
はじめに-「真田十勇士」とは?
テレビ朝日系『真田十勇士 SHADOWS OF THE TEN NINJA』に登場する猿飛佐助(さるとび・さすけ、演:岩本照)、霧隠才蔵(きりがくれ・さいぞう、演:中川大志)、三好清海入道(みよし・せいかいにゅうどう、演:今井竜太郎)…。
真田幸村(史実での名は真田信繁、演:安藤政信)に仕え、徳川家康(演:内藤剛志)に立ち向かった10人の豪傑。それが「真田十勇士」です。
テレビ朝日系『真田十勇士 SHADOWS OF THE TEN NINJA』では、天才的な忍術を操る猿飛佐助を中心に、10人の忍たちが幸村とともに徳川家へ挑む物語が描かれます。公式サイトでは、真田十勇士を「真田幸村(信繁)に仕えたとされる架空の家臣10人」と説明しています。
では、真田十勇士はすべて完全な架空の人物なのでしょうか?
実は、話はそう単純ではありません。10人のうち一部と同じ、あるいはよく似た名前は、立川文庫が登場する以前の『真田三代記』や『大坂夏陣図』などにも見られます。
ただし、現在知られている「真田十勇士」という10人組の設定や、それぞれが超人的な武芸を駆使して活躍する物語は、後世に形づくられたものです。
どこまでが古い伝承で、どこからが創作なのか。真田十勇士誕生の歴史をたどってみましょう。
真田十勇士のメンバーは実在する?
まずは、現在「真田十勇士」として知られる10人を見てみましょう。
- 猿飛佐助
- 霧隠才蔵
- 三好清海入道
- 三好伊佐入道(みよし・いさにゅうどう)
- 穴山小介(あなやま・こすけ)
- 海野六郎(うんの・ろくろう)
- 筧十蔵(かけい・じゅうぞう)
- 根津甚八(ねづ・じんぱち)
- 望月六郎(もちづき・ろくろう)
- 由利鎌之助(ゆり・かまのすけ)
※三好清海入道と伊三入道は兄弟とされています。
猿飛佐助は甲賀流忍術使い、霧隠才蔵は伊賀流忍術使い、清海・伊三入道兄弟は怪力、由利鎌之助は鎖鎌(くさりがま)と、それぞれ異なる得意技を持つのも十勇士の魅力です。
では、この10人が実際に真田信繁の家臣として大坂の陣を戦ったのでしょうか? 結論からいえば、史実として確認することはできません。現在知られている「真田十勇士」としての人物設定や武勇伝は、基本的に後世の創作です。

写真:photoAC
ただし、「10人すべての名前が創作としてつくられた」と考えるのも正確ではありません。『世界大百科事典』(平凡社)によれば、由利鎌之助、三好清海入道、三好伊三入道、根津甚八などの名は、それ以前の『真田三代記』や『大坂夏陣図』などにも見られると説明しています。
『日本大百科全書』(小学館)でも、『真田三代記』には穴山、由利、海野らの名が記されているとされています。
つまり、先行する軍記物などに登場していた名前や人物像を取り込みながら、後世、「幸村に仕える10人の勇士」というチームへまとめ上げたのでしょう。
「十勇士としての設定や武勇伝は創作だが、一部の人物名にはそれ以前の物語上の先例がある」と理解するのが、より正確ではないでしょうか。
真田十勇士はどんな物語か?
真田十勇士の物語を考える上で重要なのが、江戸時代中期に成立したとされる『真田三代記』です。
真田昌幸、幸村ら真田一族の活躍を描いた軍記物で、史実をそのまま記録したものではなく、後世の脚色や伝説を数多く含んでいます。
真田幸村自身も、死後に次第に英雄化されていきました。大坂の陣で家康の本陣に迫った実際の奮戦を土台として、「豊臣家を支えた大軍師」というイメージが膨らんでいきます。
その英雄・幸村の周囲に、さらに魅力的な豪傑たちが集められていったのが『真田十勇士』です。
大正3年(1914)、『猿飛佐助』が大ヒット
現在の真田十勇士像を決定づけたのは、「立川文庫」でした。立川文庫は、明治44年(1911)から大正14年(1925)ごろまで刊行された小型の講談本です。
全部で200数十巻にも及び、二代目玉田玉秀斎(たまだ・ぎょくしゅうさい)らを中心とする人々によって次々と物語が作られました。
大きな転機となったのが、大正3年(1914)に第40編として刊行された『猿飛佐助』です。これが爆発的な人気を博しました。
猿飛佐助は忍術を自在に操り、常人には不可能なような難題を次々と乗り越えていく英雄として描かれます。

写真:photoAC
その人気を受け、第55冊では霧隠才蔵、第60冊では三好清海入道、第62冊では由利鎌之助が登場。その後、残る勇士たちも加えられていきました。
こうして、「幸村のもとに10人の個性的な英雄が集う」という現在につながる真田十勇士の姿になっていったのです。
実は『西遊記』を重ねた物語だった?
真田十勇士には、意外なモデルがあったとされています。中国の物語『西遊記』です。
『世界大百科事典』(平凡社)では、立川文庫の真田十勇士について、『真田三代記』に『西遊記』を重ねた大胆な構想だったとしています。
真田幸村は三蔵法師。
猿飛佐助は孫悟空。
怪力を誇る三好清海入道は猪八戒。
霧隠才蔵は沙悟浄。
そう考えると、真田十勇士という物語の構造がよく見えてきます。
中心となる人物のもとへ、それぞれ異なる能力を持った仲間たちが集まり、次々と困難を乗り越えていく…。現代の漫画やアニメ、戦隊ヒーロー作品にも通じる、とてもわかりやすく魅力的なチーム物語だといえます。
真田十勇士はなぜ人気を得たのか?
『世界大百科事典』(平凡社)は、真田十勇士が支持された大きな理由として、大衆の「スーパーマン願望」を挙げています。
立川文庫が人気を博したのは、大正デモクラシーと呼ばれる時代でした。読者は、現実にはできないようなことを次々とやってのける勇士たちに爽快感を覚えたのでしょう。
しかも彼らは、自分のためだけに力を使うのではありません。「勇将の下に弱卒なし」といった考え方を背景に、主君への忠義や仲間との絆、節義を重んじる人物として描かれました。
超人的な強さと、仲間のために戦う精神。その両方を備えていたことが、人々の心をつかんだのでしょう。
関東大震災後も「十勇士」は生き残る
立川文庫そのものは、大正12年(1923)の関東大震災を機に急速に人気を失っていきました。
しかし、真田十勇士というキャラクターたちは消えませんでした。映画、講談、漫画、小説、舞台、テレビドラマなど、さまざまな媒体で繰り返し描かれることになります。
猿飛佐助や霧隠才蔵は、とりわけ「忍者」を代表するキャラクターのような存在になりました。
まとめ
真田十勇士とは、真田幸村に仕えたとされる10人の勇士のことです。ただし、彼ら10人が実際に幸村の家臣として大坂の陣を戦ったことを示す史実はありません。
しかし、史実ではないからこそ、時代ごとに自由に姿を変えられるともいえるでしょう。
テレビ朝日系『真田十勇士』もまた、100年以上にわたって育てられてきた十勇士の物語に、新しい一章を加える作品といえるのかもしれません。
※表記の年代と出来事には、諸説あります。
●取材・執筆/末原美裕

1300年の歴史を持つ京都に住むようになって早くも10年以上が経つ。「戦国武将の生き字引」を目指し、実際に武将たちのゆかりの地を訪ね歩きながら「日本史人物伝」「日本史事件録」などの記事を執筆している歴女。歴史好きが高じて『京都学問所紀要 鴨長明の世界』『京都学問所紀要 方丈記』(ともに賀茂御祖神社京都学問所)の書籍を編集。京都の奥深い歴史と文化を日々探究中。
Instagram:@kyoto_monokaki
note:@kyoto_monokaki
引用・参考図書/
『日本大百科全書』(小学館)
『世界大百科事典』(平凡社)
『新版 日本架空伝承人名事典』(平凡社)
アイキャッチ画像/photoAC(一部加工)







