人生の楽しみ方の一つとして、旅行を挙げる方は多いことでしょう。旅の中でも「宿泊先」というものは、旅行そのものの良し悪しを決定づける、重要な要素です。場合によっては、旅先の思い出より、宿の印象が強く残ることもあります。
しかしながら、「重要な旅の要素である『宿泊先』をどのように決めるのか?」というと、意外と安易に決めている場合があります。例えば、料金やアクセスを重視してしまうことは少なくありません。
【京の花 歳時記】では、「花と食」、「花と宿」をテーマに、季節の花と和食、京菓子、宿との関わりを一年を通じて追っていきます。第3回は、京都の市街地の中心部、麩屋町通に面した地に宿を構える老舗旅館『柊家』の花と宿をご紹介します。
ホテルとは異なる、「日本旅館」の趣と佇まいを季節ごとに感じてみてください。
◆霜月の出迎えの花
御池通から麩屋町通を少し南に下がった静かな通りに面した柊家の門をくぐると、大きな花器に生けられた赤く染まった油灯台躑躅(あぶらどうだんつつじ)が目を引きます。
「京都はこれから紅葉の季節に入ります。山中で一足早く赤く染まった油灯台躑躅でお客様をお迎えさせていただきました。
油灯台躑躅の足元に生けたのは、泡黄金菊、別名・菊谷菊(きくたにぎく)です。菊の季節はそろそろおしまいです。京都の地名“菊谷”が入った花を選び、移りゆく季節を感じられるような風情にしました」と『柊家』長女の西村 舞さんは語ります。
上がり口には、夏櫨(なつはぜ)の照り葉と野紺菊(のこんぎく)、桜蓼(さくらたで)が生けられています。
「今が見頃の真っ赤に染まる夏櫨ですが、野紺菊と桜蓼は盛りを過ぎているので、名残の気持ちを添えました。野紺菊と桜蓼は“家で咲いたので、よかったら”と店の者が持ってきてくれたものです。
花を通して、自然を慈しむ心でお客様や皆に喜んでもらいたいという気持ちがありがたいと、いつも感謝しています」と舞さん。
「花はそれだけで美しい。花だけが強く主張せずに、やすらいでもらえて、心ひきつけるものとはどういうものだろう」といつも思いながら生けられていると言います。
◆文豪・川端康成に愛された、14号室
今回、ご紹介いただくのは14号室。『柊家』の初代がこの地に居を構えたのは、文政元年(1818)のこと。ここは創業当時のたたずまいが残る4部屋のうちの一つで、『柊家』の中でも一番奥にある静かな部屋です。江戸時代の面影を残し、手直しをしながら今に至ります。
「14号室は、長い時間を通して、様々なお客様にご縁をいただいたお部屋です。中でも、作家の川端康成さんは、あるときはお仲間と、そしてあるときは奥様と。一番長い時間を過ごされたお部屋です」と女将の西村明美さんが教えてくださいました。
川端康成は、『柊家』に寄稿文を残しています。
京都ではいつも柊家に泊まって、あの柊の葉の模様の夜具にもなじみが深い。
京に着いた夜、染分けのやはらかい柊模様の掛蒲団に女中さんが白い清潔なおほいをかけるのを見てゐると、なじみの宿に安心する。遠い旅の帰りに京へ立寄った時はなほさらである。
(中略)
この目立たないことゝ変わらないことは、古い都の柊家のいゝところだ。昔から格はあっても、ものものしくはなかった。京都は昔から宿屋がよくて、旅客を親しく落ち着かせたものだが、それも変りつつある。
柊家の万事控目が珍しく思へるほどだ。
川端康成は、『柊家』の変わらないことと、目立たないことを好んでいたと言います。
緊張する花ではなく、心が安らぐ花を
床の間には、紅葉した軸が掛けられていました。それに呼応するように、秋の花が生けられています。詳しいお話をお聞きしました。
「錦繍とうたわれる秋ですから、色とりどりなのも美しいものですが、飽きずに見てもらえるよう、花数は控えめにしました。
今回は京都に謂れのある花を使いたいと思い、嵯峨菊を選びました。嵯峨菊は、嵯峨天皇の時代に大覚寺大沢池周辺に自生し、嵯峨天皇に愛された野菊で、大覚寺で育てられた嵯峨菊は門外不出と聞いています。花弁が細く、しなやかで気品ある感じが美しいですね。
山里の風情を感じさせる老鴉柿(ろうやがき)と、初霜を思わせるような白い花を選びました。
空間は置いてあるものすべてで、作り上げられるものですので、花だけが“私を見て”と主張しすぎないよう、心がけています。野山から季節を切り取ってきたように感じて、ほっとしていただけたら嬉しいですね」と舞さん。
◆1960年代に作られた、「瓢箪リモコン」
「この瓢箪リモコンは1960年代に祖父が考案したものです。祖母と縁があって柊家に入った祖父は、元々電気関係の仕事をしておりました。そうした経験から、先進的な感覚を持っていたのでしょうね。偶然、劇場を訪れた時、電気の力で緞帳(どんちょう)が上がる様子を見て、ひらめきが湧いたそうです。
“劇場にある緞帳のように、客室のカーテンの開閉をボタン1つで行なえたら、お客さまが喜んでくれるだろう”、という発想から作られたのが、この『瓢箪リモコン』です。
先人の思いと足跡の詰まった『瓢箪リモコン』はお客様からも大変珍しがられ、家族からも愛されていて、子供たちからは“絶対に残しておいて”と日頃から言われております」と、女将の西村さんはいくつかの部屋で今も残る「瓢箪リモコン」のエピソードを教えてくれました。
電気技術に造詣の深い宿泊者が、「金属板や配線もない60年前に、カーテンの開閉をはじめ、照明、枕電灯、チャイムボタンをリモコンにした技術は素晴らしい」と感嘆されたそうです。
京都は「伝統と革新の街」と言われますが、その言葉を表しているような品です。
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『柊家』の玄関には、「来者如帰(らいしゃにょき)」という言葉が掲げられています。意味するところは、「我が家に帰ってきたように、くつろいでいただきたい」ということ。
川端康成が「昔から格はあっても、ものものしくはなかった。」と寄稿していたように、訪れた人の心を和ませる不思議な風情が感じられました。
「柊家」
住所:京都市中京区麩屋町姉小路上ル中白山町
電話番号:075-221-1136
チェックイン:15時
チェックアウト:11時
https://www.hiiragiya.co.jp
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撮影/梅田彩華
構成/末原美裕(京都メディアライン HP:https://kyotomedialine.com Facebook)
※本取材は2022年11月1日に行ったものです。