事をしつつ忙しそうにしているという。

「国家資格である、ファイナンシャル・プランニング技能検定や、民間資格のメンタル心理カウンセラー、チャイルドカウンセラーなどの資格をとり、資格に関連したアルバイトもしている。メインのお金は派遣で稼ぎ、趣味と実益を兼ねた仕事を3〜4つ掛け持ちしている妻のような定年後は理想です。でもそれは、妻が40代半ばから、シニア時代のキャリアの準備をしていたからできるんでしょうね」

【妻が「再就職しなければ離婚」と言った背景にあるのは……その2に続きます】

取材・文/沢木文
1976年東京都足立区生まれ。大学在学中よりファッション雑誌の編集に携わる。恋愛、結婚、出産などをテーマとした記事を担当。著書に『貧困女子のリアル』 『不倫女子のリアル』(ともに小学館新書)、『沼にはまる人々』(ポプラ社)がある。連載に、Webサイト『現代ビジネス』(講談社)などがある。『女性セブン』(小学館)などにも寄稿している。

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