
「京・聖護院 天然湧き水 製麺所 早起亭うどん」(以下、早起亭うどん)は、
京阪電車「神宮丸太町」駅から琵琶湖疏水沿いを8分ほど歩いたところにある。
近くには平安神宮があり、八ツ橋発祥の聖護院で有名だ。
写真はしっぽくうどん(800円)。
旅先で飲食店を選ぶとなれば、グルメサイトを開き、星の数や口コミを見て店を選ぶ人が多いのではないでしょうか。では、一昔前はどうだったでしょう? 宿の人やタクシーの運転手さんに「この辺で美味しいお店は?」と尋ね、教えてもらった店へ足を運んだものです。
そんな店に足を運んでみると、路地裏の奥の方にある赤提灯のぶら下がった店だったり、「店、やってるかしら?」と不安になるようなところだったりして、「本当にここで大丈夫?」と躊躇してしまうようなこともありました。
でも、恐る恐る暖簾をくぐってみると、店主は人情味にあふれ、料理も驚くほど美味しかったりしたものです。そんな経験をした人も少なくないのでは?
今回ご紹介するのは、まさにそんな一軒。地元の人が週に三度、四度と通いたくなる理由がある店を紹介します。
製麺所の朝は早い

店の前には、2台分の駐車スペースがある。
「早起亭うどん」の前身は、大正12年(1923)創業の製麺所です。谷口さんの祖父の代から続き、かつてはスーパーや食堂などへ麺を卸すことを主な仕事としていました。
製麺所の朝は、とにかく早い。午前1時半頃には仕事が始まり、2時頃には麺を作り始めます。4時頃になると従業員が出社し、いよいよ麺の製造は佳境に入ります。そんな製麺所の仕事から生まれたのが、「早起亭うどん」です。
「4時頃になったら下ごしらえを終えて僕の手も空くので、『お客さんが来はったら、こっちでうどんを作ろう』という感じで始めました」

配送トラックの駐車場が、うどんを食べる場所に
現在、客席になっている場所にも、製麺所だった頃の名残があります。

京都大学の学生もよく参加しているという。
「以前この場所は、配送トラックが止まる場所やったんです。忙しかったときには、何台もトラックが止まっていました。今では麺の卸は、いろいろな事情があってやめてしまったんです」
かつてその一角に置かれていた冷蔵庫や冷凍庫を撤去したことで、今のようなスペースが生まれました。そこで谷口さんは、「ここに飲食スペースを作ってみようか」と考えたのだそうです。当初は、柱で仕切っただけの「いわばバラックのような場所でした」と谷口さんは笑います。

平成26年(2014)に店を始めた当時も、あくまで本業は製麺でした。谷口さんが麺作りから手を離せない時は、製麺所で働いていた従業員が調理を担当するなど、皆で交代しながら切り盛りしていたといいます。
ところが、今では麺の卸は、昔から付き合いのある数軒を残す程度に絞り、製麺所で作る麺のほとんどを「早起亭うどん」で提供しています。
「色々悩んだ末に麺の卸を縮小し、うどんが食べられる食堂を始めました。ここは製麺所で作った麺を、その場で食べてもらえる店です」と谷口さんはいいます。現在は、地元の人はもちろん、京都を訪れた人たちが朝6時から足を運んでくれる一軒になりました。

売れば売るほど赤字が膨らんだ製麺所から、うどん店への転換
「早起亭うどん」が生まれた背景には、製麺所の苦しい時代がありました。
かつて谷口製麺は、スーパーや食堂などへの卸を中心に商売をしていました。しかし、原材料や光熱費、人件費が上がっても、卸値に転嫁することはなかなかできませんでした。
「値上げをお願いしてみてもなかなか了承してもらえない。さらに『なんとか値上げをさせてもらえませんか?』と頭を下げても『それやったら別のところから買います』と言われてしまうようなことがあったんです。材料の値段は上がってるのに、売る値段は上げられへん。売れば売るほど、しんどくなっていきました」
販売量が増えるほど、赤字が膨らんでいく。そんな状態が続き、谷口さん自身も、次第に仕事への意欲を失いかけていったといいます。
「自分自身、やる気もなくなっていって…。でも、簡単にやめるわけにもいかへんし。何か、もう一回やる気が出ることはないかなと思っていたんです」

そんな時、友人たちが集まる会で製麺所の苦しい状況を吐露したところ、「それやったら、飲食店にしたらええやん」と声をかけられたそうです。
「みんな勝手なこと言うんですよ(笑)。でも、その話を聞いて、『やってみようかな』と思えたんです」
製麺所で作った麺を自分たちで調理し、その場で食べてもらう。「早起亭うどん」の形は、製麺所の経営を模索した末に生まれた、大きな転換だったのです。
「すっからかん」の状態から始めた店
とはいえ、店を始めるだけの余裕があったわけではありません。
「早起亭うどんを始めようとした時は、本当にすっからかんでした。店を作るだけの資金もなければ、余裕もない。銀行に『何とか貸してください』と融資の相談へ行きました」
担当の若い銀行員は力になろうとしてくれたそうですが、支店長からは「こんな赤字状態の事業者に融資なんかできるわけないやろ!」と一喝されるほどだったといいます。
結局、谷口さん自身の生命保険を解約したお金で、開店にこぎつけました。ところが、お客さんがすぐに来てくれたわけではなかったといいます。
「最初の3か月は、1日に3人とか4人。店は開けども、閑古鳥が鳴いている状態でした」
製麺所の敷地の一角にあるため、そもそも飲食店があることに気づいてもらえない。身内からも「誰がこんなところに来るんや」「やってもあかんの分かってるやろ」とけんもほろろに言われたそうです。
それでも店を閉めることなく続け、一年ほどすると少しずつ近所の人や周辺の会社勤めの人、近くにある大学の学生が来てくれるようになりました。
「早起亭うどん」は、順風満帆に始まった店ではありません。製麺所として苦しい状況に追い込まれ、資金もなく、客も来てくれないところからの出発。
しかし、「祖父の代から続く製麺所を自分の代で潰すわけにはいかない」と思った谷口さんは、辛い状況下でも歯を食いしばってやって行こうと心に決めたのです。
製麺所だからこそ味わえる「はんなりしたコシ」

「早起亭うどん」で谷口さんが何より大切にしているのは、麺へのこだわりです。
「大学を卒業してから、ずっと麺に関わってきました。製麺の仕事を続ける中で、いろいろな小麦粉を使って作ってきました。当店で一番力を入れているのは、やっぱり麺ですね」
長年、製麺一筋で歩んできた谷口さんが、試行錯誤の末にたどり着いたのが、京都の製粉会社・井澤製粉の小麦粉でした。国産小麦の中心部分を使って作られた粉で、谷口さんが特に気に入っているのは独特のなめらかさです。
「この粉で麺を作ると、つるっとするんです。もう、『ぬるっ』とするくらいの『つるっ』。僕はその食感が好きなんです」
実際に筆者も口にしてみると、麺はするすると喉を通ります。かといって、ただ柔らかいだけではありません。噛めば、やさしいながらも確かな歯ごたえがあります。
讃岐うどんとは違う、「柔らかいコシ」
谷口さんに「京都のうどんらしさとは何でしょう?」と尋ねると、少し考えてから、こんな言葉が返ってきました。
「讃岐うどんみたいに『プリンッ』とした強いコシではないんです。でも、コシがないわけでもない。例えて言うなら、『はんなりしたコシ』かな」
麺は、ゆで上がったばかりの時には、中心部にわずかなかたさが残り、外側は柔らかい。その食感の差があるうちに食べることで、独特の歯ごたえが生まれます。
「はんなりしたコシ」。京都のうどんの特徴をよく表した言葉だと思いました。強く主張するわけではないのに、存在感がある。朝でも喉をするっと通って胃におさまり、重くない。このはんなりとした麺こそ、「早起亭うどん」の大きな魅力です。
麺を支えるのは、地下から汲み上げる水
製麺するには大量の水が必要です。麺をゆでる、冷やす、ぬめりを落とす、そして掃除にも水を使います。
「うちでは、昔から湧き水を使っています」
谷口さんによると、この辺りの地下には東山山系の水脈が流れているのではないかとのこと。今も井戸からは十分な量の地下水が湧き、日々の麺作りを支えています。
出汁作りは「知識ゼロ」から始まった
麺とともに欠かせないのが出汁です。
飲食店を始めた頃は「出汁をどう作ったらいいか、まったく知らなかった」と谷口さんは笑います。そこで京都の鰹節店「福島鰹」に相談したところ、出汁作りを教える専門の人が来てくれたそうです。
「最初は、その人に言われた通りに作っていました」
しばらくすると、早起亭うどんの出汁が美味しいという話を聞いた京都の料理店から「うちの出汁もこの配合で作ってほしい」と依頼を受けるようになりました。
そうした仕事を重ねる中で、「これを少し入れたらどうなるやろ」「こうしたらどうやろ」と試行錯誤を続け、少しずつ谷口さん自身の出汁へと仕上がっていったといいます。今では出汁のみを店舗で販売し、市内の料理店からは「供給してほしい」と言われることもあるそうです。

朝4時、母が作ってくれた「おかあちゃんのうどん」

「物価が上がっても、このうどんの価格だけは上げたくないですね」と谷口さん。
「早起亭うどん」で、初めて訪れた人に谷口さんがすすめるのが「おかあちゃんのうどん」です。
その由来を聞いてみると、谷口さんの少年時代と、製麺所を守り続けた母親との思い出につながっていました。
父親は、谷口さんが小学2年生の時に亡くなったといいます。その後、製麺所を切り盛りしたのは母親でした。親や親戚から「女一人で、こんな仕事できるわけない」と言われながらも、家業を守り続けたといいます。
中学受験期の朝に食べた、卵を落としただけのうどん
谷口さんは小学校4年生になると、中学受験のために塾へ通いました。学校が終われば塾へ行き、6年生になると土曜日も朝からテスト。谷口さん自身、「人生の中で一番勉強した時期だった」と振り返ります。
「母親は製麺の仕事があるから、朝2時から起きていました。僕も『朝勉強するから起こして』と言って、4時くらいに起こしてもらってたんです。本当に勉強してる時もあれば、勉強してるふりだけの時もありましたけど(笑)」
そんな早朝に、母親が作ってくれたのが一杯のうどんでした。
「全然、手の込んだもんやないんです。うどんと出汁。そこに卵をポンと落としてとじただけのものです」
それでも、夜明け前から製麺所で働く多忙な母親が、勉強する息子のためにちょっとの合間に作ってくれた愛情のこもった一杯でした。
普段は料理をする暇もなかった母
この話を聞いて、さらに印象に残ったのが、谷口さんのこんな言葉です。
「母は、普段ほとんど料理なんかしてなかったんですよ。製麺の仕事が本当に忙しかったから」
家業を守るために朝早くから働き続け、料理をする暇もほとんどなかった母親。その母が、受験勉強をする息子のために作ってくれたからこそ、何十年たっても忘れられない味になったのでしょう。
現在の「おかあちゃんのうどん」も、うどんと出汁に卵を落としてとじるだけの、いたってシンプルな一杯です。
出汁の香りとはんなりとした麺、そして卵のやさしい味わいを口にすると、どこか心まで温まるような気持ちになります。さらに由来を知ると、その素朴な一杯は、私の遠い昔の記憶まで呼び覚ましてくれました。

最後に
70歳になった今も、谷口さんは店に立ち続けています。「働ける間は働こうと思っています。これだけ物価が上がっても、自分が働けばコストは0だから。採算的にもいいし」と谷口さんは笑います。
同級生の多くは仕事を辞め、悠々自適に暮らしています。それでも谷口さんは、朝店を開け、麺を作り、お客さんと顔を合わせることが、人生の楽しみになっているようです。
取材の最後に、谷口さんは昔ながらの小さな店について、こんなことを話してくれました。
「新しくて、きれいで、見栄えのいい店じゃなくても、古い店だからこそ感じられる雰囲気や魅力ってあると思うんです。若い人にはそういうお店に行ってもらいたいですね。早起亭うどんもそんなお店の1つであり続けたいです」
おしゃれで美味しいお店は、たくさんあります。しかし、店主と心が通い合い、また行きたくなるようなお店はめっきり少なくなったように感じられます。
「早起亭うどん」は、私にとって忘れかけていたような雰囲気が感じられるお店でした。

■京・聖護院 天然湧き水 製麺所 早起亭うどん
住所:京都市左京区聖護院蓮華蔵町9 谷口製麺所内
TEL:075-761-0091
営業時間:6時〜13時
定休日:水曜
●取材・執筆/末原美裕

登録無形文化財の京料理から町中華やラーメンにいたるまで豊富な食文化を持つ町、京都に住む。飲食店の料理人にフォーカスを当てて記事を執筆中。プライベートでは、料理人が贔屓にする飲食店を巡り、日々味覚を鍛えている。真の美味しさを追求することをライフワークとしている。
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●撮影/貝阿彌俊彦(京都メディアライン)







