取材・文/坂口鈴香

西山恵美子さん(仮名・58)は母親(84)と協力しながら父親(85)の介護をしている。「認知症は教科書どおりに進む」と感じつつも、ささいなことをきっかけにレベルが急激に落ちるし、「食事の仕方がわからない」という想像もしていなかった物忘れの症状に認知症の残酷な一面があることも知った。
「食べ方がわからないから、そばにいてほしい」残酷な認知症【2】はこちら→https://serai.jp/living/1286239
好きなこともできなくなった
父親は物忘れがひどい以外は、トイレや入浴も介助なしでできるし、徘徊することもない。「外見は健常者と同じ」と繰り返す西山さんだが、父親の事故から5年。とうとう母親が「人生に疲れた」と言うようになった。
「私の人生、何だったのか。お父さんの介護に振り回されて、好きなこともできなくなった」と。
80代半ばの母親。仲の良かった友人が亡くなり、「もう悲しい思いはしたくない」と友人をつくろうともしなくなった。西山さんはフリーで仕事をしていて、生活時間が変則的だ。そのため、すべての家事も買い物も母親の役割だ。銀行に行き、家計の管理をするのも母親。娯楽と言えば、家でゲームをするくらいだ。
母親がインフルエンザで寝込んだとき、西山さんが家事を代わったが、母親がやっていた仕事の多さに驚き、80代の母親にはどんなに大変だっただろうかと痛感した。とはいえ、相反する気持ちもある。
「母も家事や介護が負担になっているんだろうとは思います。歳を取っているんだから、なるべく私がやってあげたいという気持ちがある反面、気力体力を維持するためには、少しでも母にやってもらったほうがいいのではないかという思いもあるんです」
西山さんが同居しているから、母親の気が弱くなっている面もあるのではないかとも思う。「私が嫁に行っていたら、こうはできないよ」と言うこともある。
「毎晩アロママッサージをしてあげていても、やってもらうのが当たり前になっているようで、『ここが痛い、あっちが痛い』と言われるとカチンとくるんです」
母親は、西山さんを頼りにすると同時に、「何で私だけ」と不公平感も抱いているようだ。西山さんが夜にちょっと友人とお茶しに出かけようとしても、「あんたは遊べていいわね」と嫌味を言う。
「寂しいんでしょうね。母は私に仕事をセーブして、家にいてほしいようです。日中仕事に出かけて、帰宅しても自室で深夜まで仕事をしているので。でも私にも仕事があるし、父の介護は母が中心にやるもので、私はあくまで母のフォロー役のつもりなんです」
「もっと生きたい」に救われた
いらだちや不安、寂しさを抱える母親――。それに対して父親は? と聞くと、西山さんからは意外な答えが返ってきた。
「認知症の人は不安だと聞いて、父に『不安じゃないの?』と聞いてみたんです。すると、父は『ちっとも不安でも苦でもない。忘れているから』と。そして『もっと生きたい』とも言ったんです」
父親はもともと本心を明かす人ではないので、「これが本音なのかはわからない」としつつも、母親の思いに応えられないことに負い目も感じていた西山さんは、救われた思いがした。そして、少し反省もしたという。
「すぐ忘れてしまう父に、私と母とで同じことを何度も大きな声で言うのは、私にとってもストレスです。せめてどちらか一人は黙って、父のために逃げ場をつくらないといけないなと思うようになりました」
直近の課題は、母親が白内障の手術を控えており、その間父親をどうするか、だ。母親にも持病があるので、日帰りはできない。父親を一人にはできないので、弟が母親の送迎をすると申し出てくれたが、母親は「恵美子がいい」と言う。父親をショートステイに預けるか、それとも弟に父親の世話を頼むか――。
「弟にも、父の介護の現実を見るいい機会かなと思います」
母親をいたわって、幸せに長生きしてほしいと思う西山さんなのだ。「もっと生きたい」という意欲のある父親のためにも。
取材・文/坂口鈴香
終の棲家や高齢の親と家族の関係などに関する記事を中心に執筆する“終活ライター”。訪問した施設は100か所以上。20年ほど前に親を呼び寄せ、母を見送った経験から、人生の終末期や家族の思いなどについて探求している。







