文・絵/牧野良幸

俳優の岸惠子さんが、2026年8月7日に亡くなられた。93歳だった。

僕が岸惠子という女優を知ったのは、1970年代の初め、中学生の頃だったか。フランスの映画監督イヴ・シァンピと結婚していた頃で、「フランス在住の女優」という知的で洗練されたイメージだった。実際、岸惠子は女優だけでなく、作家やジャーナリストとしても活動した。

大人になって岸惠子の過去の映画に興味を持つと、「真知子巻き」で有名な『君の名は』三部作(1953年から)がまず気になった。再会を約束した男女のすれ違いのドラマは確かに面白く、岸惠子は出演していないが、1952年に流されたラジオドラマ版では、放送時間に銭湯の女湯が空になったという逸話も、もっともだと思ったくらい。

岸惠子はフランスに拠点を移してからも、時折帰国して日本の映画に出演した。今回取り上げる『細雪』もその一作である。市川崑監督の1983年の作品だ。

この作品、東宝創立50周年記念映画ということもあり、力が入っている。特に女優陣が豪華。岸惠子、佐久間良子、吉永小百合、古手川祐子と名だたる女優が出演している。

映画の冒頭は京都の花見の場面。四姉妹が並んで桜の下を歩くシーンは、いきなり「映画のクライマックス」と言いたくなるくらい華やかである。1983年のカラー作品にこう書くのも変だけれども、あえて“総天然色”と述べたいくらい、4人の女優とその着物姿が豪華。

市川崑監督の映画では古い日本家屋の暗い映像が印象的だけれども、色彩豊かな映像も印象的である。バックに流れる音楽はシンセサイザーのようだが、不思議と和風な感じがする。

物語の舞台は関西で昭和13年の出来事だ。日中戦争の頃である。しかし原作の小説でもそうだが戦時中の雰囲気は控え目で、この時代の「あでやかな女性の世界」を描いている。

大阪船場の由緒ある蒔岡家には、長女鶴子(岸惠子)、次女幸子(佐久間良子)、三女雪子(吉永小百合)、四女妙子(古手川祐子)がいた。

しかし蒔岡家は没落しており、四姉妹はその自覚もないまま、日々の暮らしをしているのだった。

長女の鶴子は大阪上本町に、婿養子の辰雄(伊丹十三)と6人の子どもと暮らしている。辰雄はいわゆるサラリーマンだが、本家の立場から、船場にあった蒔岡の店仕舞いをした。その強引なやり方や、四女妙子の駆け落ち騒動の対応で不手際もあり、雪子や妙子からよく思われていない。

次女の幸子は、これも婿養子の貞之助(石坂浩二)と芦屋で暮らしている。阪神間にある閑静な高級住宅地だ。

貞之助もサラリーマンであるが、辰雄と違って腰が低く面倒見がいい男なので、雪子や妙子に慕われ、二人は本家を離れ、幸子の家に暮らしているのだった。幸子は次女ながらしっかりしたところがあるので、実際に蒔岡家をまとめているのは、分家の幸子ということになる。

映画は、三女雪子の見合い話や、四女妙子の男関係の事件に絡めて、本家と分家がぶつかり合うところを描いている。雪子ははっきりと物を言わない内向きな女性。妙子は人形制作という職業を持つ自由奔放なモダンガールと、対照的なところも面白い。

岸惠子の著書『岸惠子自伝 卵を割らなければ、オムレツは食べられない』によると、最初市川監督が考えた長女の鶴子役は山本富士子だったらしい。山本富士子が辞退したため、岸惠子のもとに監督からパリに電話があり、鶴子役を引き受けたのだそうだ。

長女の鶴子は本家を守る責任があるのだろう、保守的なところがあり、幸子や妙子とぶつかったりする。しかしすぐに興奮するものの、肝心なところでのんびり屋なところがある。そんなところが岸惠子にピッタリだと思う。

鶴子は上本町の古い家に住んでいるので、昔の古い家屋の中で岸惠子の着物姿が映える。電話の受話器を耳につけて話す鶴子。どうやら法事の段取りで叔母から苦情がきているようだ。

「はあ、抜き打ちで決めたんは行けまへんわなあ、かんにんしとくなはれ」

可愛らしくて、ちょっとハスキーな関西弁。文章では岸惠子の声を伝えられないのが残念である。岸惠子は若い頃、壮年の頃と、歳と共に特色のある女優になっていったけれども、彼女の声はいつの時代も心地よい。

雪子の見合いの日、着付けをする鶴子。妹の幸子が手伝っている。

「あかん、この帯もあかん」と泣き出しそうな鶴子。

「ねえちゃん、なんでや」と幸子。

「この帯もきゅうきゅう言うてるわ」

「ほんまや」

そこで二人で大笑いをするのだった。本家と分家とはいえ、鶴子と幸子は仲が良かった。

物語は辰雄が東京へ転勤になることでクライマックスを迎える。京都より東に行ったことがない鶴子は、東京行きに難色を示すが、ついには納得する。

本家の蔵にあるものを、整理している鶴子。幸子と雪子が手伝いにくる。

「わたし、本家にこだわり過ぎてたんや、長女に生まれて……」

「ねえちゃん、私こそ気楽な分家やさかい、ちっとも本家のこと考えなんだ」

涙を流しながら抱き合う鶴子と幸子。辰雄との夫婦喧嘩で泣き伏すシーンもそうだったが、岸惠子の演じる鶴子は、自身が保守一辺倒の女ではないことを仕草や話し方で伝える。

谷崎潤一郎の小説では、鶴子が東京に行ってからも物語は続き、雪子の見合いや阪神大水害、妙子の恋愛事件、それから登場人物の病気の話(これが多い)などが描かれていて長い(しかし非常に面白い小説)。それを鶴子の上京を終結に持ってきて、コンパクトにまとめた脚本は秀逸だと思う。

今回は岸惠子のことばかり書いたが、佐久間良子、吉永小百合、古手川祐子もそれぞれに素晴らしい。キャスティングの良さといえば、伊丹十三と石坂浩二も存在感がある。蒔岡四姉妹が輝いているのは、辰雄や貞之助という男がいるからだとも言える。

岸惠子さんは若い頃も、壮年時代も、円熟の時代も、それぞれで輝いていた。個人的に好きなのは、この連載にも書いた『おとうと』(1960年 https://serai.jp/hobby/225509)、『黒い十人の女』(1961年)、『約束』(1972年)、『かあちゃん』(2001年)などである。いずれの時代も岸惠子さんは可憐で美しい。

* * *

『細雪』
1983年
上映時間:140分
原作:谷崎潤一郎
監督:市川崑
脚本:市川崑 日高真也
撮影:長谷川清
出演:岸惠子、佐久間良子、吉永小百合、古手川祐子、石坂浩二、伊丹十三ほか

文・絵/牧野良幸
1958年 愛知県岡崎市生まれ。イラストレーター、版画家。音楽や映画のイラストエッセイも手がける。著書に『僕の音盤青春記 1971-1976 増補改訂版』 『少年マッキー 僕の昭和少年記 1958-1970』、『オーディオ小僧のアナログ放浪記』などがある。
ホームページ https://mackie.jp/

『僕の音盤青春記 1971-1976 増補改訂版』
シーディージャーナル

 

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