
“オペラ王”と称されるイタリアの作曲家ヴェルディ。有名な『椿姫』や凱旋行進曲で知られる『アイーダ』、シェイクスピアの悲劇『オテロ』など、オペラに関心がある方ならヴェルディの作品を一度は目にされていることでしょう。
70年以上の歴史をもつ東京二期会は、1953年に『オテロ』を日本初演していますが、この9月の公演では日本で上演される機会が少ないヴェルディの名作『運命の力』を取り上げます。東京二期会では、1989年以来、じつに37年ぶりの上演となります。
壮年期のヴェルディによる名作
『運命の力』は、ヴェルディが50歳になるころ、作曲家として成功を収め、最も充実していた時期の作品です。『仮面舞踏会』の初演後、ヴェルディはイタリアの国会の議員を務め、農園も経営するなど多忙を極めていたといいます。しばらく作曲から遠ざかっていたヴェルディに、ロシアのサンクトペテルブルク・マリインスキー劇場から新作のオファーが舞い込みます。題材は自由に選べる条件だったので、当時スペインで上演され大評判になっていた戯曲『ドン・アルバロ、あるいは運命の力』をオペラ化することにします。
台本作家は、『椿姫』、『リゴレット』などで組んだ実績のあるピアーヴェを抜擢。作曲が進められ、1862年、マリインスキー劇場で初演されます。その後、改訂が重ねられ、1869年、イタリアのミラノ・スカラ座での改訂版の初演は大成功を収めます。この上演の準備の際、主役の歌手とヴェルディが愛人関係になるという運命的なスキャンダルもあったそうです。
改訂に際して、当初の原典版にはなかった序曲が加えられました。名旋律と共に劇的に盛り上がる『運命の力』序曲は、オーケストラコンサートで演奏される機会も多く、往年の名指揮者トスカニーニや現代では名匠ムーティも頻繁に取り上げていて、愛聴されている方もいらっしゃるでしょう。

運命に翻弄される恋人たちの悲劇
ヴェルディの数あるオペラ作品の中でも最もドラマティックとの評価もある『運命の力』。そのあらすじを簡単にご紹介しましょう。
舞台は18 世紀スペインとイタリア。愛し合っているレオノーラ(ソプラノ)とドン・アルヴァーロ(テノール)の若いふたりは、身分の違いや偏見から駆け落ちしますが、偶然アルヴァーロの銃が暴発し、レオノーラの父親が死んでしまいます。レオノーラの兄ドン・カルロ(バリトン)は復讐を誓ってふたりを追いますが、逃げる間にふたりは離れ離れに。偶然の出会いと別れにより、この3人の人生は思いもよらぬ方向へと進んでしまいます。運命に翻弄されていく恋人たちの悲劇です。

今回の東京二期会の公演は、ドイツのボン歌劇場、イギリスのウェールズ・ナショナル・オペラとの提携公演になります。演出は約20数年ぶりに来日したイギリスの巨匠サー・デヴィッド・パウントニー。『運命の力』を「ヴェルディ作品の中でも最もシェイクスピア的なオペラだ」と評するパウントニーさんは、「ヴェルディの力強く劇的な音楽が響き渡るような、大胆で抽象的な空間を創造する」とのこと。
そして指揮は昨年、モーツァルトの『魔笛』を指揮してニューヨークのメトロポリタン歌劇場デビューを果たし、来年1月には名門ドレスデン国立歌劇場管弦楽団を指揮するなど、今、世界的に注目されている八嶋恵利奈さんが担当します。
今回、日本でのオペラ指揮デビューとなる八嶋さんに、音楽評論家の山田治生さんが話を聞きました。
マエストロ・ムーティから学んだヴェルディ
――八嶋さんは、ドイツで生まれて、育ったのですね。
「両親は、日本人の音楽家です。ふたりはヨーロッパで音楽を勉強し、ザルツブルクで出会いました。ヴァイオリニストの父がハイルブロンのヴュルテンベルク室内管弦楽団で弾いていたので、私はハイルブロンで生まれました。そして音楽に囲まれ育ちました。父は、私が2歳のときにハノーファー北ドイツ放送フィルハーモニー管弦楽団に移り、引退までそこで弾いていました。大植英次さんが指揮をされていました」
――指揮者になろうと思ったきっかけは?
「14歳のとき、ハノーファーの音楽大学のプレカレッジで学んでいて、メインはピアノでしたが、副科で指揮法を学び、指揮が音楽の自然な表現方法だと思い、指揮者になりたいと思いました。フライブルク音楽大学、ウィーン国立音楽大学で1学期だけ学び、ベルリンのハンス・アイスラー音楽大学を卒業しました」
――その後、巨匠ムーティのアシスタントとなったのですね。
「卒業後、学生オーケストラを指揮したりしたあと、カイザースラウテルンの歌劇場で3か月、コレペティトゥア(歌劇場での伴奏ピアニスト・副指揮者)を務め、2015年にマエストロ・ムーティのラヴェンナでのイタリア・オペラ・アカデミーを受講しました。そして、マエストロが音楽監督を務めるシカゴ交響楽団のゲオルク・ショルティ・コンダクティング・アプレンティス(研修指揮者)のオーディションに合格し、3年半、マエストロ・ムーティのアシスタントを務めました」
――マエストロ・ムーティのもとではどのようなことを学びましたか?
「ラヴェンナのアカデミーでは、ヴェルディの『ファルスタッフ』を3週間学びました。素晴らしい体験でした。そのあと、シカゴ響でコンダクティング・アプレンティスとして、マエストロ・ムーティがシカゴ響で振るすべてのレパートリーを学びました。そのなかにはオペラもあり、最初の年(2016年)はやはり『ファルスタッフ』で、その次(2019年)はヴェルディの『アイーダ』でした。
また、マエストロには個別に学ぶこともあり、ザルツブルク音楽祭でのヴェルディの『アイーダ』や『レクイエム』でもアシスタントを務めました。
マエストロからは言葉にできないくらいたくさん学びましたが、特にリブレット(台本)について、言葉と音楽の結びつき、そして舞台上で何が起きているかを知るためにアンテナを張ることを学びました。
マエストロのシンプルな指示で信じられないくらい音色が変わります。ヴェルディの『マクベス』のコンチェルタート(重奏)で、全員が心をひとつにして10分かけて達することのできた素晴らしいピアニッシモが思い出されます」
――今回、ヴェルディの『運命の力』を指揮されますが、その魅力と聴きどころを教えてください。
「『運命の力』に出会ったとき、傑作を発見した驚きや初恋のようなときめきを感じました。また、同時に、初対面ですぐに親友になれるような親しみも覚えました。身体の奥底から感じる濃い作品ですね。序曲は、オペラ本編の美しいフレーズが散りばめられています。
第2幕のレオノーラのアリアで、教会の祈りの合唱やオルガンが聴こえてきますが、聴いている人が生まれ変わるような、魂が高められるような音楽です。
第2幕の合唱の入るフィナーレも特別です。オルガンの響きから始まり、グァルディアーノ神父の歌と合唱とが積み重なっていく。それはヴェルディの『レクイエム』の“怒りの日”のようでもあり、ブルックナーの交響曲のようでもあります。
第3幕のドン・アルヴァ―ロとドン・カルロというふたりの男性の複雑な人間関係を表現する音楽は1小節ごとに雰囲気が変わります。それをオーケストラと歌手で作るのはチャレンジングです。
そして、第4幕のドン・カルロとドン・アルヴァーロの二重唱で序曲の旋律(木管楽器が奏でる悲し気な旋律)が帰って来るところは、心に迫るものがあります」
――とりわけ、宗教的な第2幕が聴きどころのようですね。公演が楽しみです。

東京二期会オペラ劇場 ヴェルディ『運命の力』
公演日時:2026年9月3日(木)18:00開演/4日(金)、5日(土)、6日(日)各14:00開演
会場:新国立劇場 オペラパレス https://nikikai.jp/lineup/destino2026/

インタビュアー/山田治生
1964年京都市生まれ。1987年、慶應義塾大学経済学部卒業。1990年から音楽に関する執筆活動を行う。著書に、小澤征爾の評伝である「音楽の旅人 -ある日本人指揮者の軌跡」、「トスカニーニ 大指揮者の生涯とその時代」、「いまどきのクラシック音楽の愉しみ方」(以上、アルファベータ)、編著書に「オペラガイド」(成美堂出版)、共著書に「日本のオペラ」、「戦後のオペラ」、「バロック・オペラ」(以上、新国立劇場情報センター)などがある。
取材・文/インディ藤田
京都市生まれ。慶應義塾大学文学部美学美術史学専攻卒業。小学館で長年、各種ライフスタイル誌の編集部に在籍し、2011年から6年間編集長を務める。料理、AI、自然科学、健康、啓発など多ジャンルの単行本、新書、写真集を20冊以上編集。現在、出身地の京都を拠点に活動中。京都府・京都市「まるっと京都」アンバサダー。辻調理師専門学校「料理検定」1級。





