
ライターI(以下I):『豊臣兄弟!』が第34回にして、徳川家康(演・松下洸平)をメインにする回になりました。
編集者A(以下A):徳川家康は、江戸時代に神君として極端に神格化されていますので、現在伝えられている家康像が、どこまで家康の「真実」を伝えているのかわからない部分があります。しかも明治以降の「タヌキ親父」と称された狡猾な家康は、多分に「親豊臣感情」がもたらした「虚像」のようなものですし、逆に山岡荘八さんの『徳川家康』、さらに同作を原作とした1983年の大河ドラマ『徳川家康』もまた「家康アゲ」の作品なので、どこまで家康の真実に迫っているのかという問題がありました。大河ドラマでは、直近で2023年に松本潤さん主演による『どうする家康』で徳川家康を主人公とした作品が放送されたばかりです。
I:「家康回」の冒頭は、家康が息子長丸(後の秀忠)と薬草で「遊ぶ」姿が描かれました。「腹痛に効きまする」と長丸が効能を説明した「ヒキオコシ」は、弘法大師空海の8世紀のエピソードがあり、古代から薬草として知られています。「傷に効きまする」と紹介された「オトギリソウ」(弟切草)も、よく知られた薬草です。
A:家康の薬好きはよく知られた話です。静岡市の久能山東照宮には、家康が手ずから使用した薬を入れた瓶が今も残されています。家康の遺品を多数収録した写真集『徳川家康の名宝』(小学館)でもその一端が確認できます。
I:その家康が、石川数正(演・迫田孝也)を使者として大坂に遣わしました。献上するのは、茶器の大名物「初花肩衝(かたつき)」です。このとき秀吉は、「織田家当主である信雄の補佐を務めるという立場を前提に政治運営を自らの手で行ない、その権威を高めていきました」とナレーションで説明される通り、すでに大きな権力を保持するようになっていました。
A:「初花」に関しては、大河ドラマで幾度も取り上げられたエピソードなので、別記事(https://serai.jp/hobby/1281972)でも展開しましたので、関心のある方はそちらもご覧ください。
ただいま大坂城築城中

I:現在の大阪城天守閣は昭和6年(1931)建設のコンクリート造りです。とはいえすでに竣工90年以上の歴史的建設物でもあります。
A:大阪城のある場所はもともと織田信長と10年にわたって戦った本願寺の拠点でした。降伏させるまで10年を要した難攻不落の地。信長は安土城に次ぐ新たな城を築く地として決めていたともいわれています。秀吉の築城開始が天正11年(1583)と「本能寺の変」の翌年ですから、秀吉が信長の構想を引き継いだのでしょう。
I:本願寺の跡地ということはよく聞くのですが、実は、はるか古代から生國魂(いくくにたま)神社が鎮座していたことを忘れてはいけません。『日本書紀』にも記載があるわが国最古参級の神社になります。この地が我が国の歴史上、特別な地であることが示唆されますね。
A:その生國魂神社は、秀吉の大坂築城に際して、遷座を余儀なくされたという歴史があります。豊臣大坂城の歴史が短期間だったのは、なにかスピリチュアル的な影響があったのでしょうか。
下賤の成り上がり
I:北条氏政(演・谷原章介)と家康が面会しました。氏政は秀吉のことを「あのような下賤の成り上がり」と表現しました。そういう「声」は実際にあったのだと思います。
A:北条と武田、今川が同じような話をしているとしたら「その通りだろうな」ということになると思いますが、北条と徳川だと、家格としては北条の方が上ですから、家康としては北条氏政の発言をいたたまれない気持ちで聞いていたのではないかと想像しながら見ていました。とはいえ、詳細は次週に言及しますが、小牧・長久手の戦いの際に家康家臣の榊原康政(演・栗原類)が発信した「十万石の檄文」などにも、同様の一文がありますから。秀吉が下賤の出であることを嘲笑することは、水面下ではよく行なわれていたのだと思います。
I:それにしても、北条、武田、上杉が割拠していた東国が、天正10年(1582)に武田家滅亡、「本能寺の変」を経てすぐ、「天正壬午の乱」という戦いが勃発します。それによって家康の勢力が東国で幅をきかせるようになりました。
A:「天正壬午の乱」は2016年の『真田丸』では触れられましたが、大河ドラマでは大きく取り上げられたことはありません。秀吉たちが柴田勝家(演・山口馬木也)らと争っている最中に東国で行なわれていた戦いなんですけどね。
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