写真:photoAC

定年で夫婦の“あり方”を変える人が増えている。2026年7月に博報堂が発表した『シニア調査』(60~74歳男女700人に実施)によると、法律上の婚姻を維持したまま、夫婦が干渉せずに自立した生活を送る“卒婚”を望む人は39.5%だった。離婚意向がある人も12.7%おり、最新の『人口動態統計月報年計(概数)の概況』(厚生労働省・2026年)の「同居期間別にみた離婚件数の年次推移」を見ると、離婚全体の件数が前年に比べて減り続けている(約18万組・約6836組減)のに、結婚30年以上の離婚数は微増(約1300組・前年比約240組増)していた。

友美さん(64歳)は、「定年を機に、婚活をしました。1年間頑張りましたが、全滅して敗退(笑)。今、熟年離婚した友達と暮らしています」という。

実際の株券が発行されていた時代に、証券会社に入る

友美さんは、短大卒業後の1983(昭和58)年に大手証券会社に入社した。父親のコネ入社だったという。

「結婚までの腰掛けで有名な会社に入る子が多かった時代です。就活もろくにしなくても入れたんです。“それなり”の短大を出た女の子は、男性社員のお嫁さん要員という時代ですから。私も会社に入って『どの人がいいかな』と同期の子と話していたんですよ。

私は丸顔で、おじさまが好きそうな顔をしているからと、都心に近い住宅街にある支店の窓口に配属されました。当時、オンライン取引なんて全くない時代でしょ。お客様は来店して、株式や投資信託の売買をしていたんですよ。今では信じられないですよね」

支店の窓口仕事は多岐に渡り、顧客からの電話応対(株価の問い合わせ、注文の受け付けほか)、店頭での商品説明も行っていたという。

「当時は、紙の株券が現物で動いていたために、お客さんが株を買うと、実際に会社名や株数、株券番号が印刷された株券を渡していました。株券は東京証券取引所から届けられ、そこにお客さんの名前や株数が間違いないか、人がチェックするんですよ。よくミスをしなかったと思いますよ」

友美さんは「そんな時代から、定年まで同じ会社で仕事ができたのはありがたい」と言います。

「やがてノルマを持たされるようになり、達成する楽しさがわかるようになりました。仕事は面白くて、同期の子達が25歳くらいまでに退職してしまう中、ずっと続けていたのです。それができたのは、両親が末っ子の私を溺愛しており、『苦労をさせたくないから、嫁に行かなくてもいい』と言ってくれたこと。あとは、やる気がある人を登用する文化があったからだと思います」

1986年の男女雇用機会均等法以降は、少しずつ道がひらけていっていることがわかったという。

「1988年、25歳のときに窓口や電話営業で培った能力を買われて、営業部への異動を打診されました。そこで、個人投資家や富裕層の資産運用をするチームに入ることになったのです。でもまだ、当時はお客さんから『俺を馬鹿にしているのか。男を連れて来い』と言われる時代だったので、サブ的な立ち位置だったと思います」

時代はバブル経済。あれよあれよと株価は高騰し、そして大暴落する。

「あの時代の証券会社はすごかったですよ。ものすごいお金が動き、まさに狂乱状態。支店には、株で一儲けしようとするお客様がたくさんおり、皆が株価のボードを食い入るように見つめている。身なりが粗末なお爺さんが、紙袋に札束を1億円分入れて窓口に来たこともありました。電話は鳴り止まず、皆が対応に追われていました。15時に株式市場(東証)が閉まると、その売買の膨大な事務作業が始まる。『営業に異動してよかった』と思いながら、お客様から大量に差し入れられたお菓子をお裾分けしてもらったり」

【「責任を取れ! 土下座しろ」……次のページに続きます】

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