「“歌う”ということで、生きる価値を見つけた」

草の根の歌手活動を続けて、今年で35年−−。生後すぐ両親と離れ離れになった自らの運命を恨むこともあったが、そこに差し込んだひと筋の光が“歌う”ということだった。今、歌によって救われた心の軌跡を語る。

_D6A9667←あらがき・つとむ 昭和27年、沖縄生まれ。少年の頃から歌手になる夢を抱くも、牧師の導きで沖縄県立盲学校から東京クリスチャンカレッジ、西南学院大学神学部に進む。28歳から“歌う伝道師”として草の根活動を続ける。34歳で武蔵野音楽大学に入学。同大学院修了。49歳の時に『さとうきび畑』でCDデビュー。その伸びやかな歌声が話題となる。

 

「自分には歌がある。それを支えに今まで生きてこられました」

盲目のテノール歌手は、過酷すぎる少年時代をそう振り返る。

昭和27年、沖縄県読谷村(よみたんそん)に生まれた。父は沖縄米軍兵のメキシコ系アメリカ人、母は沖縄の人。生後すぐに不慮の事故で視力を失う。1歳の時に両親が離婚。父は祖国に帰り、母は再婚したために祖母に育てられた。

祖母は歌が好きな人だった。家事をしながら童歌や『てぃんさ(鳳仙花)ぬ花』などの沖縄民謡をよく口ずさんでいた。新垣少年も歌が得意で、先生の指名で小学校の行事で歌うことが多かった。

中学2年の時に祖母が他界。天涯孤独となり、生きる望みを失う。
「この世に存在する意味などないと、井戸に飛び込もうとした。友人に止められましたが、そんな私を救ったのがラジオから流れてきた賛美歌でした。その美しい調べをもう一度聴きたいと教会を訪れ、ひとりの牧師に出会ったのです」

その牧師は、両親への募る想いを黙って聞いてくれた。牧師のすすり泣きが聞こえてきた。
「その時、思ったのです。私に罪を犯させないために、神様は私から視力を奪ったのではないかと」

洗礼を受け、牧師の道を「センタク」する。盲学校を卒業し、神学の大学に進んで聖歌隊に入った。ここでも「あなたの声は、追いかけてでも指導する価値がある」といってくれる先生に出会い、世界的なヴォイストレーナーのA・バランドーニ氏のオーディションを受けた時も「君の声は日本人離れしたラテン的な響きをもっている。これは神からの贈り物だ」と絶賛してくれた。両親からもらった声を褒められたことで、両親への恨みは少しずつ溶けていった。

こうして“歌う伝道師”として草の根活動を始め、『さとうきび畑』でCDデビュー。《人は出会いで決まる、出会いで変わる、出会いで成長する》が持論である。

 

img033←還暦を過ぎたが、今も週3~4回は『おしゃべりコンサート』を開催。学校や教会で催すことも多い。聴衆を惹ひ きつける話術は、中高生の時のDJ経験が生きている。

img032←趣味は旅と落語を聴くこと。左は平成19年に訪れたイタリア・ミラノの『スカラ座』前で。

 

 

●“歌う伝道師”としての活動や30代半ばでの音大入学、代表曲『さとうきび畑』に込めた願いなど、興味深い
この話の続きは「ワタシの、センタク。」のウェブサイトで公開中です。

ワタシの、センタク。
http://towa-sentaku.jp/anohito/sarai/

提供/東和薬品

 

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