汝の敵を愛せよ

五十路の坂に差しかかる頃、ふと立ち止まって、これまでの歩みを振り返ることが増えてきます。そんなとき、自分の半生を言い表す「短い言葉」を探してみるのも一興です。先人の名言やことわざの中に、「まさにこれだ」と腑に落ちる一文が見つかるかもしれません。

名前も知らなかった人物の言葉が、不思議と自分の経験に重なる… そんな「偶然の一致」が、背中を押してくれることもあります。今日の言葉は、いまのあなたに何を示してくれるでしょうか。

さて、今回の座右の銘にしたい言葉は「汝の敵を愛せよ」 です。

「汝の敵を愛せよ」の意味

「汝の敵を愛せよ」について、『⼩学館デジタル⼤辞泉』では、「悪意を抱いて迫害する者に対して、慈愛をもって接せよ」とあります。ここでいう「愛せよ」は、必ずしも相手を好きになりなさい、という意味ではありません。無理に親しくすることでも、何をされても我慢することでもありません。大切なのは、憎しみに憎しみで返さない姿勢です。

人生を長く生きると、誰しも「この人とはどうしても合わない」「あの一言は今でも許せない」という経験を持つものです。特に50代以降ともなれば、職場での軋轢、親戚付き合い、ご近所トラブルなど、さまざまな摩擦を経験されてきたことでしょう。そうした「敵」とも呼べる相手に対して、感情のままに怒りや憎しみで打ち返せば、そこに生まれるのは果てしない争いだけです。

相手を「好き」になる必要はありません。相手もまた不完全な一人の人間であることを理解し、冷静に寛容な心で接すること。憎しみに心を支配されることなく、自分自身の心の平穏を保つこと。これこそが、「汝の敵を愛せよ」が教えてくれる大人の処世術なのです。

「汝の敵を愛せよ」の由来

「汝の敵を愛せよ」は、新約聖書に記されたイエス・キリストの言葉に由来します。よく知られているのは、『マタイによる福音書』第5章の一節です。

そこでは、イエスが「敵を愛し、自分を迫害する者のために祈りなさい」と説いています。これは、山上の説教と呼ばれる教えの中に含まれる言葉です。山上の説教は、イエスの教えの中心部分として、キリスト教文化圏だけでなく、世界の思想や文学にも大きな影響を与えてきました。

当時のユダヤ社会では、「隣人を愛し、敵を憎め」という考え方が一般的でした。やられたらやり返すという「目には目を、歯には歯を」の同害報復の原則です。しかしイエスは、これまでの常識を覆す教えを説きました。

「しかし、わたしは言っておく。敵を愛し、自分を迫害する者のために祈りなさい」

自分を愛してくれる人を愛するのは、誰にでもできる簡単なことです。しかし、自分に敵対する者に対してさえも慈愛の心を持つことこそが、神の子としての本来のあり方であると説いたのです。これは、キリスト教の根本思想である「アガペー」(無償の愛)を象徴する言葉として、2000年以上の時を超えて世界中で語り継がれてきました。

「汝の敵を愛せよ」を座右の銘としてスピーチするなら

「汝の敵を愛せよ」の由来は聖書ですが、この言葉が伝えるメッセージは普遍的な人間観であり、信仰の有無とは切り離して語れます。スピーチの場では自分の人生経験と結びつけた語り口にすることが大切です。以下に「汝の敵を愛せよ」を取り入れたスピーチの例をあげます。

人間関係を円滑にするヒントとしてのスピーチ例

私の座右の銘は「汝の敵を愛せよ」です。若い頃の私は、この言葉を聞いても「自分を陥れようとする相手を好きになるなんて、到底無理だ」と反発を感じていました。血気盛んだった30代、40代の頃は、仕事で意見が対立する相手を論破することに必死で、まさに「敵」として戦っていたように思います。

しかし、50代を過ぎ、さまざまな人間関係の摩擦を経験する中で、少しずつ考えが変わってまいりました。相手を憎み、怒りを抱えている間、一番消耗し、傷ついているのは他でもない自分自身の心なのだと気づいたのです。

「敵を愛する」とは、相手に迎合したり、無理に好きになったりすることではありません。自分と違う価値観を持つ相手の存在を認め、憎しみの連鎖を自分のところで断ち切ること。相手の不幸を願うのではなく、静かに受け流す寛容さを持つことだと、解釈しています。残りの人生、憎しみではなく、少しでも多くの寛容さを持って人や社会と関わっていきたい。自戒の念も込めて、この言葉を私の座右の銘としております。

最後に

「汝の敵を愛せよ」は、決して簡単な言葉ではありません。むしろ、簡単にはできないからこそ、人生の節目で何度も立ち返りたくなる言葉です。人生後半戦は、体力や気力の変化とともに、これまでとは違う価値観が求められる時期でもあります。

人間関係のしがらみや過去のわだかまりに囚われることなく、心を軽くして生きていくために、ぜひ、この言葉を心の引き出しにしまっておいてください。

●執筆/武田さゆり

武田さゆり

国家資格キャリアコンサルタント。中学高校国語科教諭、学校図書館司書教諭。現役教員の傍ら、子どもたちが自分らしく生きるためのキャリア教育推進活動を行う。趣味はテニスと読書。

●構成/京都メディアライン・https://kyotomedialine.com

 

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