生命誌研究者である中村桂子さんは、1936年、東京生まれ。1993年、57歳のときに自ら構想した「JT生命誌研究館」を創立し、副館長に就任。2002年より同館館長、2020年より名誉館長を務めています。生命誌とは、生命科学の知識を踏まえて、38億年前に地球に生物が誕生してからこれまで生まれた多種多様な生物の壮大な歴史を読み取り、生き物たちが「生きている」様子を見つめ、そこから「どう生きるか」を探す学問です。「地球上の生き物はすべて38億年前に生まれた最初の生命体を祖先とする仲間」ということを基本に生き方を考えます。
人生の少し先を歩く「姉」たちから「妹」たちへ
そんな中村さんが語る「妹」たちへのメッセージとは……。『50代からの生き方のカタチ――妹たちへ――』(関西学院大学ジェネラティビティ研究センター 編)は、中村さんをはじめとする12人の「姉」たちが、これから人生の半分を生きる、すべての「妹」たちへ贈るメッセージ集。「花人日和」読者にとって学びの多いこの一冊を携えて、中村さんに「生きもの」である私たち人間の豊かさとは何か、生き方のヒントを伺いました。
今回は、中村さんが幼少期から学生時代、子育て後の職場復帰を経て、これまで何を大切にして生きてきたのかに迫ります。
取材・文/山津京子
競争心というものを抱く感覚がなかった
――幼いころはどのようなお子さんだったのでしょう。
好奇心旺盛で、身体を動かすことが大好きだったと思います。でも、競争心というものはなくて、呑気な子どもでした(笑)。
例えば、ドッジボールをしたとき、ゲームの最中は楽しくて一生懸命なんですよ。けれども、ゲームが終わったあとは負けてもさっぱりしていて、勝ち負けというのは忘れてしまう。そんな子どもでした。
私は5人きょうだいで、兄、私、弟、妹、弟がいたのですが、本気の喧嘩というのも、したことがない気がします。
それは両親が、私のありのままを受けとめながら、育ててくれたからだと思います。
父も母も「女の子だからしてはいけない」とか「何になれ」「何をしなさい」と言わない人たちで、きょうだい同士を比べたり、区別したりすることもありませんでした。だから、競争心というものを抱く感覚がなかったのだと思います。
――第二次世界大戦後は、麹町中学からお茶の水大学付属高校を経て、東京大学理学部化学科に進学なさいました。化学の道へ進まれたのはどうしてですか?
高校時代に出会った、化学の木村都先生のような大人になりたいと思ったからです。
小学、中学、高校と、私はすばらしい先生や仲間に囲まれていて、そうした方たちに感化されながら楽しく過ごしていたのですが、都先生はキリっとしていて、特別に印象が強い方でした。
その素晴らしさは一言では語れませんが、都先生が退職されたときに謝恩会を開いて、理系の道を志した有志が50名ほど集まったのですが、そのほぼ全員が「先生のようになりたくて理系の道へ進んだ」というほど、みんなの憧れの的だったのです。
私は精神的には幼くて、高校生になっても将来どうしようかとか、どんな大人になりたいとか考えたことがなく、ただ毎日が楽しくて学校生活を過ごしていました。それが高校2年になって、担任の先生に「あなたは将来、どうするの? 大学へ行くなら決めなきゃいけないのよ」と言われて、初めて社会の中で大人として生きることを考えたのです。当時はまだ卒業後、すぐに結婚するという道もあった時代でした。
それまで将来については何も考えていませんでしたが、そのとき真っ先に思い浮かんだのが都先生でした。「先生みたいになりたい」と思いました。
化学専攻から生物化学の研究へ
――東京大学の学部では化学を専攻なさいました。しかし、大学院では生物化学の研究を選ばれました。
私が学生だった1950年代は敗戦から日本が復興していく時期で、化学は、社会から求められていて学生にも人気の高い学問でした。
ところが、たまたま授業でDNAの存在を知って、生物化学に興味が湧いたのです。
当時、DNA研究をする分子生物学は始まったばかりの分野でしたので、同級生からは全員に反対されました。でも、おもしろそうだと思いましたし、何より分子生物学を研究していらっしゃった渡辺格先生がとてもおもしろそうな方で……。渡辺先生に直接お話を伺いに行って、研究室に入れていただいたんです。
渡辺先生も私のことをおもしろい人間だと思ってくださったようで、研究室の方たちに「ものすごくおもしろい子が来るから取っとけよ」と言ってくださったのです。私は本当に先生に恵まれていると思います。
――競争や評価というものには関心がなかったのですね。その後も、大学院を卒業後、国立予防衛生研究所へ勤められていましたが、結婚。2児をもうけられて、5年間研究から退かれました。
中村 ええ。でも、家事と育児をしている間も、渡辺先生や同じく恩師の江上不二夫先生から翻訳や本を書くお仕事をいただいて、仕事とのつながりをもつことができました。三菱化成生命科学研究所で職場復帰ができたのも、江上先生が声をかけてくださったのです。ここもまた先生のおかげですね。ありがたいことです。
互いに優れているところを見つけて付き合う
――幼少期から現在まで、とてもステキな人間関係を育まれていらっしゃいます。人と接するときに心がけていらっしゃることがありましたら教えてください。
自分自身を飾ったり、他人に媚びたりせず、素直にありのままに接することでしょうか。そのときどきで私がしていることや考えが正しいかどうかはわかりませんし、周囲の人から見たらダメなこともあると思います。でも、私はいつも自分が納得して、できることしかしていないのです。
それと、私は小さなことでも、何か良いことを見つけることが得意なんですよね。
生物の世界では区別はありますが、差別はありません。アリもライオンもトータルで比べると優劣というのはないのです。アリは自分の体の何倍ものエサを運ぶことができますが、ライオンにはできません。ライオンは体も大きくて力も強いですが、比べ方によっては、アリのほうがすごいんです。
自然界というのはそうした異なる生き物たちが各々存在していることで、バランスよく秩序が保たれています。だから、ひとつの価値観で、生き物を判断することは間違っています。互いに優れているところを見つけて付き合っていけばいいのです。
生物学に携わっている私は、常にそうした考え方が身に沁みついているので、自分を卑下することなく、また、人のよいところを認めて、大らかにつながっていけているのかもしれません。
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次回は87歳を迎えたいま伝えたい、「妹」世代へのメッセージを伺います。
中村桂子(なかむら・けいこ)
生命誌研究者。1964年東京大学大学院生物化学専攻博士課程修了後、国立予防衛生研究所研究員、三菱化成生命科学研究所人間・自然研究部長、早稲田大学人間科学部教授、大阪大学連携大学院教授などを歴任。1993年に自ら構想したJT生命誌研究館を創立し副館長。2002年より同館館長、2020年より名誉館長。
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『50代からの生き方のカタチ――妹たちへ――』
(関西学院大学ジェネラティビティ研究センター 編)
アルソス
『50代からの生き方のカタチ――妹たちへ――』(関西学院大学ジェネラティビティ研究センター 編)は、中村桂子さんをはじめとする12人の「姉」たちが、これから人生の半分を生きる、すべての「妹」たちへ贈るメッセージ集。
未来に対する不安や迷いと向かいつつ、「真に自分らしく生きる」にはどうしたらいいのか。「そっと背中を押すような」珠玉の言葉が詰まっている。