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文・写真/福成海央(海外書き人クラブ/オランダ在住ライター)

自力で動くことが難しくなり、余命いくばくもないとわかった時。最後にしたかったと脳裏に浮かぶものはなんでしょうか。思い出の場所に行きたい、もう一度家に帰りたい、愛する人に会いたい……。オランダにはそのような思いに寄り添う「wens ambulance」という取り組みがあります。直訳すると「願いの救急車」。患者さんの最後の願いを実現してくれるものです。

願いの救急車に依頼し、外出する利用者。

願いの救急車は、実際に救急車の運転手として働いていたケース・フェルドボアー氏によって始められました。ある日ケースは、終末期医療段階にある高齢患者のマリオを、緩和ケアのため別の病院へ移送していました。しかし病院側の受け入れ態勢の問題で、しばらく待機となったのです。マリオはもう病院に連れていき置いていってくれと言いましたが、ケースと看護士のリンダは、他に何かしたいことはないか尋ねたのです。マリオは最初冗談かと思い、「じゃあ有名店へ一緒にビールを飲みに行こう」と誘います。ケースたちは「そこまで行くには時間が足りないかな」と、「代わりに海を見に行きませんか」と提案しました。マリオはこれが冗談ではないと気づき驚くのですが、実際に桟橋へ赴き、数か月ぶりに病院から出て感じる海の匂いや港湾の音、行き交う船に涙を流して喜んだのです。同時に、寝たきりの状態では、もう一度船に乗りたいと思っても、それはできないということにも気づきました。

ですがケースは、このマリオの涙に心を動かされ、ある決意を胸にします。それは次の休みの日、特別に車両や看護師を手配し、マリオを船に乗せてあげようという計画。そしてマリオの息子の同意を得て、一緒に遊覧船に乗ることを実現させました。もちろんマリオがどれほど喜んだか、はかり知れません。

ケースはこの出来事をきっかけに、2007年にAmbulance Wens Nederland財団(https://www.ambulancewens.nl/)を設立しました。財団には約270人のボランティアがおり、一日に5~7件の依頼に対応しています。設立以来なんと2万件を超える願いを叶えており、その内容も様々。思い出の遊園地に行きたい、応援しているチームのサッカーの試合を見に行きたい、愛する家族の葬儀に出席したい、息子が建てた新築を見に行きたい、別の施設に入居しているパートナーに会いたい、大好きなアイスクリームを食べに行きたいなど。同財団のウェブサイトを見ると、これまで利用してきた方々からの体験談が紹介されています。年齢制限はなく、末期がんの若い方が好きなアーティストのライブに連れて行ってほしいという事例もありました。

思い出の馬に会いに行った利用者と家族。

活動資金は寄付によってまかなわれており、利用者は無料で「願いの救急車」に依頼をすることができます。残念ながら創設者のケースは2021年に心臓突然死により61歳でこの世を去りましたが、現在は息子のケース・フェルドボアー・ジュニア氏が父親の意思を引継ぎ、事業を続けています。またこの財団の他にも、同様の活動を行う組織がオランダ全土12州のうち9州にあり、国内をほぼカバーしています。

特別仕様の救急車とケース・フェルドボアー・ジュニア氏。

利用希望者はウェブサイトを通じて申し込みます。通常は依頼内容や日程、施設の予約など担当者と打ち合わせを行い、数日以内に救急車が手配されます。しかし急を要する場合、依頼から1時間以内に救急車が依頼者の元へ向かうこともできるそうです。車両には救急車ドライバーと看護士が同乗し、ストレッチャーでの移動や、道中の体調管理なども万全な体制。特別に改装された車両は、寝たきりでも外の景色が見ることができるように工夫されており、家族や友人も2名同乗でき、車内ではお気に入りの曲をかけてくれるなど、移動中も利用者に寄り添った配慮がされています。

専用のストレッチャーでスタッフや家族と移動する利用者。

私は昨年の夏、海辺の駐車場で願いの救急車を見かけました。砂浜の方を見ると、車いすに乗ったご高齢の女性を中心に7~8人ほどの集まりが見えます。家族や孫たちが集まって、記念撮影をしているようでした。女性は白いドレスで着飾り、砂浜を移動できる大きなタイヤの付いた専用の車椅子に座っています。撮影後みんなにこやかな笑顔で女性を囲み、談笑しています。この海岸は女性にとってどんな場所だったのでしょうか。育った土地かもしれない、恋を育んだ場所かもしれない、お気にいりの場所、またはいつか行きたいとずっと思っていた場所かもしれません。

海辺の駐車場で待機していた願いの救急車。

現在ではオランダ国外にも同様の活動が広がり、日本でも取り組む団体があります。自力で動けなくなり諦めていた願いは、たとえささやかでも、その人にとってはかけがえのない大切なもの。そして移動手段という手助けでそれを叶える「願いの救急車」は、本人にもそして家族にとっても、人生にあたたかな光をもたらすものなのです。

嬉しそうにポーズをとる利用者と笑顔の家族たち。

<写真提供(5枚目以外)>
Ambulance Wens Nederland財団(https://www.ambulancewens.nl/

文・写真/福成海央(オランダ在住ライター)
2016年よりオランダ在住。元・科学館勤務のミュージアム好きで、オランダ国内を中心にヨーロッパで訪れたミュージアム、体験施設は100ヵ所以上。世界100ヵ国以上の現地在住日本人ライターの組織「海外書き人クラブ」(https://www.kaigaikakibito.com/)会員。

 


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