文/ケリー狩野智映(海外書き人クラブ/スコットランド・ハイランド地方在住ライター)
劣化した土壌を修復・改善しながら生物多様性を再生し、自然環境の回復につなげることを目指すリジェネラティブ農業。日本語で「環境再生型農業」とも呼ばれるこの農業方式は、単なる有機農業を超えるサステナブルな取り組みです。
環境保全のパイオニア
このリジェネラティブ農業を積極的に実践し、環境保全のパイオニア的存在となっている農場がスコットランド・ハイランド地方のブラックアイル半島にあります。その名はブラックアイル・ブルワリー&ファーム。1998年以来ずっと有機農法ビールを造り続けているクラフトビール醸造所のオーナー夫妻が、2008年に自宅周辺の農地を買い取り、有機農場に転換したのが事のはじまりでした。
ブラックアイル半島は、スコットランド・ハイランド地方の主要都市インヴァネスから車で15分程度の距離にあり、「黒い島」を意味するその名は黒々とした肥沃な土壌にちなむものとも言われています。面積およそ250平方キロメートルのこの半島は、その大部分が農地で、化学肥料と農薬の使用を前提とした慣行農法による大規模な農業が営まれています。
このような環境の中、ブラックアイル・ブルワリー&ファームでは、農薬や化学肥料は一切使用せず、大型農業機械も導入せず、土を耕さずに作物を栽培する不耕起栽培を採用しています。収穫した作物は、ハイランド地方内に2軒ある自社経営のビールバー&ピッツェリアのほか、地元のカフェやレストランの食材に。そして、ビール醸造で発生する穀物廃棄物は、農場の家畜の飼料や堆肥として活用されます。
まるで楽園
この農場内にある菜園は、上空から見ると円の中にSの文字を3つ重ねたような渦巻き模様になっています。その中で、野菜や果物を栽培しているエリアと、野草が生い茂るエリアがパッチワークされており、栽培エリアをよく見ると、種類の異なる野菜や花が一緒に栽培されています。コンパニオンプランツと呼ばれる相性の良い植物を一緒に植えて育てることで病害虫を抑え、健康的な成長を助ける「混植/間作」を実践しているのです。青々とした野菜と色とりどりの草花が織りなす光景は、菜園というよりもまるで楽園のよう。
菜園内の風の流れを良好にし、自然による害虫駆除に欠かせない天敵生物や、花粉媒介生物の生息地を拡大するためにこのデザインを考案したのは、菜園の責任者であるアレックス・デイヴィスさん。そしてそれを具現化させたのが、オーナーで造園家のジェイジェイ・グラッドウィンさん。
自然農法に感銘を受けた造園家
ジェイジェイさんは、もともとはアンティーク家具修復士でしたが、ある日、自身が造り上げた自宅の庭園で、家具の修復を依頼されていた顧客と一緒にお茶をしていたとき、その顧客から「あなたは目が利くし、素晴らしい感性を持っている。私の家の庭をデザインして欲しい」と頼まれました。それがきっかけで造園の仕事も請け負うようになり、現在までに70の庭園を手掛けています。
福岡正信が著書『わら一本の革命』で提唱している自然農法に感銘を受けたというジェイジェイさんは、雑草は極力抜き取らず、秋になって枯れた植物もそのままにしておく主義。
「そもそも、何が雑草で何がそうでないかは誰が決めたのでしょう? 一般的に雑草と呼ばれている植物も、生物多様性に一役買っているのです。また、自然界では、枯れた植物が取り除かれることなどありません。枯れた植物だって、見方によっては庭の素敵なオーナメントになりますよ」と微笑ながら語るジェイジェイさん。
世界中から集まるボランティア
この農場の常勤従業員は、菜園責任者のアレックスさんとアシスタントの女性の2名のみ。大型農業機械を使用しないため、管理運営には多大な労働力が必要となりますが、ここで実践されているリジェネラティブ農業に感化された人々が、世界中からボランティアとして働きに来ます。彼らの多くは、ここでの学びと経験を生かし、自分たちの地元で環境保全型農業の推進に尽力しているそうです。
地元の学校との連携
ここで展開されているのは環境再生型農業だけではありません。3年前から地元の小中学校との提携のもと、週1回の頻度で数名の生徒たちを受け入れ、農作業を指導するプログラムを実施しています。参加する生徒たちのなかには、自閉症や学習障害などの問題を抱えた子供たちもおり、参加当初はまったく口をきかなかったり、他人との接触を拒んでいた子もいたとか。
ところが、そのような子供たちも、心のセラピーとしての園芸を指導した経験を持つアレックスさんのもとで皆と一緒に農作業を学び、ジェイジェイさんの家で手づくりの昼食を食べるという時間を重ねていくうちに心を開き、見違えるように積極的に人と接するようになったそうです。さらに、学習意欲のなかった生徒たちにも顕著な改善が見られるようになったと、学校側からポジティブなフィードバックが寄せられました。
そしてこのプログラムに参加した生徒たちは、「もっと自信を持って他人とやり取りできるようになった」、「チームの一員として働くことの大切さと楽しさを学んだ」、「ここでの農作業に参加するようになってから、学校での授業にしっかり集中できるようになった」などといった頼もしいコメントを残しています。
大地の生命力がみなぎる場所
「ここでは、私たち人間が自然を制するのではなく、自然と協力していくことを目指しています」と言うジェイジェイさん。
ここで働く人々の顔は、生き生きと輝いて見えます。それは、大地の生命力がみなぎるこの場所で、地球を癒しながら、安全で栄養価の高い農作物を自分たちの手でつくるという使命感と喜びがもたらす輝きなのかもしれません。
そういった意味で、ここはスコットランド・ハイランド地方の田園地帯にひっそり佇む桃源郷と言えるのではないでしょうか。
ブラックアイル・ブルワリー&ファームのホームページ:https://www.blackislebrewery.com/
ブラックアイル・ブルワリーのビールを直輸入している広島の総合酒類商社キムラのホームページ:https://www.liquorland.jp/products/blackisle/
文/写真(一部取材先提供)ケリー狩野智映(スコットランド・ハイランド地方在住ライター)
海外在住通算29年。2020年よりスコットランド・ハイランド地方在住。翻訳者、コピーライター、ライター、メディアコーディネーターとして活動中。世界100ヵ国以上の現地在住日本人ライターの組織海外書き人クラブ(https://www.kaigaikakibito.com/)会員。