豊臣秀吉・島津義久像
泰平寺公園に立つ豊臣秀吉(左)・島津義久(右)像
写真:photoAC

現在の鹿児島県西半部にあたる「薩摩国」。戦国時代には島津氏が支配を固め、やがて大隅(現在の鹿児島県の一部)・日向(現在の宮崎県)を統一すると、その勢力は肥後(現在の熊本県)や豊後(現在の大分県)にまで広がっていきました。

九州屈指の勢力となった島津氏の前に立ちはだかったのが、天下統一を進める豊臣秀吉です。

では、薩摩国とはどのような土地で、島津氏はどのように勢力を広げていったのでしょうか? 戦国時代を中心に見ていきましょう。

「薩摩国」の読み方と成り立ち

まずは、読み方から確認します。

「薩摩国」の読み方は……
「さつまのくに」です。

「薩州(さっしゅう)」とも呼ばれました。古代の薩摩は、大隅国とともに日向国から分かれて成立したと考えられています。

「薩摩」の名は、『日本書紀』白雉4年(653)の「薩麻之曲(さつまのくま)」という記述に見えるのが古い例です。大宝2年(702)ごろには日向国から分かれて国が置かれたと考えられています。

薩摩国は、古代に隼人(はやひと、または、はやと)と呼ばれる人々が暮らしていた地域でもあります。隼人は主に大隅・薩摩に居住し、大和政権に容易には従わなかった人々で、阿多(あた)隼人、薩摩隼人、甑(こしき)隼人などの呼称が伝わっています。

戦国時代の「薩摩国」の変遷

戦国時代の薩摩を語る上で欠かせないのが、島津氏です。ただし、島津氏が初めから薩摩全域を一枚岩のように支配していたわけではありません。国内には多くの在地勢力が存在し、島津氏内部でも争いが続いていました。

では、そこから島津氏はいかに勢力をまとめ、ついには秀吉と対峙するまでになったのでしょうか?

島津貴久・義久らが薩摩を統一

16世紀前半、島津氏では一族間の争いが続き、守護家の力も弱まっていました。その混乱の中から台頭したのが、伊作家の島津忠良と、その子・貴久です。貴久は有力な一族の支持を得て島津氏の当主となり、天文19年(1550)には鹿児島の内城へ移りました。

そして貴久の子である義久、義弘らの時代になると、島津氏はさらに勢力を拡大。薩摩・大隅・日向の「三州」を統一し、やがて肥後・豊後方面へ進出します。

義久の代には、その勢力は北九州方面にまで及ぶほどになりました。薩摩を足場として、島津氏は九州の覇権をうかがう大勢力へと成長したのです。

島津義弘公像
島津義弘公像
写真:photoAC

九州へ勢力を伸ばす島津氏の前に秀吉が立ちはだかる

しかし、島津氏が九州各地へ進出していたころ、中央では豊臣秀吉が天下統一を進めていました。

秀吉は九州の大名たちにも自らの支配秩序に従うことを求めます。これに対して島津氏が勢力拡大を続けたことから、天正15年(1587)、秀吉による九州進攻が始まりました。

全国規模の軍事力を背景とした秀吉軍を前に、島津氏は次第に後退を余儀なくされます。そしてついに、島津義久は抗戦を主張する一族や家臣らを説得し、秀吉との和睦を決断しました。

島津義久、川内の泰平寺で秀吉に降伏

天正15年(1587)、義久は薩摩国の川内にある泰平寺で秀吉に降伏しました。しかし秀吉は、島津氏そのものを滅ぼしたわけではありません。

出水郡などの一部を除いて、義久には従来どおり薩摩国の領有が認められました。『日本大百科全書』(小学館)では、薩摩・大隅と日向の一部が島津氏に安堵されたとされています。

九州征伐は、秀吉が島津氏の領国そのものを消滅させた戦いではなく、九州最大級の勢力となった島津氏を豊臣政権の支配秩序へ組み込む戦いだったといえるでしょう。

その後、島津氏は豊臣政権の大名として朝鮮出兵にも参加。文禄3年(1594)には太閤検地が行われ、薩摩国は28万石余と算定されました。

島津義弘
名護屋城跡の陣跡配置図でも米戸浦沿いに「島津義弘」の名が見える(赤枠で囲んだ部分)。
写真:貝阿彌俊彦(京都メディアライン)

島津氏にとって天正15年の降伏は、九州制覇への道が閉ざされた瞬間であると同時に、豊臣政権下の大名として生き残るための大きな転換点でもありました。

最後に

戦国時代の薩摩国は、島津氏が長い年月をかけて国内の諸勢力をまとめ、やがて九州屈指の勢力へ成長していった土地でした。しかし、九州各地へ勢力を広げた島津氏も、全国統一を目指す秀吉の大軍を前に降伏します。

『豊臣兄弟!』で九州征伐が描かれる際には、秀吉が「島津氏を滅ぼした」のではなく、降伏させたうえで領国を認め、豊臣政権の大名として取り込んだ点にも注目すると、天下統一のあり方がより鮮明に見えてくるでしょう。

●取材・執筆/末原美裕

1300年の歴史を持つ京都に住むようになって早くも10年以上が経つ。「戦国武将の生き字引」を目指し、実際に武将たちのゆかりの地を訪ね歩きながら「日本史人物伝」「日本史事件録」などの記事を執筆している歴女。歴史好きが高じて『京都学問所紀要 鴨長明の世界』『京都学問所紀要 方丈記』(ともに賀茂御祖神社京都学問所)の書籍を編集。京都の奥深い歴史と文化を日々探究中。

Instagram:@kyoto_monokaki
note:@kyoto_monokaki

※表記の年代と出来事には、諸説あります。

引用・参考図書/
『日本大百科全書』(小学館)
『世界大百科事典』(平凡社)
『国史大辞典』(吉川弘文館)

 

関連記事

ランキング

サライ最新号
2026年
11月号

サライ最新号

新着記事

ピックアップ

サライプレミアム倶楽部

最新記事のお知らせ、イベント、読者企画、豪華プレゼントなどへの応募情報をお届けします。

公式SNS

サライ公式SNSで最新情報を配信中!

  • Youtube
  • Facebook
  • Twitter
  • Instagram
  • LINE

花人日和(かじんびより)

おすすめのサイト
dime
be-pal
リアルキッチン&インテリア
小学館百貨店
おすすめのサイト
dime
be-pal
リアルキッチン&インテリア
小学館百貨店