バブル崩壊後、証券会社の支店窓口で行った土下座
1990年1月に株価は下落していく。背景には日銀による急速な利上げや不動産融資の総量規制などがあり、半値近くまで下がってしまった銘柄もあった。
「当時、私がいた支店にはお客さんがやってきて、恨み言を延々と言う人もいれば、『どうしてくれるんだ!』『お前が絶対に上がると言ったから買ったんだぞ!』と詰め寄ってくる人もいました。私もある50代の男性のお客さんから『お前が上がると言った株だ。責任を取れ! この場で腹を切れ!』と怒鳴られました。怖かったですよ。“カスハラ”という言葉がない時代ですからね」
あまりの剣幕に、同僚は遠巻きに眺め、女性社員が警備室に走っていき、警備員を連れてこようとしたが、なかなか動かなかったという。
「その時『男って弱いな』って思ったんです。株価が暴落したって、それは自分の判断で買ったことじゃないかと。それまで一緒に仕事をしていた仲間は誰も守ってくれない。『土下座しろ!』と怒鳴られましたが、それだけはするもんかと思いました。すると、上司がすっ飛んできて、土下座した。私も仕方がないからやりましたよ。あの日から、自分の中で何かが変わった気がします」
多くの人が辞めていったが、友美さんは淡々と残務処理のような仕事を行なった。
「落ち着いたのは30歳くらい。その頃から、支店の統廃合が始まり、支店に籍を置いたまま本社のコンプライアンス管理部門の仕事をしていました。当時、総合職だったとはいえ、支店から本社に異動するのは不可能に近い。それからは、インターネット事業プロジェクトのメンバーになったり、子会社に出向したりして、気がつけば定年になっていました」
雇用延長をするつもりが親の介護が始まってしまい、60歳で仕事は辞めた。
「母が認知症になってしまったんです。兄と姉は海外勤務をしており、私しかみる人がいない。仕事もやり切ったという実感があり、親孝行でもしようという思いもありました。兄と姉は『夫婦で施設に入れろ』と言ったのですが、両親ともに家が大好きで、夫婦で家庭菜園やガーデニングを楽しんでいる。2人とも80代後半であと何年生きるわけでもないので、付き合おうと思ったのです」
実家は渋谷から30分、神奈川県内の閑静な住宅街にある。友美さんはローンを完済している都心の小さなマンションから毎日実家に通っていた。
「そこで、父と母が助け合って生きている姿を目にしたのです。見合い結婚で、夫婦仲はそんなにいいわけではなかったのに、お互いを名前で呼び合い、薬やサプリメントをきちんと飲んでいるか確認し、一緒に食事をして、体調を気遣い合っている。互いのことをよく知っており、顔色や声のトーンを読み取りながら会話しているんですよ。『夫婦ってすごい。私も長生きするだろうから、こういう相手が欲しい』と思って、介護の傍ら、婚活を始めたのです」
友美さんの恋愛経験は意外と多く、全て男性からアプローチされていたという。正直、過去の経験から婚活は楽勝だと思っていたが、大苦戦してしまう。
【還暦からの婚活は、これまでの常識を捨てることから始まった……その2に続きます】
取材・文/沢木文
1976年東京都足立区生まれ。大学在学中よりファッション雑誌の編集に携わる。恋愛、結婚、出産などをテーマとした記事を担当。著書に『貧困女子のリアル』『不倫女子のリアル』(ともに小学館新書)、『沼にはまる人々』(ポプラ社)がある。連載に、Webサイト『現代ビジネス』(講談社)などがある。『女性セブン』(小学館)などにも寄稿している。











