
2026年10月15日、厚生労働省は75歳以上の後期高齢者の公的医療保険料や窓口負担の算定に、金融所得を反映させることを検討していると報道があった。2029年8月から始める方針とのこと。自治体が株式の配当や譲渡益などを把握し、所得に応じた金額を決めていくという。
麻子さん(62歳)は「昔に比べて、生活に必要なお金の負担は増えています。金融資産があっても不安だらけ。定年後、75歳くらいまで働けて、ずっと抱えてきた死の意味について考えられるような仕事を探しました」と語る。
麻子さんは高卒で大手電子機器メーカーの工場に勤務する。1982(昭和57)年当時、東京にはまだ、大規模な製造工場があったのだ。その後、中国工場の立ち上げに携わり、結婚と離婚を経て、会社勤務を続けてきた。
【これまでの経緯は前編で】
家業を継いだ元夫が10年ぶりに来たが……
離婚から10年、元夫はリーマンショック後に麻子さんのマンションを訪ねて来た。元夫は北関東で製造業の会社を父から事業承継している。同じ製造業として窮地を察した麻子さんは、元夫が金に困っているとピンときて、会話が始まる前に「5万あればなんとかなるよね。これはあげるから」と渡した。当時、麻子さんは45歳で、元夫は43歳だった。
「大きな借金を頼まれると思ったんです。2年の結婚生活で『貸して』と言われて渡したお金は返ってきませんでした。それだけでなく、私を高卒だとバカにしたり、不機嫌な態度をわざととって機嫌を取らせたりと、いい思い出がなかった。元夫は見た目も外面もいい。けれど誠実に対応しない人だということもわかっていたんです。さらに私は暴力も振るわれましたからね。だからトラブルに巻き込まれないための予防線を張ったのです」
元夫が「そういうことじゃないんだ」と出ていった後、「これでもう、あいつは来ない」とホッとしたという。
「それから1年が過ぎ、元夫との共通の知人と銀座でばったり会った。私の顔を見るとハッとした顔をして、『お茶でも飲もう』と誘ってきたのです。彼は恐妻家で、女性と2人で喫茶店など行かない人です。『どうしたんですか?』と聞くと、『知らないみたいだから言うけど、あなたの元旦那さん、1年前に亡くなったよ』と言った。死因を聞くと、『心不全ってことになっているけれど、実際は自死みたいだよ』と。遺書はなく、明らかにお金の問題だったそうです。元夫は曽祖父が創業した会社を潰してなるものかと資金繰りに奔走したと聞き、目の前が真っ暗になりました。元夫は再婚もせず、家族は老いた母と姉だけだったそうです」
もし、麻子さんが、元夫にお金を渡さず、話を聞いて「大丈夫だよ」とか「頑張りな」などと言ってあげれば、彼は生きたのだろうか?
「それがわからない。亡くなってしまうと、縁あって結婚してそれなりに幸せな日々があったことを思い出すのです。教えてくれた人は『あんなところで会うってことは、元旦那さんはあなたに知ってほしかったんだろうね』と言って帰って行きました」
その年は、親しい人の死が相次いだ。工場で一緒に働いた親友が肺がんで、麻子さんを引き上げてくれた本社の社員が食道がんで亡くなった。
「皆、40代後半で“50歳の坂”が越えられなかった。元上司、高校の同級生ほか、たくさんの人が亡くなりました。でも、今でも思い出すと泣いてしまうのが、弟夫妻の一人息子が小児がんにより13歳で亡くなったこと。腕に悪性腫瘍ができ、切断したのに全身に転移して。抗がん剤で苦しみつつ、息を引き取りました」
これからの人生を一緒に過ごしていこうと思った人が、立て続けに亡くなったことで、心の病も発症する。
「朝、起き上がれなくなってしまい、うつだと診断されて休職しました。当時は心が弱い人がなる病気だと思っていたので、自分が不甲斐なくて……。死んで楽になりたいと何度も思って、実際にマンションのベランダから下を見たこともあります」
その度に浮かんでくるのは、両親と弟夫妻が悲しむ顔だった。
「結局は家族なんだと。私は誰とも家族を作れなかった。一人で生きるのは本当に辛いものなんですよ。2か月で復職したのですが、以前よりも仕事に身が入らなかった。でもそのほうが評価は高いのです。仕事は頑張りすぎないほうがいいのかもしれませんね」
【同じ仕事で給料4割カット、雇用延長はしなかった……次のページに続きます】







