日本のホテル御三家のひとつであるホテルニューオータニ(東京・千代田区)に、パリで400年の歴史を誇るグランメゾン(高級フランス料理店)の、世界唯⼀の⽀店があるのをご存じでしょうか。その名は「トゥールダルジャン 東京」。その総⽀配⼈であるクリスチャン・ボラー氏と、エグゼクティブシェフのルノー・オージエ氏が、フランス政府から勲章を授与されました。そこで、⽇仏の⾷⽂化の交流・発展に長年貢献してきたおふたりに、来日当時から現在に至るまでの逸話を伺いました。
世界最古のフランス料理店「トゥールダルジャン」
1582年、フランスではアンリ三世の時代であり、日本では大坂城が建てられた頃のこと。パリの中心、5区のセーヌ河畔、ノートルダム寺院を望むサンルイ島の前に一軒の旅籠が誕生。そこからは銀の塔(フランス語でトゥールダルジャン)と呼ばれる、太陽の光に反射して銀色に輝く雲母で飾られた塔が眺められたことから、貴族のための旅籠を造ろうとしていた主人は国王に願い出て、店の紋章にこの塔を使う許可を得たそう。これがトゥールダルジャンのルーツです。
日本との縁も深く、昭和天皇がまだ皇太子の頃、そして約50年後にもご夫妻で再びパリ本店をご訪問されています。また、政財界など多くの人々がパリ本店を訪れ、日本という国に強い「縁」を築いていきました。そして1984年、「トゥールダルジャン 東京」が、ホテルニューオータニ開業20周年記念事業として誕生しました。
総⽀配⼈ クリスチャン・ボラー氏がフランス国家功労勲章を受章
今回、クリスチャン・ボラー氏(以下 ボラー氏)が受章したフランス国家功労勲章(Ordre National du Mérite grade)は、1802年ナポレオン・ボナパルトによって制定されたレジオンドヌール勲章に次ぐ、2番⽬の国家勲章として1963年に制定されました。多様な活動分野において、フランスに貢献する⼀定の職業に15年以上勤続し、顕著な功績を挙げた⼈物を、フランス⼤統領の決定により表彰するという、名誉ある勲章です。フランス大使館での授与式当日、ボラー氏に話を伺いました。
―このたびはおめでとうございます。勲章受章の感想をお聞かせください。
ありがとうございます。店を守り、フランスと日本の架け橋をいつも意識してきました。開業当時はめずらしかった生の肉やフォアグラなどを輸入すること、ワインセラーには質の良いものを取り揃え、素晴らしいシェフとともにお客様を迎えることなど、何か新しいことをしようといつも思っていました。受章したことで、私の人生そんなに変わりません。ただ、大勢の方に40年間応援いただいた結果だと思っています。
―医学を学んでいたボラーさんがトゥールダルジャン 東京の総支配人になったきっかけは?
うちの両親と近い関係だったテライユ社長が、クリスマスに私の家に来ていたんです。そこで、一緒に仕事をしようと誘われました。当時はやりがいがあることなら何でもやりたいと思っていました。すると彼が、「日本に店を出す話があるけど興味はある?」と言うのです。私は日本で仕事をしたことがないからと思ったのですが、うちの家は父がすごく美食家で子供の頃から高級レストランへ行く機会があり、レストランっていうのは、その場にいるみんなの踊るような動きが舞台のように思えたりして、昔から魅力を感じていた場所でした。テライユ社長には「心配しないで、私と一緒に仕事すれば大丈夫だよ」と言われ、せいぜい1~2年の予定で日本で働く約束をしました。
―1~2年の予定が40年も続いていらっしゃるわけですね。お店のオープン時はいかがでしたか?
トゥールダルジャン 東京のオープニング当初は、お客様が夕方5時から外に並んでいました。フランス パリでは食事をだいたい夜7、8時からスタートさせるので、そんな早くから? と驚きました。表に出るスタッフは約60名、キッチンは約50名いましたが、それでも大忙しでした。
来日した当時は、トゥールダルジャンは日本の社会にどう浸透できるかというのが、私に課されたミッションだと思いました。だからまず、まるで大使館のようにフランスの食文化を日本の皆様に紹介し、楽しませることを考えました。当時、私がかつお節を見て「段ボールを削ったもの!?」と思ったように、40年前の日本は、私にとって全くの異文化でしたから、新しい世界、新しい文化、完全に新しい人生を送らないといけない気持ちになりましたね。今振り返ると、人生経験が浅い26歳という若さがそれらを受け入れられたんだと思います。
「トゥールダルジャンは普通のレストランじゃない」と常に言われていた
―トゥールダルジャン 東京を形作っているものについて教えてください
まずイントロダクションとしては、2代目オーナーのクロード・テライユが、歴史のことや美食の世界、いろいろな本も読んでいていつも言っていたのは、「トゥールダルジャンは普通のレストランじゃないんだ」ということです。私は、なぜ普通のレストランじゃないのかと思いましたし、その答えが出なければ日本で成功しないだろうと考えました。
フランス革命後、市民社会が生まれました。人々が自由に移動できるようになり、様々な人が街を行き交うようになりました。例えば、それまで貴族に仕えていた人もそうでない人も、新しい社会で共通のマナーを守らなければなりませんでした。そんな中、トゥールダルジャンが提供していたのは、「社交場」でした。ここで働くスタッフは、社交場におけるマナーを全て理解していました。料理を提供するレストランは数あれど、料理やサービスに加え社交場の重要性を理解し提供するトゥールダルジャンは、“普通のレストラン”じゃないと考えました。そのうえで、トゥールダルジャン 東京で何をすべきかと考えたわけです。
それは、いらっしゃるお客様一人ひとりを我々が認識した上で、ダイニングに舞台を作る(舞台に見立てる)ことでした。トゥールダルジャン 東京ではテーブルの場所や大きさなどをその都度少しずつ変えているんです。
昨日来たときと明日では、ダイニングの間取りが違います、それが当店の秘密です。スタッフもそれを認識しないといけません。来店いただくお客様は、少しずつご縁が出来て、どういうことを望むか、例えば昨日はビジネスミーティング、明日はファミリーでの利用、明後日はまた別の方とお越しになるなどさまざまなケースがあります。
サービススタッフたちが、本当のメートル ド テルになるためには、10年、15年かかります。また日本では言葉遣いも大事です。フランスと日本の文化が合わさって、トゥールダルジャン 東京を形作るものはたくさんあります。
ほかにも、我々にはいろんな秘密があるのですが、今話をしているバーの考え方で言うと、お店に来てすぐ食べるのではなくて、食事前に一段落置いていただく場所としてご用意しています。フランス・パリ本店では、食前にはシャンパーニュを提供するので、ここでお客様にビールをリクエストされても「申し訳ございません。ビールよりもパワーのあるものがございます」とシャンパーニュをおすすめしました。オープン当初は、そのような文化が日本になくとも、日本の社会に馴染むために、フランスから何をどう提供すれば良いかを考えていました。
また、当時の日本のレストランでは、海老といえば伊勢海老でした。トゥールダルジャン 東京でも、伊勢海老を調理するか、それともアメリカンロブスター、どれも違うと思い、それまではめずらしかったブルターニュ産のオマールエビを輸入し始めました。日本に輸入したときに、ホテルニューオータニの大谷社長に見せたものです。アメリカのは赤いけど、フランスのは青いんですよって。本来フランスで刺身は出しませんが、どう刺身のように出せるか、シェフにチャレンジさせました。私がいつも意識してきたのは、自分たちの物事をぶつけるのではなく、日本の背景を考えて、サービスを提供することでした。
いつもやっぱり私が意識していたのは、競争相手はフランス料理ではなく和食ということ。なぜかと言うと、ここは日本だからです。日本の方たちから見たら、フランスは言わばエスニックフードと同じですよね。だから、たまにしかフランス料理店へ行かないでしょう? 毎日ではなくてね。日本の社会に浸透するためには、ビストロやフランス料理店ではなく、最高峰、最高級の料亭や和食屋さんを意識せねばなりません。例えばうちのブイヨンは、私が見つけた最高の温泉水で作っています。
―話の全てがお店を形作るキーワードですね。
そうです。お客様の人生はそれぞれあり、トゥールダルジャン 東京にお越しになる理由もさまざまです。1組1組のお客様に対して、本当に良いサービスを提供出来るよう、常にお客様の心を先読みし、行動しなければなりません。そのため、スタッフを呼ぶためにお客様が手を上げる動作をする場面を目にすることがあれば、私の心は傷つき、本当に恥ずかしい気持ちになるでしょう。
―日本は「察する」という言葉があります。この人、こういうのを欲しがってるのかなとか。
そうですね、想定して外れることもあるから、経験がないと読めません。そしてそれを知るにはとても時間かかります。この世界はやっぱり相手を喜ばせたいという気持ち、深い心がないとできないですね。
―歴史をたどると社交場として存在をしていて、マナーを伝える意味もあったり……。
今の時代は教えることは難しいですね。
いつも思っているのは、いきなりすべてが分かると面白くありません。一度に何でも分かると人生つまらないですよね。少しずつ知っていき、お互いを理解していくというのが最高ですね。
―日本のカルチャーで好きなところはどんなところですか?
日本の会話の中で「間」というのがあります。サイレンス、静けさですね。フランス人はしゃべってしまいますから慣れていないのですが、美しいと思う部分です。あとは、侘び寂び、日本の食器、織部焼も好きになりました。自分で陶芸もして、作った器は応援してくださる人に全部あげました。私は粘土を触るのがすごく好きで、日本の書道と同じで集中してリラックスもできるし、自分の心の深くで向き合うという、そこは日本で学びました。あとは、四季の表現も日本にはたくさんあり、そのあたりも好きですね。日本にいるおかげで得られたことがたくさんあります。
―今後、ボラーさんが目指すこと、実現したいことを教えてください。
今の時代、常に新しい物を求められている印象があります。でもトゥールダルジャンは歴史があり、深みがあり、そこは大事にしたいと思っています。何事も熟成しないといけません。そして、毎年すべてを変えてしまうのではなく、少しニュアンスを変えて挑戦してみる。これを続けていくと、いわゆる伝統になると思うのです。
私の次のプロジェクトはいつも同じですけど、お客様を幸せにすることについては、もっともっと磨かないといけないと思います。
そのためには、伝統を磨きながらも今の時代に合わせたサービスを届ける必要があると思います。恐らく40年前と比べて、生活様式や文化が変化し、異なる部分が多くあるでしょう。私は医学の道を志していたこともあり、今でも勉強しているのですが、例えば現代人は昔に比べて一度に多くの量を食べるのではなく、こまめに回数を設けて食事をしている感覚があります。どのような料理を提供するのがお客様に心地よいと感じていただけるのか、シェフとも話し合います。これからも時勢の流れを掴みながら、これまでの伝統を継承し、お客様がトゥールダルジャン 東京に来ることで幸せと思っていただけるような空間にしていきたいと考えています。
トゥールダルジャン 東京
住所/東京都千代⽥区紀尾井町4-1 ホテルニューオータニ ザ・メイン ロビィ階
予約・問い合わせ/03-3239-3111(直通)
営業/12:00〜13:30(最終⼊店)・15:30(閉店)、17:30〜20:00(最終⼊店)・22:30(閉店)
定休/⽉・⽕・⽔のランチ
https://tourdargent.jp/
取材/石川晴美