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町を見下ろす奥の土居と呼ばれる一帯が牧野公園。自生・植栽を合わせ約500種の植物が見られる。写真は牧野が最も愛した花のひとつ、バイカオウレン。

実家も再現された、牧野富太郎のふるさと

牧野富太郎の出身地高知県佐川町は、今も彼が生まれ育った頃の佇まいを残している。白壁の酒蔵が並ぶ上町の一画は、かつて牧野の生家、「岸屋」の敷地だった。最初に植物に親しんだ金峰(きんぷ)神社の下には実家も再現され、牧野富太郎ふるさと館と名づけられている。

大正時代に撮影された唯一現存する写真を基に再現された、牧野の実家。現在は牧野富太郎ふるさと館として資料などを展示。

彼が学問の基礎を身につけた名教館(めいこうかん)も、2013年に玄関部分を中心に再現移築された。教室にパネル写真となって並ぶのは、維新の志士や各界で活躍した俊才たち。出身者のひとりとして牧野の顔もある。「佐川山分(さんぶん)学者あり」(※)と評された、文教の町の気風をあちこちで感じることができる。※《山分とは土地の言葉で山が沢山あるところの意である》(牧野富太郎自叙伝)

佐川領主深尾家の家塾として創設された名教館では、明治に入ると数は少ないが町人の子弟も学ぶように。牧野もそのひとり。

明治35年(1902)、サクラが好きだった牧野は東京で買ったソメイヨシノの苗を故郷へ送る。当時の佐川ではこの品種の魅力はまだよく知られていなかったようだが、地元の有志が青源寺の土手に植え、奥の土居と呼ばれる山の斜面にも増やすようになった。

最初のソメイヨシノは大正の終わりから昭和の初めにかけて見頃を迎え、佐川は高知の一大観桜地として知られるようになる。ところが、牧野が定着させたこの風景は消えてしまう。日本が戦争に突入、食糧増産のため奥の土居の木はすべて伐られてしまったのだ。

昭和31年(1956)、かつての賑わいを取り戻そうと商工会がソメイヨシノの復活に取り組んだ。同年、牧野富太郎は佐川町の名誉町民になる。まもなく奥の土居は牧野公園と名づけられ、牧野が永眠した際は分骨墓も建てられた。

佐川出身の偉人の資料を中心に展示する青山(せいざん)文庫。現在、特別展「植物学者・牧野富太郎の歩み」を開催中(10月15日まで)。
青山文庫で展示中の牧野の愛用品。写真は絵の具。1832年に英国ロンドンで創業したウィンザー&ニュートンのものを使っていた。当時かなり高価だったと思われる。
絵筆。毛数を調整するなど、緻密な線が引けるよう独自に改良を加えたものもある。

一年中楽しめる植物公園

牧野公園のソメイヨシノは盛り返したが、平成の後半あたりから樹勢が衰え始める。老化である。そこで地元では植栽計画全体を見直し、サクラ一色ではなく牧野にちなむ四季折々の草花を中心に景観再生を進めることにした。

目指したのは、穏やかに移ろう多種多様な自然美。さらに町では、植物を通じて人々がつながりあう”植物のまち”を目指し、その取り組みを「まちまるごと植物園」と名づけている。

牧野が播いた夢の種は、新たな芽をふるさとに出しつつある。

新緑の頃に開花するベニバナヤマシャクヤク。植生補充の際は、なるべく住民が種などから増やしたものを植えるという。
ガンゼキラン。常緑広葉樹林床に生えるランの一種。新緑の頃に花をつける。絶滅危惧種に指定され群落で見られる場所は少ない。

佐川町牧野公園

高知県高岡郡佐川町甲2458
電話:0889・20・9500(さかわ観光協会)
入園無料 散策自由

佐川町立青山文庫

高知県高岡郡佐川町甲1453-1
電話:0889・22・0348
入場料:400円
開館時間:9時~17時 
休館日:月曜(祝日の場合は翌日)

取材・文/鹿熊 勤 撮影/宮地 工
※この記事は『サライ』2023年6月号より転載しました。

 

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