ともに番浦省吾、国立工芸館蔵 左:《双象》1972年 右:《海どり》1973年

北陸地方では「弁当忘れても傘忘れるな」という言葉をよく聞きます。実際、急な雨も多く、この地域は日本でも有数の天気が大きく変わる土地柄であるようです。こうした気候のもとでは、生活は大変でも、優れた芸術を生み出すにはプラスに働くのかもしれません。実際、金沢同様に天気が変わりやすいフランスのノルマンディー地方では、”一瞬の光”を捉える「印象主義」が生まれました。では北陸は……? というと、輪島塗や九谷焼、加賀友禅をはじめとする豊かな工芸文化が発展しています。

現在2026年3月1日まで国立工芸館(石川県金沢市)にて開催中の「工芸と天気展―石川県ゆかりの作家を中心に―」は、まさに北陸地方の工芸と天気の関係性に着目した展覧会。「天気」という、身近でありながら、これまであまり語られることが多くなかった斬新な切り口で北陸にゆかりある作家による名品約60点が集められ、非常に興味深い展示内容となっています。そこで今回、本展の見どころや魅力を掘り下げる展覧会レポートをお送りします。

北陸特有の湿潤な気候に育まれてきた漆の詩情

大場松魚《平文朝箱》1969年 国立工芸館蔵

展示室の冒頭、第1章「天気と生きる、天気とつくる」で目に飛び込んでくるのは、多彩な漆芸作品の数々です。名匠たちが手掛けた蒔絵、沈金、乾漆など多様な技法が並び、漆黒の艷やかさや深み、金属光のきらめきといった漆作品のもつ独特の質感や表情をしっかりと味わえます。

こうした漆文化を大きく支えてきたのが、降水量が多く湿潤な北陸の気候です。漆は適度な湿度のもとで硬化が進む素材でもあり、気候風土を背景に早くから分業制の工房が発展。うつわや箱など生活に根ざした漆工芸が磨かれていきました。本展では、その伝統の厚みを土台に、近代以降「美術工芸」としての表現へ展開した名品を選りすぐって紹介しています。

たとえば山岸一男《沈黒象嵌合子 能登残照》は、沈黒と象嵌が織りなす黒の層が印象的。近づくほど、黒の中に光が潜み、能登の夕景を思わせる余韻が立ち上がります。画像や写真よりも、実物と対面した際のインパクトが大きいのが漆作品の特徴でもあります。

山岸一男《沈黒象嵌合子 能登残照》2016年 国立工芸館蔵

筆者が特に感銘を受けたのが鳥毛清《沈金飾箱 緑風》です。漆面に彫刻刀で溝を刻み、そこへ漆を摺り込んで金箔や金粉を定着させる「沈金」という技法で制作されますが、黒漆の闇に金が輝く非常に上品な風合いとなっており、写真で見るよりはるかにゴージャスな美しさに強い感銘を受けました。

鳥毛清《沈金飾箱 緑風》2011年 国立工芸館蔵

他にも、北陸ならではの湿潤な気候が生み出した艶と、多様に発展した加飾技術のコラボレーションが楽しめる作品が目白押しです。ぜひ、ご自身の「推し」作品を見つけてみてはいかがでしょうか。

移ろいやすい空の変化を反映した多彩な表情も

第2章「空を見上げて/春を待つ」では、雲や雪、雨の気配といった“空の変化”が、作品の意匠や造形として立ち現れます。写実的に天気を描くのではなく、色や面、光の反射、文様の反復など、工芸ならではの語彙で、北陸ならではの空模様の移ろいを示している点が見どころです。

ここで目を引いたのが中田真裕《雲の裏》です。漆芸の伝統的な技法「蒟醤」を用いた即興性のある抽象表現で、蒟醤の刻みが、タイトルにある通り、雲の層の“裏側”に潜む湿り、風、微かな明るさといったさまざまな表情をすくい上げます。

中田真裕《雲の裏》2023年 国立工芸館蔵/本作は作家が出産を控え自宅で静養中、建物の合間から見えた空に浮かぶドーナツ状の雲からインスピレーションを受けて制作されたもの

また、澤谷由子《露絲紡》は、うつわ底面の六芒星を中心に、放射状に群青のグラデーションが広がるとても美しい作品。「イッチン」という技法を駆使し、まるで編み物のような細密な模様が刻みつけられています。冬の極寒の澄み切った水辺や青空を思い起こさせました。

上:澤谷由子《露絲紡》、下:同、部分 2022年 国立工芸館蔵

春への期待が膨らむ、一足先に楽しむ”お花見”

展示風景

終盤にかけて、会場の空気は少しずつ“春”へ向かいます。寺井直次《梅花蒔絵香合》は、梅の意匠を小さな世界に凝縮した一点。さらに《金胎蒔絵水指 春》へと続く流れは、長い冬の先にある季節の転換を、静かに予感させます。梅や桜をあしらった作品を通して、鑑賞後にふっと気持ちが軽くなるような締めくくりになっています。

寺井直次《梅花蒔絵香合》1993年 国立工芸館蔵
寺井直次《金胎蒔絵水指 春》1976年 国立工芸館蔵

個人的には、人間国宝・松田権六が手掛けた華やかな《漆絵梅文椀》が圧巻でした。春先の懐石で、こんなうつわで金沢名物・治部煮をいただくことができれば最高だな、と想像しながら楽しく鑑賞できました。

上:松田権六《漆絵梅文椀》、下:同、部分 1966年 国立工芸館蔵

同時開催「ひと、能登、アート。文化財(アート)がつなぐ。Art for the Noto Peninsula」も要注目

1階では「ひと、能登、アート。文化財(アート)がつなぐ。Art for the Noto Peninsula」が同時開催中。本展は、令和6年能登半島地震と奥能登豪雨の復興を“文化の力”で応援する展覧会で、現在、東京国立博物館をはじめ、都内を中心とした美術館・博物館から名品が国立工芸館に集結。やきものを中心とした国宝・重要文化財の名品が集められ、なかには滅多に公開されない秘蔵作品も。嬉しいことに「工芸と天気展」と同じ観覧券で鑑賞が可能です。(なお、金沢21世紀美術館でも開催中)

重要文化財《遮光器土偶》 青森県つがる市木造亀ヶ岡出土 (東京国立博物館より出品)/実物と向き合うと、ずっしりとした土の量感を体感することができる
重要文化財《色絵月梅図茶壺》仁清(東京国立博物館より出品)/裏側には銀色の大きな月があしらわれているので、さまざまな角度から鑑賞してみたい
山尾侶之《海士玉採図石菖鉢》(東京国立博物館より出品)/金沢の金工作家が手掛けた作品。1873年ウィーン万国博覧会にも出品された名品
《伊万里写ティーセット》 ロイヤル・ウースター社(三菱一号館美術館より出品)/近年はほとんど出品されたことがない、同館秘蔵のティーカップの名品

2つの展覧会を続けて見るなら、おすすめは「見比べ」です。特に両展に共通して紹介される板谷波山に注目してみると、1階(ひと、能登、アート)の作品ではマットな「葆光彩磁」という技法で制作された作品が、2階(工芸と天気展)では「氷華彩磁」「霙青磁」という技法で制作された作品がそれぞれ展示され、巨匠・板谷波山の表現技法の懐の深さを実感できます。

上:「ひと、能登、アート」展示風景(板谷波山の作品は右手前2点)、下:「工芸と天気展」より板谷波山《氷華彩磁唐花文花瓶》1929年 国立工芸館蔵

「工芸と天気展」は、九谷焼や加賀友禅、輪島塗など、北陸地方の著名な工芸を横断的に取り上げながら、そこに共通して北陸特有の気候風土や天気の影響を見出そうとした、意欲的な取り組みが光りました。北陸の変わりやすい天気や、長く厳しい冬の気候こそが、芸術家にとっては大切なインスピレーションの源だったのです。そうとわかれば、本展を見終えてあらためて金沢の空模様を眺めてみると、雲の厚みや光の湿り気、風の冷たさまで、それまでとは少し違って感じられるかもしれません。工芸を見るための新たな“視点”をもらえる、この冬おすすめの展覧会です。

展覧会情報

移転開館5周年記念 令和6年能登半島地震復興祈念 工芸と天気展 ― 石川県ゆかりの作家を中心に ―
会場:国立工芸館(石川県金沢市出羽町3-2)
会期:2025年12月9日(火)〜2026年3月1日(日)
※会期中一部展示替あり(前期:12月9日〜2026年1月18日、後期:2026年1月20日〜3月1日)
休館日:月曜日(ただし1月12日、2月23日は開館)、年末年始(12月28日〜1月1日)、1月13日(火)、2月24日(火)
開館時間:午前9時30分~午後5時30分(入館時間は閉館30分前まで)

文・撮影/齋藤久嗣

 

関連記事

ランキング

サライ最新号
2026年
1月号

サライ最新号

人気のキーワード

新着記事

ピックアップ

サライプレミアム倶楽部

最新記事のお知らせ、イベント、読者企画、豪華プレゼントなどへの応募情報をお届けします。

公式SNS

サライ公式SNSで最新情報を配信中!

  • Facebook
  • Twitter
  • Instagram
  • LINE

おすすめのサイト
dime
be-pal
リアルキッチン&インテリア
小学館百貨店
おすすめのサイト
dime
be-pal
リアルキッチン&インテリア
小学館百貨店

SNS

公式SNSで最新情報を配信中!