フォトジャーナリスト・野町和嘉の新たな作品集『野町和嘉 人間の大地』が2025年7月5日に発売されました。野町さんは、多くの人類にとって“未踏の地”となる場所を撮り続けてきた稀有な写真家として世界的に知られており、本書は、その集大成となるフォトエッセイ集。世田谷美術館で同名の展覧会も開催されており、本書はその展覧会図録としても位置づけられています(展覧会レポートはこちら https://serai.jp/premium/1235367)。重厚なハードカバーに仕立てられた装丁で、全232ページ・オールカラー。野町和嘉の半世紀におよぶ写真家人生の記念碑的な1冊に仕上がっています。そこで今回は、『野町和嘉 人間の大地』の魅力について3つの視点から紹介します。

1.展覧会を超える182点の作品を収録──光と陰の織りなすドラマチックな色彩に没入する
まず特筆すべきは、展覧会に出品されたすべての作品を網羅するだけでなく、展覧会では見ることのできなかった作品を含む182点を掲載している点です。
冒頭から読み進めていくと、どの写真にも、思わず引き込まれてしまうような鮮烈な色彩があふれています。それは、サハラ砂漠の抜けるような青空と、夕日に染まった橙色の砂丘が交錯する風景を見れば一目瞭然です。野町さんは、1日のうちでも光と影のコントラストがもっとも鮮やかになる“その瞬間”を狙って撮影します。高地や極地といえば、荒涼とした灰色の大地を思い浮かべがちですが、野町さんのレンズを通すと、不思議なことに、画面いっぱいにみずみずしい色彩が舞い始めるのです。



また、遠近自在の構図の面白さにも目を見張ります。上空から俯瞰した風景写真は、地球そのものの造形美や群衆の織りなすダイナミックなパワーを感じさせ、逆に被写体に肉薄した人物写真では、そこに生きる人々の眼差しや皮膚の質感さえもリアルに伝えてくれます。


展覧会でのスケール感あふれる展示も素晴らしいですが、本書はまさに野町作品といつでも好きなときに出会える永久保存版。いつページをめくっても、紙上で新たな“展覧会”が立ち上がってくるかのような新鮮な驚きが待っています。
2.作家自身の言葉で綴られるフォトエッセイ──写真の背景にある思考と情熱に耳を傾ける
感銘を受けたもうひとつのポイントは、本書が「写真集」でありながら、野町さんの自筆によるフォトエッセイが随所に収められている点です。

各作品にまつわる作家による直接のコメントがテキストとして収められていることで、よりリアルにそれぞれ写真のもつ世界観に没入できます。野町さんの写真は、驚きに満ちている分、読者に「もっとこの写真について知りたい」という好奇心をかきたてます。
「なぜその場所、その被写体に惹かれたのか?」
「どのようなことを考えながら撮影に臨んだのか?」
といった、問いにしっかり応えてくれるのが、本書に豊富に収録されたフォトエッセイなのです。単なる撮影裏話ではなく、写真家として、またひとりの旅人として、異文化に対してどのような距離感と敬意をもってレンズを向けていたのかを理解するための貴重な手がかりとなることでしょう。写真をひと通り味わい尽くしたら、今度はフォトエッセイを読み進めながら、野町さんと一緒に旅をしている気分にも浸ってみてはいかがでしょうか。

また、雑誌や新聞などでかつて発表された文章を抜粋しつつも、掲載された182枚の写真すべてにキャプションが添えられ、さらには、巻末には今回撮り下ろしのインタビューも掲載。まさにキャリアの集大成にふさわしいフォトエッセイに仕上がっています。

個人的に特に印象深かったのは、スーダン南部で牛とともに生きる牧畜民との交流譚です。野町さんが彼らの牧畜キャンプに入り込み、彼らとともに暮らした際の気づきや驚きが克明に記されており、まるで奇跡のような写真の数々がどのような経緯で撮影されたのか、写真家の視点を実感することができました。
3.第一級の記録資料としての価値──消えゆく文化の証言と信頼性
さらに注目したいのは、本書に収められた写真の持つドキュメンタリーとしての資料価値の高さです。
野町さんがカメラを向けてきたのは、1970年代以降のアフリカ、アジア、中南米など、地理的に足を運ぶのが困難な場所ばかりでした。こうした地域の多くが、その後相次ぐ紛争や戦乱によって荒廃し、また、グローバル化・デジタル化の波に浸食されたりするなかで、土地に根ざした暮らしや生活文化を失っていきました。インフラが整備されていない地域へ向かい、納得行く写真が撮れるまで現地にとどまり、人々の暮らしをじっくりと記録していく野町さんの制作手法は、21世紀の現在ではますます稀少となっており、彼の写真はまさに“今はもう見ることができない風景”の記憶装置ともいえるのかもしれません。

そういった視点で本書を俯瞰してみると、チベット高地の祭礼、サハラの遊牧民、エチオピアの岩窟教会などは、まさに現代の都市化や戦争によって失われつつある文化の断片といえます。彼らの生の営みをいきいきと伝える野町さんの写真は、かつて「確かにそこにあった世界」として現代に伝えられる、第一級の歴史史料でもあるのです。

本書『野町和嘉 人間の大地』は、展覧会の記憶を豊かにするばかりか、写真を通じて人間の歴史や営みに触れる“知的な旅”の案内書でもあります。展覧会で彼の作品世界に心動かされたなら、ぜひ本書を手にとってみてはいかがでしょうか。さらに深く野町作品の背景や精神性に触れるための「もうひとつの旅」として読むことができるでしょう。また、今回はじめて野町さんのことを知る方にとっても、野町和嘉の世界に触れることができる決定版の1冊としておすすめです。
書籍情報
「野町和嘉 人間の大地」
出版社:クレヴィス
発売日:2025年7月5日
全232ページ、3,960円
版元公式HP:https://crevis.co.jp/publishing/humans_and_land/
文/齋藤久嗣