特別なことは何も起こらない物語、でも惹きつけられる人気ミュージカル
2018年に行なわれた第72回トニー賞は、大きなサプライズに沸きました。世界最高峰の演劇がひしめくニューヨークのブロードウェイで、その年最高のミュージカル賞を10部門にわたって独占したのは『バンズ・ヴィジット 迷子の警察音楽隊』。中東イスラエルを舞台にした、地味な作品だったからです。
この作品は、2007年に公開されたヒューマン・コメディ映画『迷子の警察音楽隊』をミュージカル化したもの。文化交流のためにエジプトからイスラエルへとやってきた警察音楽隊が、アラブ文化センターへと向かう道を間違え、何もない辺鄙な田舎町に到着してしまいます。しかたなく、そこで小さなカフェを経営する女主人、ディナのはからいで、ディナたちの家に泊まらせてもらうことに。そのひと晩を描くのがこの作品です。
実に味わい深い、繊細な物語なのですが、「よくこれをミュージカル化しようと思ったな」と感心するほど、何も起こりません!
それでもこの作品が人々の心に、温かな灯のように広がり愛されることは間違いないでしょう。オフ・ブロードウェイの限定公演から評判が評判を呼び、ついにブロードウェイ入りを果たしたことでも明らかです。ミュージカル『ペテン師と詐欺師』を作曲したデヴィッド・ヤズベックが手がけるエキゾチックな音楽も、この作品を特別なものにしています。
風間杜夫さんをはじめとする実力派の俳優や制作スタッフの共演にも大注目
日本版は、キャストも最高。ブロードウェイ版ではドラマ『モンク』で知られるトニー・シャルーブが演じた、生真面目で誇り高い楽隊長トゥフィークに、日本を代表する名優の風間杜夫(かざま もりお)さん。アンニュイな雰囲気を漂わせる、セクシーなディナには、素晴らしい歌唱力で知られる濱田めぐみ(はまだ めぐみ)さん。楽隊一の色男でチャラいトランペッターのカーレド役には、『鎌倉殿の13人』で見せた阿野全成役の好演も記憶に新しい、新納慎也(にいろ しんや)さん。そしてミュージカル『パレード』で鮮烈な印象を残した演出家の森新太郎さんが、日本オリジナル演出でどう見せてくれるかも、楽しみなところです。
「人と人とがつながることへの希望を謳ったミュージカル。その繊細さを舞台上に乗せたい」(森新太郎さん)
先日、行なわれた制作発表記者会見で、森さんは作品の魅力を「不思議な癒やしの力に満ちたミュージカル」と表現し、意欲を語りました。 「この作品は、映画版でもミュージカルでも『さほど遠くない昔、楽隊がエジプトからイスラエルにやってきた。あなたは聞いたことがないだろう。たいしたことじゃなかった』という字幕から始まるんです。僕はこの最後のフレーズがとても重要な気がしていて。というのも、この物語は本当にたいしたことが起きないんですね。でも観ていると不思議なことに、たいしたことではないことが、実はたいしたことなんだな、と思うようになる。それはほんの一瞬でも、心と心が通い合う瞬間があったということがわかるから。音楽の力を媒介にして、お互いがお互いの心の傷を分かち合えるような、素敵な瞬間が訪れるんです。実はこのささやかな出来事こそが、我々が日常生活でいちばん待ち望んでいることなんじゃないか。中東の歴史や情勢に詳しい方は『夢物語だ』と思われるかもしれません。でも原作者はそんなこと重々承知の上で、それでも人と人とがつながることへの希望を謳いたかったんだと思います。それも高らかに歌い上げるというのではなくて、静かな、ささやくような声で。その繊細さを舞台上に乗っけたいと思っています」
「なぜか心が温かくなる作品。1曲に力の限りを尽くす」(風間杜夫さん)
風間さんは、ミュージカルの主演は『リトル・ナイト・ミュージック』以来。「初めてのミュージカルで苦労しまして、もうやらないと決めていたんですが、『歌わなくていい、踊らなくていい』と騙されまして(笑)。たいしたことが起きないのに、なぜこんなに心が温かくなるのか。伝える責任の重さを感じています。歌うのは1曲のみですが、この1曲に力の限りを尽くします」
「何でもないことの大切さを知ることができる本作で、素敵なオリエンタルの風を吹かせたい」(濱田めぐみさん)
濱田さんは森さんの言葉を受けて、「何でもないことが、実はすごく大切で、素敵なこと。それは他の人には何も気がつかないようなことでも、本人たちの経験や人生の中ではすごく大切な1ページで、人生の宝物なんですよね。そこを大切にしながら、お客様にギフトとしてお持ち帰りいただければ。自然に、素朴に、素直に、そして情熱的に。ニュアンス的には、エモいと言うのでしょうか? 素敵な中東のオリエンタルの風が吹かせられるよう、頑張りたいと思います」
「ミュージカルでこんな気持ちになったのは初めて。とにかく観に来てほしい、心に染み渡る作品」(新納慎也さん)
新納さんはブロードウェイでこの作品を観て、それ以来「カーレド役をやりたい!」と思っていたそう。「この作品のよさを何とか伝えようと思っているんですけども、言葉にするのはむずかしいんです。なぜならあまりに繊細で、何も起こらない。でもじわーっと心が温かく、すごく素敵な気持ちになる。ミュージカルでこんな気持ちになったのは初めてです。ブロードウェイでこの作品を観た後、宿があるソーホーまで10キロ弱ぐらい、後味を噛みしめながら帰りました。それぐらい心に染み渡る作品なのですが……こんな平たい言葉でしか言えない! だからもう、つべこべ言わずに観に来て! と書いておいてください(笑)」
静かでゆったりとした時間の中で味わえる、繊細で味わい深いヒューマン・ミュージカル。その独自性、人生の機微、世界平和への思いなど、さまざまなテイストを味わって、自分の人生を見つめ直す時間を持ってはいかがでしょうか。
ミュージカル『バンズ・ヴィジット』
<東京公演>
日程:2023年2月7日(火)~2月23日(木祝)
会場:日生劇場
<大阪公演>
日程:2023年3月6日(月)~8日(水)
会場:梅田芸術劇場シアター・ドラマシティ
<愛知公演>
日程:2023年3月11日(土)〜12日(日)
会場:刈谷市総合文化センター アイリス 大ホール
<出演>
風間杜夫:トゥフィーク(指揮者)
濱田めぐみ:ディナ
新納慎也:カーレド(トランペット)
矢崎 広:イツィク
渡辺大輔:サミー
永田崇人:パピ
こがけん:電話男
岸 祐二:アヴラム
ほか
公式サイト: https://horipro-stage.jp/stage/bandsvisit2023/
公式Twitter:https://twitter.com/bvjp_tweet
画像提供/ホリプロ 取材・文/若林ゆり