令和に入り、和装の人を見かけることがますます少なくなってきた日本。着物はごく限られた人だけの贅沢品のような存在になりつつあるのかもしれません。
着物は古来より脈々と受け継がれてきた日本の伝統衣装です。ですが、日本に生まれながら、なぜか日本人は着物を着ていません。「着物には日本人がもつ豊かな感性や、伝統を愛する和の心が詰まっているのです」と残念がるのは、山陰地方で5店舗の呉服店を経営する池田訓之さん。もっと気楽にもっと自由に着物を楽しんでほしいと言います。
そこで、今回は池田訓之さんの著書『君よ知るや着物の国』から、着物の柄や文様の意味をご紹介。日本ならではの四季を感じることができる着物の更なる魅力を教えてもらいました。
箪笥の奥にしまったままの着物、一度も手を通さずにいる着物、そんな着物にいま一度、目を向けてみませんか。
文/池田訓之
春夏秋冬を感じるための衣
近年は異常気象で春から夏日になったり、秋が短くてすぐ冬になったりしているものの、私たち日本人は春夏秋冬という4つの季節を感じて生きています。四季がある国は日本以外にも世界中にたくさんありますが、季節ごとに植物、農産物、習慣などが異なる国は珍しいようです。
農耕民族として自然と深く関わってきた日本人は、太陽や月の動き、花の開花、落葉などの自然の移り変わりによって、季節と時間の経過を感じていました。また日本人は古くから生活に根付いた季節の行事である年中行事を作り出し、それが人々の生活のリズムとなっていました。年中行事は平安時代に発達したもので、節分、雛祭り、端午の節句、七夕、お盆、お月見などの年中行事は、今の私たちの生活にも溶け込んでいます。年中行事は万物に神を感じ、感謝し、周囲との調和を重んじる和の心にも通じます。
五感で感じる春夏秋冬の移り変わりを大切にするために、着物は季節によって柄を変え、四季の草花やモチーフがちりばめられています。日本人は森羅万象あらゆるものを意匠化し、文様装飾として表現してきました。さらに日本は大陸からたくさんのことを学び、それらを見事に調和させながら取り入れてきました。文様の意味を知り季節にふさわしい着物を着こなすことで、さらに洗練された雰囲気を醸し出すことができます。
植物
【春】
●梅
奈良時代に遣唐使が中国よりもたらしたと言われています。厳寒のなかでつぼみを育み、春が来るのに先駆けて気高い香りを放つ美しい花を咲かせることから、縁起の良い花とされています。紅梅は魔除けや厄除けの意味があり、白梅は無垢、潔白を表します。
●牡丹
姿の美しさと豪華さから百花の王と言われます。唐草文(つる草のつるや葉がからみ合って伸びている様子を図案化したもの)に牡丹の花と葉を配した文様を「牡丹唐草」と呼び、牡丹の花が好まれた中国・唐の時代に完成しました。
●チューリップ
愛を告白する花です。ペルシャ人は赤い花弁の付け根の黒さのように、私の胸は恋心で焼け付いている、という気持ちを表現しました。
●薔薇
言わずと知れた花の女王です。ギリシャ神話によれば、海の神が世界一美しいものをつくろうと海の泡から愛と美の女神ビーナスを誕生させ、それを見た陸の神が自分も同じように美しいものが生み出せると言って空から薔薇を降らせたとされています。
絶世の美女クレオパトラは、ローズオイルを入れたお風呂と薔薇の香水を好みました。
●桜
桜は日本の象徴です。それは桜が、我々の主食である米の豊作につながっているからです。山にはサ神さまがいらっしゃる(サ神信仰)と我々の祖先は信じていました、そのサ神さまが春になると山を下りて来られて宿る木が桜=「サ蔵」なのです。そして桜の花が散るのを、サ神さまが桜を離れて稲の苗に移動されたサインとして、農家の人々はそれから田植えを始めます。サ神さまが宿る苗は秋の豊作につながるのです。今年も豊作に恵まれるように、桜の花に酒や肴を備えて祈願をしていたのがお花見のルーツなのです。
●藤
気品のある色が日本人に好まれました。垂れ下がって咲く形状は高慢より謙譲を、厚顔より恥じらいを表すとされます。
●桐
桐の木は中国古代の想像上の瑞鳥(ずいちょう・吉兆とされる鳥)、鳳凰が止まる木とされ、厄除けの力があると考えられていました。桐の花は5月頃に咲きます。昔は女の子が生まれると庭に桐の木を植え、その桐で作った箪笥を嫁入り道具にしました。
●菖蒲
魔除けや長寿を願う意味を込められることが多い文様です。まっすぐに伸びた香りの良い葉は、魔を打ち払う剣に見立てられます。5月の端午の節句に菖蒲湯に入るのは、菖蒲のもつ強い香りが邪気をはらうとされるからです。
●桃
古来より中国では不老長寿をもたらす果物として親しまれています。日本でも古くから邪気を祓う力があると考えられ、桃の節句は、桃の加護によって女児の健やかな成長を祈ります。長寿や不老不死だけでなく、幸運や必勝を象徴するめでたい文様とされています。
●芍薬
美しい女性をたとえるとき「立てば芍薬、座れば牡丹、歩く姿は百合の花」と表現するように、いくつも重なった鮮やかな色の花弁と、すらりと伸びる茎が芍薬の特徴です。芍薬と牡丹の違いを見分けるポイントは葉の形にあります。牡丹の葉には細かな切れ込みが入っていますが、芍薬の葉には切れ込みがありません。
【夏】
●紫陽花
満開に大きく咲く姿から、「多事を成す」とされ、武将の間で吉祥の花とされるようになりました。
●麻の葉
6個の三角形を組み合わせ、それを四方につなぎ合わせた幾何学模様の形が代表的です。麻は丈夫ですくすくとまっすぐに育つことから、子どもが生まれると男の子には黄色か浅葱色(薄い青)、女の子には赤色の麻の葉柄の着物を着せました。
●露芝
朝の日差しともに消えゆく露にはかなさを感じ、鎌倉時代から着物に取り入れられました。
●朝顔
夏の涼を感じさせる代表的な花です。江戸時代には観賞用として盛んに栽培されるようになり、着物(特に浴衣)の文様としても好まれるようになりました。
●百合
百合は聖母マリアの純潔の象徴であり、百合のもつ清楚なイメージが、未婚の若い女性に好まれたようです。教会式の結婚式で花嫁や花婿を飾る花でもあり、西洋風な雰囲気が好まれ、大正末期から昭和初期に着物の柄として流行しました。
●沙羅双樹
「沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらわす」(『平家物語』)の一節で有名です。沙羅双樹は、日本では別名「ナツツバキ」と呼ばれています(厳密には違う種のようです)。白い花で、朝咲いて夕方には散ります。その散り方は椿と同じように、花びらを散らさず地面にポトンと落ちます。そこから一瞬の美しさ、はかなさを表すとされています。
【秋】
●秋の七草
桔梗、萩、女郎花(おみなえし)、撫子(なでしこ)、薄(すすき)、葛(くず)、藤袴のことで、万葉集にも詠まれています。これらの草花が野原に咲く様子を描いた文様は日本ならではの風情があり、移ろいゆく季節の哀愁を感じさせます。
●稲
農耕民族の日本人にとって稲は生きていくための命綱でした。米粒とともに、藁も注連縄として神事に用いるなど、特に大切に接してきました。稲の文様は秋の豊穣を意味しており、刈り取られる前の稲穂や、収穫後の稲束がデザインされることが多いです。
●菊
飛鳥時代に不老長寿の薬として中国から伝わり、その美しさと高貴な香りから邪気をはらう縁起物とされ、着物の文様にも古来多用されています。陰暦9月9日は重陽の節句で、宮中では菊の花びらを浮かべた酒を飲み交わすなどの行事が行われました。また、大輪の菊は太陽のようにも見えるので、太陽神の末裔とされる皇室の紋章になっています。
●唐草
曲線を描いた葉とつるが絡み合った文様で、古代ギリシャのパルテノン神殿から中国を経て奈良時代に日本にもたらされました。長くつながり絶えることなく続くということから、永遠の躍動や子孫繁栄、豊穣などを表しています。さらに、つる植物はいったんほかの木に巻き付くと、その木が枯れるまでつるを巻き付け続けるそうです。そこから一生添い遂げるという女性の誓いを表すようになりました。嫁入り道具を大きな唐草の風呂敷で包むのもそういった由縁からと言われています。
●紅葉
秋の季節感を象徴する文様ですが、葉の色が変わることから変化も表します。緑色の葉と紅葉した葉を合わせて描くと「広き愛」を表すとも言われています。流水と合わせて描かれることも多く、その文様は「竜田川」と呼ばれます。
【冬】
●椿
椿も桜とともに人気の柄、それは女性のけなげな生きざまを表しているからです。
椿の花は形を崩さずに地に落ちていきます。そこから「落ちても身を崩さず」との女性の生きざまを表すと言われています。新婚の初夜には、一生身を崩しませんとの誓いの印として長襦袢の袖に椿の花をしのばせ、夫となった人に手渡したそうです。
●蘭
「善人は蘭の如し」といわれる高貴で美しい花で、草木の君子とされる「四君子」(竹、梅、蘭、菊)の一つです。和風の繊細な蘭だけでなく、カトレアなどのゴージャスな洋蘭も、着物に描かれることがあります。
●橘
東方の遠方海上にあるとされる、理想郷「常世国(とこよのくに・不老不死の国)」に生える木と言われます。長寿を招き、元気な子どもを授かる非常に縁起のいい文様とされています。
●竹
神の依(よ)り代(しろ)で、神聖な木と考えられました。竹は地下茎でしっかりと根を張ることから子孫繁栄を意味し、地震にも強いので、守り神とも崇められています。また風雨に負けず、天に向かってまっすぐに伸び、なかなか折れないしなやかさと数多い節目が、人生の生き方のお手本となり、縁起のいい文様とされています。
●松
竹と同様、古代より神の依り代と考えられてきました。年中葉の色が変わらないさまは良いことが続き、長寿も意味します。また一生愛情が変わらないとの誓いを込めて結納には松飾がそえられるのです。
●松竹梅
松、竹、梅の3つをそろえた文様です。松や竹は冬の寒さに耐えて緑を保ち、梅は花を咲かせることから、おめでたい柄とされています。
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池田 訓之(いけだ・のりゆき)
株式会社和想 代表取締役社長
1962年京都に生まれる。1985年同志社大学法学部卒業。
インド独立の父である弁護士マハトマ・ガンジーに憧れ、大学卒業後、弁護士を目指して10年間司法試験にチャレンジするも夢かなわず。33歳の時、家業の呉服店を継いだ友人から声をかけられたのをきっかけに、全く縁のなかった着物の道へ。着物と向き合うなかで、着物業界のガンジーになることを決意する。10年間勤務した後、2005年鳥取市にて独立、株式会社和想(屋号 和想館)を設立。現在は鳥取・島根にて5店舗の和想館&Cafe186を展開。メディア出演や講演会を通じて、日本の「和の心」の伝道をライフワークとして続けている。著書に「君よ知るや着物の国」(幻冬舎)。