現在の奈良県にあたる、「大和国」。古代には大和政権が生まれ、飛鳥京や藤原京、平城京が置かれるなど、日本の政治と文化の中心となった地域です。
しかし戦国時代の大和国では、興福寺などの大寺院や在地の国衆、さらに周辺から進出してきた武将たちが激しく勢力を争いました。その争いを経て、天正13年(1585)、豊臣秀吉の弟・秀長が郡山(こおりやま)城に入ります。
では、大和国はどのような土地で、なぜ秀長が治めることになったのでしょうか? 戦国時代の歩みを見ていきましょう。

「大和国」の読み方と名前の由来
まずは、読み方から確認します。
「大和国」の読み方は……
「やまとのくに」です。
「和州(わしゅう)」とも呼ばれました。
「ヤマト」は、もともと奈良盆地東南部、三輪山周辺を指す地名だったと考えられています。そこから意味する範囲が広がり、大和国全体、さらには日本そのものを表す言葉としても使われるようになりました。
古くは「倭」「大倭」などとも記され、奈良時代には一時「大養徳」と表記されることもありました。その後、「大和」という表記が定着していきます。
ただし、「ヤマト」という名称そのものの由来は定かではありません。山の麓を意味する「山本」と関係するという説などがありますが、確かなことはわかっていません。
戦国時代の「大和国」の変遷
大和国の戦国時代を理解する上で特徴的なのが、長く続いた寺社勢力と国衆の存在です。そこへ松永久秀や織田信長が進出し、やがて豊臣秀長による新たな支配へとつながっていきます。
松永久秀が大和へ進出
中世の大和では、興福寺が強い影響力を持ち、筒井氏、越智氏、十市氏、古市氏などの国衆が各地で勢力を争っていました。そのため、他国のように一人の戦国大名が大和全体を支配する体制は、なかなか生まれませんでした。
その状況を大きく変えたのが松永久秀です。
永禄2年(1559)、三好長慶の家臣だった久秀は大和へ進出し、信貴山城を拠点としました。さらに奈良に多聞山城を築き、大和支配を進めます。
これに対抗したのが筒井順慶でした。久秀と順慶の争いは長く続きましたが、やがて両者とも織田信長の勢力下に入ります。
信長のもとで筒井順慶が大和を支配
天正5年(1577)、信長に再び反旗を翻した松永久秀は、信貴山城で滅亡します。

写真:貝阿彌俊彦(京都メディアライン)
その後、大和支配の中心となったのが筒井順慶です。天正8年(1580)には信長が大和国内の城を郡山城に集約する方針を進め、所領の把握も行いました。
これによって、興福寺や国衆を中心としてきた中世的な大和の支配体制は、大きく姿を変えていきます。
本能寺の変後、順慶は羽柴秀吉に従い、大和の領有を続けました。しかし天正12年(1584)に順慶が死去すると、養嗣子・筒井定次が跡を継ぎます。
秀長が郡山城へ。大和は豊臣政権の重要拠点に
天正13年(1585)、秀吉は筒井定次を伊賀へ移し、弟の秀長を郡山城に入れました。
秀長は大和を中心に広い地域を支配し、郡山城を大規模に整備するとともに、城下町の発展を進めました。
一方で、大和各地の国衆には国外への退去か帰農を求め、寺社の武力や経済的特権にも制限を加えました。長く寺社や国衆が力を持っていた大和を、豊臣政権による武家支配のもとへ組み替えていったのです。
大和国は、大坂に近く、京都や紀伊方面にも通じる重要な土地でした。秀吉が信頼する弟・秀長をここに置いたことからも、その重要性がうかがえます。

写真:photoAC
最後に
大和国は、古代以来の寺社勢力と国衆が複雑に入り組み、戦国時代にも独特の支配構造を残していました。松永久秀、筒井順慶、織田信長らによる争いを経て、その大和を任されたのが秀長です。
秀長の大和入国は、単なる領主交代ではありませんでした。中世以来の寺社・国衆を中心とする社会から、豊臣政権による支配へと大和が大きく変わる転換点だったのです。
『豊臣兄弟!』で秀長が大和国を領する場面を見る際には、郡山城を中心に、彼がどのような国づくりを進めていくのかにも注目したいところです。
※表記の年代と出来事には、諸説あります。
●取材・執筆/末原美裕

1300年の歴史を持つ京都に住むようになって早くも10年以上が経つ。「戦国武将の生き字引」を目指し、実際に武将たちのゆかりの地を訪ね歩きながら「日本史人物伝」「日本史事件録」などの記事を執筆している歴女。歴史好きが高じて『京都学問所紀要 鴨長明の世界』『京都学問所紀要 方丈記』(ともに賀茂御祖神社京都学問所)の書籍を編集。京都の奥深い歴史と文化を日々探究中。
Instagram:@kyoto_monokaki note:@kyoto_monokaki
Facebook:@kyotomedialine
引用・参考図書/
『日本大百科全書』(小学館)
『世界大百科事典』(平凡社)
『国史大辞典』(吉川弘文館)
『日本歴史地名大系』(平凡社)











