キャンペーンガールに「社員にならない?」
優子さんは、芸能の仕事に魅力を感じ、市役所を辞めることにしたという。
「父は結婚させたいと思っていたので、仕事を辞めることはどうでもいいようでした。ほとぼりが覚めたら適当に結婚すると思ったのでしょう。ただ、母は『公務員は一生続けられる仕事だけど、本当にいいの?』と何度も確認してきました。私は華やかな世界に行きたかったので、『自分の力を試したい』とか適当なことを言って、退職したのです。あと実家が東京から1時間のところにあり、仕事がなくなっても住むところに困らないですしね」
優子さんは、ある企業のショールームに配属された。
「水着は嫌だと言ったら、コンピューター関連の地味なショールームの配属になったのです(笑)。キャンペーンガールとして、1日お客様対応しているだけで、1万円以上もらっていました。私は『そんなにいただいたのに、パンフレットを渡すだけでは申し訳ない』と思い、商品解説、1日の来場者と属性の分析なども行い、報告したのです。
半年くらい過ぎたら、その会社の副社長から『契約社員にならない?』と声をかけていただきました。所属事務所は『超ミニスカートも水着も、ノースリーブも嫌です』と拒否する私を持て余していたので、引きとめもしませんでした」
25歳で入社したとき、会社はさほど大きくなかった。
「ショールームの女の子を社員にするほどゆるかったし、人手も足りなかった。私は元公務員で、一通りの事務作業ができるので、営業補佐から営業になったタイミングで正社員になりました。そして、PR、広報、販促などいろんな仕事で重宝されたのです。入社してから20年で会社はどんどん大きくなっていき、誰も知らない会社から、みんなが知っている会社になり、学生が入りたがる会社になった。気づけば私は40代後半になっており、“元キャンギャル”とからかってくれる人は、この年に皆定年になり、子会社に出向していきました」
優子さんはイレギュラーな採用なので、同期のつながりはない。
「社内ではおじさま方に可愛がられている人、という認識を持たれていたし、誰かの愛人じゃないかと言われていることも知っていました。ただ、私はものすごく潔癖なので、男の人が苦手。愛人なんて無理なんです。何人かの男性と付き合いましたが、皆『ちょっと合わないと思う』と去っていきました。私はおかしいと思うことはしっかりと意見を言うし、生活圏内に他人が入ってくるのが苦手。相手のことは、ちゃんと好きだったんですけれどね」
優子さんには兄と姉がおり、甥と姪が5人もいる。よく面倒を見ていたから、子育て欲は満足したという。
「子供って可愛いのは9歳くらいまで。あっという間に大きくなって、大学を卒業して社会人ですよ。みんなまあまあいい大学を出ているのに、ウチの規模の会社に入った子はいなかった。彼らが就活のときに『おばちゃんの会社にエントリーしたけど、多分無理』と言われましたから」
優子さんは、当時を振り返り「企業にいると、その中の世界が全てだと思ってしまう。これが間違いでした」と言う。定年後、友人と起業して、すぐに決裂したというが、何があったのだろうか。
【PRコンサルティングの仕事を立ち上げるが、すぐに決裂……その2に続きます】
取材・文/沢木文
1976年東京都足立区生まれ。大学在学中よりファッション雑誌の編集に携わる。恋愛、結婚、出産などをテーマとした記事を担当。著書に『貧困女子のリアル』『不倫女子のリアル』(ともに小学館新書)、『沼にはまる人々』(ポプラ社)がある。連載に、Webサイト『現代ビジネス』(講談社)などがある。『女性セブン』(小学館)などにも寄稿している。











