文/ノンフィクション作家 平野久美子

音楽と絵画の融合
ミカロユス・コンスタンティナス・チュルリョーニス(Mikalojus Konstantinas Čiurlionis 1875-1911)。この舌を噛みそうな名前のリトアニア人芸術家について、多くを知る日本人はまだ少ない。それにも関わらず、2026年3月28日から東京上野の「国立西洋美術館」で始まった展覧会の初日には、開館前から多くの人々が列をなすほどの盛況ぶりで、反響を呼んでいる。
日本で34年ぶりに開催されている『チュルリョーニス展 内なる星図』には、生誕150周年の祝賀ムードを引き継いでカウナスの「国立M. K. チュルリョーニス美術館」が所蔵する主要な80点あまりの作品(絵画、素描、版画など)が来日した。その中には、日本初公開の幻想的な大作≪レックス(王)≫も含まれている。
「チュルリョーニスの作品は、リトアニア近代文化を形づくっただけでなく、同時代の芸術動向を先取りする先見性を備え、ヨーロッパ美術史・音楽史の中でもたぐいまれな存在として高く評価されています」。
展覧会の事前レセプションの席上、リトアニアの文化大臣がこう述べたとおり、20世紀前後に活躍したヨーロッパの芸術家の中でも、一つの作品の中に絵画と音楽が呼応する作風を持つ彼は極めてユニークだ。例えば、永遠の生命の象徴として海を描いた3連作のテンペラ画≪第5ソナタ(海のソナタ)≫(1908)は、それぞれを「アレグロ」「アンダンテ」「フィナーレ」と3楽章風に名付け、金色に耀く波が奏でる軽快さ、たゆたう波間に生命の象徴である帆船を守る手を配した神秘さ、帆船を翻弄する逆巻く波の荒々しさを、描いている。「フィナーレ」の波は北斎の代表作≪冨嶽三十六景 神奈川沖浪裏≫と重なり合い、ドラマチックな交響曲のように響いて来るのである。



日本人の心を震わせる
私が彼の作品と初めて出会った時の印象を少し記したい。
リトアニア第二の都市カウナスには、“命のヴィザ”を発給し多くのユダヤ人を助けた戦前の外交官、杉原千畝(1900-1986)の記念館がある。この場所と旧市街を見学すると、日本人観光客のほとんどは街を離れてしまう。2008年、二度目のカウナス訪問の際、通訳をお願いした気鋭の日本研究者ジーカス氏(その後駐日特命全権大使になられた)から、たぐいまれな芸術家の美術館を見学するよう勧められた。
何の知識も持たないまま、私は「国立M. K. チュルリョーニス美術館」に入場。静謐な光や繊細な色彩に満ちた作品は、象徴的なモチーフの連なりからも深い精神性を感じた。同時に、言葉にはならない親しみと安らぎを覚えた。実際、リトアニア文化の根っこには日本とよく似ている抑制された美意識や八百万(やおよろず)の神の存在がある。私たちの感性は、相通じ合う和音のように共鳴し合っているのかもしれない。美術館から外へ出てみると街の景色まで一変。ソ連時代の残滓が漂う灰色がかった街並みが、大いなる開放感のもとに光り輝いて見えたことを今も覚えている。
以来、リトアニアで目にする伝統の木製十字架が立つ農村の風景や、精霊が宿る深閑とした森、満天の星が降りてくる夜のとばりに、チュルリョーニスの世界を重ねるようになった。そして彼の創作の源泉にもなっている自然崇拝にもとづく原始宗教ロムヴァ、その影響から生まれた独自の文化や民俗、歴史にも興味を持つようになり、やがて私は、同時代に生きて日本をリトアニアに初めて紹介したステポナス・カイリース(1879-1964)という政治家であり社会活動家の評伝執筆にも行き着いた。


短くも、燃え尽きた生涯
ここでチュルリョーニスの生涯を紹介しておこう。彼の肖像写真を見ると、広い額の下から神経質そうなまなざしがのぞき、繊細な感性と理知的な頭脳を持ちあわせていたことが想像できる。

生まれは南部の温泉郷で知られるドルスキニンカイに近いヴァレナというベラルーシの国境付近の小さな村。その教区でオルガン奏者をしていた父の影響で幼い頃から音楽に興味を持ち、5歳でピアノを、6歳からはオルガンを器用に演奏して神童扱いされていたようだ。そうした評判が地元の有力貴族の耳に入ったのだろう。援助を受けて14歳頃から音楽教育を受けた後、ワルシャワ音楽院やライプツィヒ音楽院で学び、順調に作曲家として活動を始める。
世紀末のアール・ヌーヴォーや象徴主義、ジャポニスムといった芸術のトレンドにも敏感だった彼はいつしか絵筆を取るようになり、1902年、27歳の時にプロを目指してワルシャワ素描学校に通い始めた。以後、音楽と絵画のマリアージュを試み、独自のスタイルを切り拓いていく。そして、幼少期を過ごしたドルスキニンカイとワルシャワを行き来しながら、作曲と絵画の創作に励み、自然の鼓動や民俗の豊かなインスピレーションを取り入れた作品を、パステルやテンペラ画法で次々に発表した。
しかし、自身の芸術への評価に対するストレスや経済的困窮からじょじょに絶望感にさいなまされ、1908年頃から精神状態が崩れ始める。1910年には統合失調症治療のためワルシャワのサナトリウムに入所したが治療の甲斐も無く、翌1911年の春に、肺炎を起こしてわずか35歳で亡くなった。
リトアニアの国民的遺産
短い生涯だったが、約400点におよぶ楽曲と300点以上の絵画が残された。死後3年目の1913年、早くもヴィリニュスでチュルリョーニスの常設展示が決まり、さらに、当時は実現不可能と思われていた果敢な取り組みが始まった。それは未亡人の許可を得た基金の設立だった。チュルリョーニスの研究家としても知られる元国家元首のヴィータウタス・ランズベルギス氏は自身の著書の中でこう説明している。
「その狙いは、彼の作品がさまざまな美術館や個人コレクションに分散するのを防ぎ、かけがえのない国民的遺産として一つの場所に保存、展示しようというものである」(『チュルリョーニスの時代』Time and Content 佐藤泰一訳 ヤングトゥリープレス刊)
作者の内省的なメッセージを、リトアニアの豊饒たる伝承文化や自然に重ねて表現し続けたチュルリョーニス。はかなげなものの中に永遠性や絶対性を見据えるまなざしは、日本人の魂を今もゆさぶる。

同時開催として19世紀末から20世紀のヨーロッパの芸術家に大きな影響を与えた葛飾北斎の浮世絵『冨嶽三十六景』の鮮やかな46枚におよぶ 『北斎 冨嶽三十六景 井内コレクションより』も興味深い。上野での展覧会にあわせ、日本各地で音楽家としてのチュルリョーニスを紹介するコンサートやイベントも随時開かれているので、この機会にリトアニアの天才的芸術家の精神性に触れて欲しい。なお、2027年1月に都内白金にある「東京都庭園美術館」にて、リトアニアの伝統工芸の展示も予定されており、ここでも日本人の心に響く作品の数々に出会えることを、今から楽しみにしている。
『チュルリョーニス展 内なる星図』
展覧会会期 2026年3月28日(土)~6月14日(日)
開館時間:9:30~17:30(毎週金土曜は9:30~20:00)*入館は閉館の30分前まで
休館日:月曜日、5月7日(木)*ただし5月4日(月曜祝日)は開館
観覧料:(税込み)一般2200円、大学生1300円、高校生1000円
*観覧当日に限り本展の観覧券だけで同時開催の「北斎 冨嶽三十六景 井内コレクションより」、常設展も観覧可能。
展覧会公式サイト:https://2026ciurlionis.nmwa.go.jp/
電話:050-5541-8600(ハローダイヤル)
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チュルリョーニスー光と無限 リトアニアと日本の作曲家の作品
2026年4月22日19時開演 サントリーホール ブルーローズ
現代音楽アンサンブル「Synaesthesis」 演奏会
19時開演 東京カテドラル聖マリア大聖堂(2026年6月9日)
19時開演 京都東本願寺能舞台 (2026年6月13日)
平野久美子
ノンフィクション作家。東京都出身。学習院大学文学部仏文科卒業。編集者を経て執筆活動へ入る。著書に『淡淡有情―日本人より日本人の物語』(小学館、第6回小学館ノンフィクション大賞)、『トオサンの桜 台湾日本語世代の遺言』『リトアニアが夢見た明治ニッポン』(以上産経NF文庫)、『台湾に水の奇跡を呼んだ男』(産経新聞出版、日本農村土木学会著作賞)、『テレサ・テンが見た夢 華人歌星伝説』(筑摩文庫)、『牡丹社事件 マブイの行方 日台それぞれの和解』(集広舎)『台湾クラフトへの旅』(小学館)など著書多数。(社)台湾世界遺産登録応援会会長、宮古島市国際交流会顧問を務める。日本文藝家協会会員。





