4年で楽勝で卒業できると思ったのに、6年もかかった
転機は55歳の役職定年だった。それまで部下を管理していたのに、かつての部下の下で働くようになり、いち専門職として扱われるようになる。当然、意思決定の権限もなくなり、アクセスできる情報の範囲が狭くなった。
「会社は追い出しにかかっていると受け取りました。文字通り、ボロ雑巾のようにこき使って『お役御免でさようなら』ってところでしょう。とはいえ、時間もできたので、これからの人生のために、力を育てなければと思いました。そこで、『やっていて楽しいこと、苦にならないことは何か』をホテルに泊まって考えたのです」
自宅や職場で考えると、「これまでの自分」にとらわれてしまい、いい発想は出てこないと思ったので、やや高級なシティホテルにしたという。
「大学講師、専門学校の講師、得意分野を生かした他企業への再就職なども考えましたが、ピンとこない。アイデアに行き詰まり、贅沢ついでにバーに行ったのです。たまたま隣の人が、『ドン ペリニヨンの醸造最高責任者の人が、日本に来て日本酒づくりに取り組んでいるんだって』という話をしており、その内容がすとんと心に落ちた。どうせなら今までの自分を捨てて、違うことをやりたい」
そして、部屋に戻って色々考えるうちに、「人の心を知りたい」と思うようになってきた。
「それはうつになったこと、私自身が受けたセクハラの心の傷のメカニズムに興味がありましたし、職場のいじめ改善に何回か取り組みましたが、うまくいかなかったことも背景にあります。人の心を知るには専門的な勉強しかない。そこから何かのスイッチが入り、数か月の準備で放送大学の心理を学ぶ学部に願書を出していたのです」
4月に入学し、オンライン授業を受け、テキストを読んでレポートを書く。都内の学習センターで対面授業や演習を行う。学期末にはテストがあり、合格しなければ単位はもらえない。卒業するには120以上の単位が必要だ。
「正直、勉強は得意なので、楽勝だと思っていましたが、とんでもない。昔に比べ記憶力がない、思考の瞬発力もない。寝ないでレポートを書いたのに評価は最低ランク。最初は全く思い通りに行きませんでした。でも『辛抱すれば、扉は開く。続けることが大切だ』と自分を励ましながら、続けたのです。やっとのことで1年が終わりましたが、先は長い。役職定年とはいえ、仕事はそれなりに忙しい。単位認定試験の日に限って、重要な仕事が入り受けられないこともありました」
4年で楽勝の卒業ができると思っていたが、6年がかりでやっとのことで卒業したという。
「何度も挫けて『やめよう』と思いましたが、サンクコスト(それまで投じた時間やお金をもったいないと感じて続けてしまうこと)にとらわれてやめられない。結果、それがとてもいい結果になった。卒業証書と学位記が来たときは、嬉しくて泣きました。一緒に喜んでくれる伴侶はとうとうできずじまいでしたが」
30冊以上のテキストと、10冊以上の専門書と膨大な時間、かかった費用は100万円ほどだという。
「勉強のプレッシャーがあったから、50代後半の悩みや無力感に包まれていたであろう時期を、焦りと悔しさで乗り切ることができたのです(笑)。学位を取ったので、申請して認定心理士という資格を得ました。今、この資格で、働く人の悩み相談を行うNPO法人の仕事をしています。そこでわかったのは、自分がどれだけ狭い世界で生きていたか。若い人と働きつつ、世界を広げている実感があるのです」
啓太さんは、「会社員時代は、本当に傲慢だった」と言っていた。さらに、かつての仕事よりも、人に関わるだけに、1日の密度が濃い。相談は経験を重ねるほど、技術は高まっていく。55歳の決断が、大きく人生を変えた。やはり人生は動き続けることが大切なのだ。
取材・文/沢木文
1976年東京都足立区生まれ。大学在学中よりファッション雑誌の編集に携わる。恋愛、結婚、出産などをテーマとした記事を担当。著書に『貧困女子のリアル』『不倫女子のリアル』(ともに小学館新書)、『沼にはまる人々』(ポプラ社)がある。連載に、Webサイト『現代ビジネス』(講談社)などがある。『女性セブン』(小学館)などにも寄稿している。







