鉄道に乗り、廃線跡を歩く。ノンフィクション作家の梯久美子さんにとって、鉄道の旅は、歴史の旅であり、心の旅だ。

熊本県生まれ。北海道大学文学部卒業後、編集者を経て文筆業に。『散るぞ悲しき 硫黄島総指揮官・栗林忠道』で大宅壮一ノンフィクション賞を受賞。『サガレン 樺太/サハリン 境界を旅する』など
熊本駅から札幌駅へ。5歳の夏、梯さんは日本を縦断する鉄道旅をした。一家は、父の赴任先となる札幌を目指して、熊本を発った。姉ふたりとおそろいのワンピースを着せてもらったことを覚えている。「昔の列車は、おしゃれをして乗るものでした」
道中では、その3年前に開業した東海道新幹線に乗り、青函連絡船で津軽海峡を越えた。初めて見る景色、車内や駅ですれ違う大勢の人たち。目に映るものすべてが、幼い梯さんの世界を広げていった。引っ越しをかねた2泊3日の大旅行は、いまも家族の幸せな思い出だ。
大学を卒業して上京した梯さんは、24歳のときに、友人と編集プロダクションを立ち上げた。原稿が書けず思い悩んだ日には、電車に乗ると、つづきが浮かんできた。下車して、ホームでメモをとり、また電車に乗った。
「列車の速度は、ものを考えるのにちょうどいい気がします。車内に知っている人は誰もいないけれど、ひとりぼっちじゃない。孤独だけれど、寂しくない。なにも考えなくても、なにかを考えてもいい。そういう自由さがあります」
列車に乗っていることそのものが好きなのだと話す。車内では本を読むこともなく、窓の外を流れる景色を楽しむ。ローカル線に乗るときには、運転席のうしろに立ち、カメラを構える。小学生とポジション争いが起きそうになることもあるが、「さすがに譲る」と笑う。
鉄道旅に本格的に魅せられたのは40代に入ってからだった。ノンフィクション作家として、全国をひとりで訪ね歩くことが増えた。観光では行かないような場所にも、線路は伸び、駅舎が立ち、そこには土地と人の息吹があった。
「レールにはロマンがあります。乗り換えれば、日本中どこへでも行けますし、分岐は、人生の分かれ道みたいなものを端的に見せてくれます」
40歳を前に、編集者ではなく、書き手として生きると決めた梯さんの人生は、硫黄島の総指揮官・栗林忠道の取材を機に、歴史と深く交差していく。同じ頃、元少年飛行兵で、自衛官の道を選んだ父の人生に思いを馳せるようになり、近現代史はさらに身近になっていった。
「列車に乗ると、歴史の地層の上を走っているように感じます。数え切れない人々がかつてここを通った。そう思うと不思議と安心できるんです」
水平と垂直の旅
忘れられない旅がある。宮沢賢治が「サガレン」と呼んだ樺太・サハリンへの旅だ。
北海道の北に位置するサハリンは、南北に細長い島で、北海道とほぼ同じ広さを持つ。アイヌやニブフ、ウィルタなどの少数民族が暮らしてきたその土地は、日本とロシアのはざまで、繰り返される世界史の激動のなか、いまも帰属が定まらない。さらに、ロシアがウクライナに侵攻し、日本からの旅行者がサハリンの地を踏むことは難しくなっている。
閉ざされたその島を、梯さんは2017年から3度にわたって訪ねた。一度目は、冬の寝台急行に乗り、サハリン南部のユジノサハリンスクから最北の終着駅ノグリキまで縦断した。線路の一部は、かつて島の南半分を領有した日本が敷いたものだ。旅を通して、梯さんはこの地に残る日本の足跡を辿りながら、現代のサハリンに出会うのだった。
翌年の夏には、1923年8月に26歳の賢治が旅した、南部のコルサコフ駅からスタロドゥプスコエ駅までを車で辿った。列車の旅をするはずが、そうならなかったのは、改軌工事による運休に見舞われたからだ。その2度の旅は『サガレン 樺太/サハリン 境界を旅する』(KADOKAWA)に綴られている。
賢治がサハリンを訪れた目的は、旧友に教え子の就職を頼むためだった。しかし12日間の旅は、そのときに書かれた「青森挽歌」「宗谷挽歌」などの詩から、前年に亡くなった最愛の妹トシの魂の行方を探す旅でもあったといわれる。『銀河鉄道の夜』も、この旅から生まれたとされる。
梯さんは、妹の死に向き合う賢治の心が、旅のなかでどう変わっていったのかを読み解く。サハリンに到着したあと、賢治が書いた「オホーツク挽歌」にでてくるトシは、旅の途上、悲しみと苦しみのなかで描かれたトシの姿とは異なっている。梯さんは賢治を「移動し越境するなかで魂が更新されていく人」と評す。
旅の効用について、梯さんは《見知らぬ土地で出会うさまざまなものたちに、つかのまであれ救われ、力をもらうのが旅というもの》と、著書に記している。
そして自身の経験からも、鉄道の速さで移動しながらものを考えることが、賢治の心のありかたを変えたのではないかとみる。移り変わる景色をとらえ、自分自身の心の動きを感じとり、望めば途中下車もできる。そうした独特の時間の流れや空気が、鉄道にはある。
「鉄道の旅の面白さは、地図上を水平方向に移動する地理的な旅と、過去に垂直方向にさかのぼる歴史の旅が同時にできることです」
宮沢賢治の足跡を辿ってサハリンへ(2017年、2018年)




ひとりで歩く、橋梁派
廃線跡を訪ねるのも、そこに残る遺構に、この国の歩みと人々の営みが刻まれているからだ。橋梁派かトンネル派かというと、橋梁派。廃線旅の原点は、熊本への出張中にふと立ち寄った旧国鉄宮原線の幸野川橋梁だ。橋の美しさとその歴史に魅せられた。

「調べると、戦時中に鉄が足りず、かわりに竹が使われた“竹筋橋”でした。戦争の取材をしていたので、ああ、そういうことかと。廃線は、歴史や戦争と深くかかわり、いまと過去をつなげるものだとわかりました」
梯さんが歩いた廃線跡は国内だけで60か所以上。サハリンでも廃線跡に立ち寄った。積み重ねられたレンガや石組み、橋やトンネルの曲線美に、「廃線には、人の手でつくられ、守られてきたものが持つ力強さとあたたかさがある」と話す。
廃線の旅にはひとりで出かける。「ちょっと孤独なくらいが、景色にも、出会う人にも、深くかかわることができる気がします。旅のエピソードも、ひとりで行くときのほうが多いものです」。廃線跡を訪ねる前には、なるべくその地域の図書館で下調べをし、地図と年表を持っていく。
おすすめの廃線跡を尋ねると、「愛媛の住友別子鉱山鉄道かな。明治の廃線は貴重です」と。かつての山岳鉄道で、1時間半ほど山道を歩く。斜面に積まれた擁壁や三連橋梁の橋脚が美しい。


「ここからの景色を見るのが、一番楽しい」と梯さん。熊本県の三角線を走る「A列車で行こう」にて。
この線路を、どんな人たちが通ったのか。廃線跡を歩きながら、そんなことを考える。時空を超えて、過去の人と出会う感覚があるという。それは、列車に乗るときも同じだ。「過去の人とも乗り合わせているような感覚があります」。サハリンを鉄道で旅した宮沢賢治や林芙美子とも、一緒に乗っている感じがあったとふりかえる。
近現代史の舞台となった現場を訪ね、証言に耳を傾け、亡き人と対話するようにして、人が生きるということを書いてきた作家は、「土地は歴史を記憶する」と言う。旅をして、その地に立つからこそ、見えてくるものがあるのだと。
※サハリンの駅名には日本語表記もありますが、ここではロシア語表記としています。
取材・文/小松遥香 写真/梯 久美子
※『サライ』2026年9月号より








