和食がユネスコ無形文化遺産に登録されて、10年の節目を迎えました。時が流れると、やがて「これは誰の功績であったのか」が、しばしば取り沙汰されます。しかし、“誰が、何のために”そうした活動をしたかを問う人は少ないものです。
本来、理念や精神が重んじられるべきものなのに、何故か大切なものがなおざりにされ、中身のない形だけになってしまうことは、よくあること。
そこで、ユネスコ無形文化遺産登録に心血を注いだ、『菊乃井』主人の村田吉弘さんに、真の目的についておうかがいしました。
【京の花 歳時記】では、季節の花と和食、京菓子、宿との関わりを一年を通じて追っていきます。第36回は、高台寺東側にある『菊乃井 本店』の神無月の花と京料理をご紹介します。
50年後、100年後を見据えた壮大な計画が、和食をユネスコ無形文化遺産にした
「私は2004年に、50年後の日本の子供を飢えさせないために、日本料理アカデミーという組織を設立しました」
なぜ、50年後、日本の子供たちが飢えるんですか? と筆者が尋ねると……
「日本の人口は現在、1億2500万人です。これが、2070年頃には8000万人にまで減少すると予測されています。この時、65歳以上の高齢者が約40%となり、年少人口は約10%。生産年齢人口の約50%が、国民の半数を食べさせる構造になるわけです。
そうなった時に日本の周辺国へ目を向ければ、経済発展を遂げ、豊かな国になっていることでしょう。今や、日本はシンガポール、韓国に抜かれ、やがてはマレーシア、タイ、インドネシアにも抜かれていくかもしれません。
地球の人口が100億人を超えた時、世界中で食べ物は不足するわけですよ。そうなると、当然お金のある国へ物は流れるでしょ? 2070年代の日本の自給率は約19%と予測されています。アジアでも下から数えた方が早い貧乏な国になってしまう日本の子供は、飢えることになると思いませんか?」
50年後の予測数値を示されると、現実味を帯びてきます。
「人口が減少して食糧が不足することは、30年も前からわかっていることなんですよ。にも関わらず、行政の施作は立ち遅れている中で、日本食アカデミーとして国内で活動しただけでは目に見える効果も上がらず、社会に大きな影響を与えることも叶いませんでした。
そこで、外圧に弱い日本の国民性に訴えることにしたんです。和食がユネスコ無形文化遺産に登録されたことで、『和食は文化だ』と認められました。その顕著な例として、世界の日本料理店が5万6000軒だったのが、今では16万2000軒にまで増えました。また、食材の輸出量は4000億円だったのが、1兆4000億円になりました。
もし本当に日本人が飢えるような事態になったら、輸出を禁止して国内で消費すればいいわけですから、私の当初の目的は遂げられたことになりますよね」と、村田さんは口元に笑みを浮かべられました。
驚くような「シーベジタブルプラント計画」
「今、私が取り組んでいることは、日本中の海を“シーベジタブルプラント”にする活動です。日本周辺の海には、食べられる海藻が実に1500種類もあります。海藻はミネラルやタンパク質が豊富でカロリーが少なく、健康的な食品です。昆虫食が食糧難を救うという説もありますが、どう考えても、気持ち悪がりながら虫を食べるよりは海藻を食べる方がいいでしょ?
日本の海岸線はアメリカの約3倍あって、その海岸に海藻が増えれば水は綺麗になり、小魚も増えます。そうすれば、その小魚を餌とする大きい魚も増えるわけです。海藻を餌とするウニやあわびなども増殖し、海は豊かになりますよね。
ユネスコ無形文化遺産登録10周年イベントなどをやっているけれど、人によったら、村田が己の名誉欲のためにやったと思っている人も多いようです。物事の表面だけを見て、その裏側にある深い思いや考えを知ろうとしない人がいて残念ですなぁ(苦笑)」
神無月の松茸御飯
『菊乃井 本店』の神無月の献立の中から、今回は御飯を取り上げます。
「秋といえば、松茸ですよね。昔は各家庭で松茸のすき焼きとか、松茸御飯を食べていたものですが、超高級食材となった今では、滅多に食べられなくなってしまいました。
ですから、10月に日本料理屋にきたら、松茸を思い切り食べたいと思ってお越しになるわけですわ。そんな思いで料理屋に来たのに、カンナで削ったような松茸を出すわけにはいかんでしょう。だから『菊乃井』では御飯が見えなくなるくらい、たっぷりと松茸を入れるんです。蓋を開ければ、部屋中が松茸の香りで一杯になるくらいに……。だから、毎年この季節だけは、まったく儲かりませんわ(笑)。
松茸御飯と土瓶蒸しは、この季節に外せない一品です。松茸が入った煮物椀よりも土瓶蒸しが喜ばれます」
***
昨年の10月から一年間、村田吉弘さんの取材をさせていただきました。その取材の中から見えてきたのは、食への飽くなき探究心を持ち、高邁な精神のもと、活動されている「人間・村田吉弘」の姿でした。
多くの料理人は世に出て有名店になることを目指したり、あるいは自分の店の暖簾を受け継ぎ守ることを目的とする人が多い中で、なぜ村田さんは食文化を通じて、50年後、100年後の日本の未来を考えるようになったのでしょうか?
そこに辿りつくことができなかったのが、心残りです。また機会を作って、インタビューをしてみたいと思います。
「菊乃井 本店」
住所:京都市東山区下河原通八坂鳥居前下る下河原町459
電話:075-561-0015
営業時間:12時~12時30分、17時~19時30分(ともに最終入店)
定休日:第1・3火曜(※定休日は月により変更となる場合あり)、年末年始
https://kikunoi.jp
撮影/坂本大貴
構成/末原美裕・貝阿彌俊彦(京都メディアライン HP:https://kyotomedialine.com Facebook)
※本取材は2023年10月10日に行なったものです。