2022年、長年在籍していたTBSを50歳で退職し、現在はフリーランスアナウンサーとして活躍中の堀井美香さん。ますます活動の幅を広げ、自分の想いに素直に、そしてしなやかにセカンドステージへと歩を進めはじめた堀井さんが語る「ひとり時間の持てた今だから味わえるひととき」を隔月でお届けします。
【私をつくる、ひとり時間】
第2回 インド旅で学んだ、“自分をちゃんと疑うこと”
文・堀井美香
海外旅行は不得手です。飛行機が落ちたらとか、迷子になったらとか、カバンに麻薬を入れられて刑務所送りになったらとか、もう何日も前から緊張してしまいます。
みんな大好きハワイでさえ、幼子を理由に夫に完全安心サポートのツアーを懇願しました。その結果、慰安旅行の団体に入れられ、ほぼすべての行程を知らない会社のおじさんたちと一緒に廻ったのは良き思い出です。
ですからそんな私の辞書に、勿論「インド旅行」などという文字はありませんでした。インドの女優シュリデヴィに憧れて、『マダム・イン・ニューヨーク』は何度も見ましたし『ムトゥ 踊るマハラジャ』だって大好きです。でもそれはそれ、これはこれ。インドという異空間でありウルトラC。その国に足を踏み入れるなど、私にとっては無謀の極みでしかなかったのです。 しかしどういう話の流れだったのか、家族に言いくるめられ、気づた時にはしっかりと灼熱の国デリー国際空港に降り立っていました。
物乞い、駆け回る猿、無法地帯の街……パンチのありすぎる環境にオーバーヒート寸前
40度という気温の中、空港から迎えの車で高速道路に入れば、そこはもう無法地帯。ヘルメットなしの3人乗りのバイクにトゥクトゥク、高級車が入り乱れます。我先にと道を急ぎ、主張の激しい大音量のクラクション。各々が勝手なスタンドプレーを繰り出し、その道に思いやりの精神などはありません。
街に入り、スピードを落とした車から見えるのは、そこかしこの乱雑な工事、存在感のある牛、骨と皮だけの野良犬、そして……駆け回る猿。車が信号で止まると今度は、赤ちゃんを抱えた女性、ガリガリのおばあちゃん、裸足の子ども、物乞いが寄ってきて何かを訴え車の窓を叩きます。目にするものすべてにパンチがありすぎて、私の頭はオーバーヒート寸前です。
市場で駅で路地裏で、人々の大きな話し声と何らかの騒音の中、容赦なく進む優しいコーディネーターさんと旅慣れた夫のあとを、ひたすら気を張って付いて行くインド旅。ああ、伊東のハトヤとか千葉のホテル三日月でゆっくりしたい……。どこに向かっているかもよく分からない目的地までの道すがら、何度思ったことかわかりません。露天では帰してもらえず余計なものをつかまされたし、寝台列車では私の席に知らない人が寝ていてどいてくれないし、食事は本当にカレーばかり。リゾートや国内旅行で感じる癒しやチルは見当たらず、もともと感受性の強い私の感情はこれでもかとかき乱されました。
インドに来て見えたのは、覚悟のない自分と空虚な善意
観光名所の前には必ず物乞いがいて、私の周りにはたくさんの人たちが寄ってきました。旅の後半になるともう、彼らを無視したり、払いのけることにも疲れていたのだと思います。ずっとあとをついてくる子どもの物乞いに、自分の頬をぴしゃりとはたかれた時、私はとうとう憤慨し、触られた頬を今すぐにでも洗いたいと思いました。そして同時に、心配するでも慈悲深く何かを差し出すでもなくて、本当はその子のことを終始汚らしいと思っていた自分に心底絶望しました。
貧困のニュースで見る子ども達に胸を痛め、寄付をしたり慈善団体に養育費を送り、それなりに温情ある人間だと思っていたのに、こうやって現実に直視した時、私は簡単に彼らと自分を切り離してしまう。憐れみと同情という高慢さで一定の距離を保ちながら、最後は自分の身を守ることをする。助けたい人を前にすべての自分の財産や時間を投げ出すこともせず、空虚な善意を自分の媚薬にする。
不条理さえ飲み込み、生へのパワーに変える。エネルギーに満ちた国で得たもの
きっとこの国に降りてから、インドはずっと私を試していたのです。そして私には、自分の世界にない雑多なものを、全身全霊受け止める覚悟などないのだということも気づかせてくれました。
夜、ガンジス川での「アルティー・プージャ」という礼拝儀式を訪れた時、岸辺に揺れる火の光を崇め、懸命に祈りを捧げる人々の姿に感じたものは、喧騒の街の中にいた人たちと同じエネルギーでした。
整った中に生きる私にはない、彼らの揺るがない底力。それは命運や自然の摂理、目の前のあるがままを受け入れる、真理の道への源流になっているのかもしれない。人生は思いどおりにはいかない。平等でもない。でも、その不条理を吹き飛ばし、飲み込み、開き直れるほどのパワーを持ったこの国が、少し羨ましくもありました。
私の感情を丸裸にしたインドという国。でも、自分にあるいくつもの醜いかけらが露わになってよかった。これから自分がする慈愛という名の行動のすべてで、自分をちゃんと疑える。疑っていこう。我関せず、静かに水面を揺らすガンジス川をぼんやり見ながら、そう自分に言い聞かせてみたのです。
タージ・マハルの美しさ、色鮮やかなサリーを身にまとう女性たち、世話付きで優しいインドの人たち。他にも書きたいことはあったのですが、それはまたいつか……。
堀井 美香(ほりい・みか)
1972年生まれ。2022年3月にTBSテレビを退社。フリーランスアナウンサーとして、ラジオ、ナレーション、朗読、執筆など、幅広く活動中。
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