
「全日本デフビーチバレーボール選手権」で2023年から2025年まで3連覇を果たし、「東京2025デフリンピック」にも日本代表として出場した、デフビーチバレーボールプレーヤーの堀 花梨さん。生まれつきの難聴と向き合いながら競技を続け、現在は大成温調株式会社のIR広報部で働きながら、アスリートとしても第一線で活躍している。きこえのこと、ビーチバレーボールとの出会い、そして競技者として、社会人として、これからどんな未来を描いているのかを聞いた。
補聴器をつけた時、生まれて初めて自分の名前を音で知りました
堀さんが、生まれつきの感音性難聴と診断されたのは3歳の時だったという。感音性難聴とは、音を感じ取る内耳や聴神経に障害が生じて起こる難聴のこと。呼びかけても反応が薄い堀さんを心配した親御さんが、いくつもの病院を受診して、ようやく判明した。
「幼かった私には、当時の記憶はほとんどありませんが、補聴器をつけた瞬間のことは今でも鮮明に覚えています。私の世界に『音』が生まれました。そして、何度も私に呼びかける母の声を聞きながら、私は人生で初めて、自分の名前を音で知りました」

病名を知ったその時から、親御さんは堀さんの将来のために何が最善かを前向きに考え、できることを一つひとつ一緒に進めていった。
「保育園時代の話はすべて母から聞きました。当初は健聴児と同じように地域の保育園に通っていましたが、入園した頃は聞こえにくさから手話も交えてコミュニケーションを取っており、言葉の理解にも遅れがあったとのことです。当時は両耳とも聞こえにくいものの聴力は残っていて、3歳半頃から補聴器を使用し始めたそうです。でも、先生や周囲の理解が十分に得られず、環境が合わなかったことから、途中から母が探してきた聴覚障害児の保育園に週に1度通うようになり、年長からはこの保育園に完全に移ったそうです。
小学校についても、母が『手話だけでなく、声も使ってコミュニケーションを取れるようになってほしい』と考えていたことから、その希望に合う学校を探してくれました。私がまだ言葉にできなかった不安や困りごとまで考えながら、少しでも安心できる場所を探してくれていたのだと思います。今もしっかり支えてもらっていて、感謝しきれないですね」

小学校・中学校ともに、手話はまったく使わず、音声によるコミュニケーションを重視する方針のろう話学校に進学した。
「小学生の頃はサッカーなどで遊んではいましたが、部活動には所属していませんでした。中学生になって野球部に入部しました。その学校には運動系の部活が野球部しかなかったので(笑)」
こうして、幼い頃から自然とスポーツに親しんできた堀さん。活発に体を動かすことの楽しさは、やがてビーチバレーボールへとつながる競技人生の土台になっていった。

ビーチバレーはとってもあたたかく大切な居場所です

「高校では絶対にスポーツをしたいと考えていたので、バレーボール部に入部しましたが、ろう学校の中ではトップレベルの強豪校だったため、練習はとても厳しいものでした。しかし、コーチとのマンツーマン練習を通して上達を実感するにつれ、最初は苦しかった練習が『楽しい』と思えるようになり、途中で投げ出さず、最後までやり遂げることができました。
ビーチバレーとの出会いは、バレーボール部に所属していた同級生の伊藤碧紀さんから『一緒にやってみない?』と誘われたことがきっかけです。『1回やってみよう』という軽い気持ちでの参加だったのですが、すっかり夢中になり、高3からは伊藤さんと本格的に練習をスタートしました。インドアと違い、足元が砂でジャンプのバランスを取るのが難しく、風や気候を意識したプレーが求められる点にも苦労しました。
ただ、コート上には2人しかいないので、レシーブ、トス、スパイク、サーブといったすべてを担う必要があり、そこに大きなやりがいを感じました。ちょうどその時期に東京デフリンピック(2025年)の開催が決まり、伊藤さんと2人で『力を合わせて出場を目指そう』という明確な目標ができたことも大きなモチベーションアップにつながりました」
伊藤碧紀さんとは、その後ペアを組み、数々の大会に挑戦する中で、二人の絆を深めていった。さらに、ビーチバレーを通じて多くの人と出会ったことで、周囲とのコミュニケーションにも少しずつ変化があらわれていった。
「ビーチバレーは、いろいろな人と出会い、つながりを深めながら成長できる。コミュニケーションの場であり、とても大切な『居場所』のような存在になっていきました」

初めてのアルバイトで社会とつながる難しさを知りました
家族や友人に支えられながら自分の道を歩んできた堀さん。一方で、小学校、中学校は音声コミュニケーションを中心とするろう話学校、高校では総合的なコミュニケーション手段を使用するろう学校に通っていたため、健聴者と接する機会は限られていた。そんな中、初めて「外の世界」とつながる場となったのが、アルバイトだったという。
「周りが聞こえる人ばかりの初めての空間で、『自分一人だけ耳が聞こえない』という不安がありました。アルバイト先で難聴者と理解されていても、人間関係に悩んでやめてしまったケースもあります。レストランでホールスタッフとして働いた時は、言葉の聞き取りに限界を感じ、『難聴』『手話できます』という2種類の缶バッジを身につけるようにしました。それに気づいて声をかけてくれる人もいれば、気づかない人もいて、いろいろな人がいることを知りました」


現在の仕事と競技を両立できる日々に満足しています

現在、堀さんが勤務する大成温調は、2017年からビーチバレーボール大会に協賛し、選手支援や競技の普及・発展に長年取り組んできた企業だ。また、デフスポーツをはじめとする障がい者スポーツの振興にも貢献している。2025年3月には、堀さん、伊藤碧紀さんと所属契約を結び、堀さんは同年5月に入社。IR広報部で業務に励みながら、アスリートとしても活動を続けている。
「主な仕事は、会社が運営するアスリート応援サイト『LIVZON×SPORTS』の記事作成や更新、所属するアスリートのサポートのほか、スポーツ関連以外にも、ポスターや広報物のデザイン制作なども担当しています。ビーチバレーの練習がある日は、会社の業務のあと練習場へ移動しています。難聴についても理解していただき、働きながら競技に打ち込める現在の環境には、とても満足しています」
通常業務中は補聴器に加え、文字起こし機能の活用や、同じ職場の社員と手話を交えて会話することもあると話す。小学3年生から、ソノヴァ社のフォナックブランドの補聴器を使用している。また、同僚や家族とのおしゃべりには、補聴器と接続して使えるデジタルワイヤレス補聴援助システム「ロジャー」を活用することもあるとか。
「『ロジャー』のマイクで拾った相手の声が、ダイレクトで補聴器に届くので、話す側と聞く側の距離が離れていても、声をしっかり聞き取ることができます。社内で打ち合わせをする時や、家で食事をする時は、テーブルの真ん中にロジャーを置いておくと、補聴器だけだと小さく聞こえる声も言葉が理解しやすくなり、とても便利です。ふだんから持ち歩いて、騒音下で会話をするシーンでも活用しています。今回、この『ロジャー』のアンバサダーに就任したのですが、とても光栄に思っています」

難聴者への理解を広め、支援をする機会を創出したい
ビーチバレー、オフィスワークに加え、2026年3月には、『耳が聴こえなくても工夫をすれば、できることはある。』と題した講演会も初めて開催。今後は、障がい者支援の機会も増やしていきたいという。
「私は、家族や巡り合った多くの方に支えてもらうことで、現在の自分がいると思っています。今後は、健聴者、難聴者を問わず、誰でも参加できるイベントを開催することで、デフビーチバレーをより多くの方に知ってもらい、それをきっかけに聴覚障害のある方々にも競技に魅力を持ってもらうことで、将来的にはデフビーチバレーの競技人口が増えてほしいという思いがあります。
肝心のアスリートとしては、自分の課題を克服し、新たな技術を習得し、より高いところを目指していきたいです。今の目標は、3連覇中の『全日本デフビーチバレーボール選手権2026』で勝つこと。さらに、2029年開催のアテネデフリンピックに出場し、メダル獲得に向けても頑張っていきたいです」
競技と仕事、そして社会への貢献。異なるフィールドでの経験を重ねながら、自分らしいキャリアを築いている堀さん。誰かに支えてもらった経験を、誰かを支える力へと変えながら、堀さんの挑戦は続いていく。
堀さんも愛用するフォナック『ロジャー オン 3』

街中や車内、飲食店など雑音の多い騒音下や、話し手と聞き手が離れた場所にいても、ことばの明瞭度を高め、はっきりした音声を補聴器に届けるマイクロホン。本体には4つのマイクを内蔵し、聞きたい声の方向に集音の向きを合わせるビーム機能も搭載。複数の話し手にビームを向けることで、グループによる会話も聞き取りやすくなる。電池は充電式。フル充電の状態で最大8時間の連続使用に対応する。サイズは幅24×長さ100×高さ14mm。重さ27g。20万9000円(税込)。







