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黒澤明の不朽の名作をノーベル賞作家のカズオ・イシグロの脚本で70年ぶりにリメイク

先日行なわれた第95回アカデミー賞では、ビル・ナイが主演男優賞、カズオ・イシグロが脚色賞の2部門でノミネートされた『生きる LIVING』。

黒澤明の不朽の名作『生きる』を70年ぶりにリメイクした作品で、舞台となるのは第二次世界大戦後のイギリス。脚本を担当したノーベル賞作家のカズオ・イシグロは子どもの頃にイギリスのテレビで観た『生きる』に衝撃を受け、そのメッセージ性に感銘し、英国版を誰か作ってくれないものかとずっと考えていたそうです。

果たして、イギリスに舞台を移しても物語は通用するのでしょうか。カズオ・イシグロは「『生きる』は第二次世界大戦の敗戦国側を扱った作品ですが、復興と再生という仕事は勝者にとっても同様であり、帝国の権利意識、禁欲主義、慎み深さなど、両国の間には類似性がありました」と語っています。

以前、英国出身の女優さんにインタビューしたところ、「日本の男性とイギリスの男性はプライドが高く、本音を明かさないところがよく似ています。奥ゆかしいとも言えますが、その点、アメリカ人男性は物言いがストレートでわかりやすいです」と話していたことを思い出しました。随分前にトム・ハンクス主演で、ハリウッド・リメイク版『生きる』の制作の話があったはずなのに、いつの間にか消えていたのはそういった経緯があるのかもしれません。

イギリスの名優ビル・ナイがイギリスの初老紳士の悲哀を演じる

『生きる』は30年間無欠勤ながら、市民の陳情はたらい回しにして、ただ黙々と書類に判子を押すだけの無気力な日々を送っていた市役所市民課の課長・渡辺が主人公。彼がある日、自分が胃がんであることを知らされ、これまでの生き方を見直し、死を間際にして、本気で生きようとするヒューマンドラマの最高傑作です。名優・志村喬(渡辺役)がブランコに乗り、「いのち短し、恋せよ乙女」と「ゴンドラの唄」を歌っているシーンが有名です。

『生きる LIVING』はどうでしょうか。

――復興途上のロンドン。公務員のウィリアムズ(ビル・ナイ)は、今日もいつもと同じ列車の同じ車両で通勤する。ピン・ストライプの背広に山高帽、いわゆる “お堅い”英国紳士の身なりである。役所の市民課に勤める彼は、部下に煙たがられながら、事務処理に追われる。家庭では孤独で、自分の人生を空虚で無意味なものだと感じていた。そんなある日、彼は医者から癌だと宣告され、余命半年であることを知る――

『生きる』はモノクロで、『生きる LIVING』はカラーという違いはあれど、細かな設定はほとんど同じです。ハンコは確かにイギリスにはないでしょう。けれど、実はこの2本の映画から受ける印象は驚くほど、違うものなのです。

志村喬さんが演じる渡辺課長は市井の人。小市民のお手本のような人でした。そんな課長が死を前にお上に反旗を翻します。

一方で、ビル・ナイ演じるウィリアムズは登場からまさしくジェントルマン。カズオ・イシグロは小学生の頃、同じスーツに同じ帽子をかぶってロンドン行きの通勤電車に乗り込む年配の男性たちの姿を見ており、本作に長年抱いてきた戦前・戦後のイギリス文化への憧れを込めたそうです。それだけにビル・ナイの姿はカッコ良いの一言に尽きます。実はこの役にビル・ナイを指名したのもカズオ・イシグロなのです。

「彼はイギリス人らしいユーモアのセンス、皮肉、ストイックさ、 そして内面にメランコリーのようなものを持っています。そして私には彼が駅のホームにいる男たちのように見えたのです」

『ラブ・アクチュアリー』でロックスターを演じたビル・ナイ。現在は73歳ですが、『プラダを着た悪魔』のモデルになったアメリカ版ヴォーグ誌の編集長、アナ・ウィンターと噂になるなど、恋も仕事も絶好調。知性と色気を兼ね備えた、成熟した大人の男性の印象があります。

キャラクター設定や演出など、オリジナル版との違いを楽しめるのも本作の魅力

さらに渡辺課長が仕事をサボって、徘徊するのが夜の街なら、ウィリアムズは海辺のリゾートへ。渡辺課長が元部下の女性を誘うのが喫茶店でも、ウィリアムズは老舗ホテルのラウンジです。

何より、「ゴンドラの唄」の代わりにビル・ナイが歌っているのは「The Rowan Tree」というスコットランドの伝統的な歌なのです。今はもう亡くなってしまったスコットランド人の妻を思い、彼女が歌っていた曲を懐かしみ、歌います。

愛した人を失い、抜け殻のようになった初老の男性の悲哀。外見こそ華やかで威圧感がありますが、その内側は今にも朽ち果てそうです。

スマートなウィリアムズとは対照的に、渡辺課長は凄まじい執念で、最後の瞬間まで生きようとします。志村喬の鬼気迫る表情をカメラは逃しません。日本人だからかもしれませんが、泥臭い黒澤版『生きる』には親近感を、エレガントな『生きる LIVING』にはどこか憧れのようなものを抱きます。

オリジナル版もリメイク版も、どちらも紛うことなき傑作

見終わって、涙が止まらないのが『生きる』なら、最後にじんわり心が温かくなるのが『生きる LIVING』でしょうか。同じテーマで同じ設定なのにここまで違うものになるとは意外でした。

自分は本当に生きているのか、これからの人生をどう生きるべきなのか。何度も問いかけてくる『生きる』と『生きる LIVING』。好みはそれぞれですが、どちらも紛うことなき傑作です。

『生きる LIVING』
2023年3月31日(金)全国ロードショー
配給:東宝
(c)Number 9 Films Living Limited

原題:『LIVING』
出演:ビル・ナイ/エイミー・ルー・ウッド/アレックス・シャープ/トム・バーク
原作:黒澤明 監督作品『生きる』
監督:オリヴァー・ハーマナス
脚本:カズオ・イシグロ
音楽:エミリー・レヴィネイズ・ファルーシュ
製作:Number 9 F
上映時間103分
公式HP :ikiru-living-movie.jp
イギリス/2022年/カラー/ビスタ(左右に黒味あり 1:1.45)/5.1chデジタル/103分/G/字幕翻訳:牧野琴子

文/高山亜紀


 


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