結婚したけれど、2年で離婚
25歳のときにチーフになってから「大学に行っておけば良かった」と思うことが増えていく。
「本社勤務の社員と話すことが増えました。彼らと工場勤務の私たちでは明らかに世界が違う。私たちは目の前の仕事と品質向上しか見ていないけれど、本社の社員は会社全体の事業規模、他部門との連携、市場の動向、将来の事業なども考えながら仕事をしているんです。また、私は同じ工場や同じ部署の同僚、寮の仲間など、身近で濃密な人間関係が中心です。でも本社の社員は大学の同級生がいろんな業界にいたり、学者や有名人と知り合いだったりする。本社との打ち合わせに行くたびに、同じ会社なのに人種が違うと思いました」
しかし、麻子さんは現場のプロだ。長年培った職業的なカンや知見は本社社員にはない。
「中国工場立ち上げのときは頼りにされました。プロジェクトメンバーになり日本工場と同じ品質のものが中国のラインでも再現できるよう、技術指導などをしました」
仕事が落ち着いた33歳の頃に、2歳年下の男性と結婚する。
「相手は商品を製造するための機械メーカーのエンジニアです。優しくて頭がいいところが好きでした。一緒に暮らしてわかったのですが、外面が良くて男尊女卑。機嫌を損ねると、わざと乱暴な態度をとって、私に機嫌を取らせる。あと、私の給料のほうが良かったから、『お前は所詮、現場の工員』などと侮辱してきたのです」
手を上げられたこともあり、2年で離婚した。
「当時、会社では安全管理の部署におり、仕事も楽しかった。独立した収入と技術があり、周りも離婚する人が多かったので、なんとも思いませんでした。その後、2000年代初頭のリストラの嵐がピンチでしたが、これも乗り切れた。大変だったのは2008年9月のリーマンショック。いろんな手当が削られて、手取りが10万円以上減り、離婚と同時に買った住宅ローンの支払いがきつかったです」
このリーマンショックのとき、麻子さんの人生に影を落とすようなことが起こった。
「元夫が何をどう調べたのか、私の家に来たのです。離婚から10年経ち、直接は会っていませんでしたが、共通の知人から、彼はリストラに遭い、北関東にある実家の工場に戻り、継いだことは知っていました。私は元夫の実家との折り合いも悪かった」
訪ねて来た夫を無視しようと思ったが、「金に困っているだろう」と直感した。そして「少し助けてやろう」とも思ったという。マンションのエントランスに話に行くと、43歳とは思えないほど老け込んだ元夫がいた。
「昔はカッコよかったのに、頭髪も寂しくなって安っぽい服を着ており酒くさい。お金のことだと思っていたので、『5万あればなんとかなるよね。これはあげるから』と先に渡しました。これは父が借金を申し込まれたときに、相手の人に言うセリフでした。父は『あげる、といえばそいつは二度と借金を頼みに来ない』と教えてくれたので。意外なことに、元夫は『そういうことじゃないんだ』と突き返し、帰って行ったのです」
円満な結婚生活ではなかったこともあり、麻子さんは自分の身を守るために当然の対応をした。ただ、このことが心に残り続けていた。
【元夫に「何をしてあげられたのか」、縁がある人々の死が重なり考えたこととは……その2に続きます】
取材・文/沢木文
1976年東京都足立区生まれ。大学在学中よりファッション雑誌の編集に携わる。恋愛、結婚、出産などをテーマとした記事を担当。著書に『貧困女子のリアル』『不倫女子のリアル』(ともに小学館新書)、『沼にはまる人々』(ポプラ社)がある。連載に、Webサイト『現代ビジネス』(講談社)などがある。『女性セブン』(小学館)などにも寄稿している。







